これからも能登に思いを届けたい~北陸三県鉄道本「受け継がれたローカル線」への短編寄稿を通して~
2024年1月1日。地元輪島市に夫と帰省していた私は、家族と「これからケーキを食べようか」とのん気に団らんしていた最中に、令和6年能登半島地震に見舞われました。
立っていられないほどの激しい揺れに、ダイニングテーブルの下に転がりこむもしゃがんでいられず、ソファとテーブルの足の間を転げまわるほどでした。大津波警報が出たことを知り、徒歩で高台へと逃げ、警報が解除される夜まで、同じく逃げてきた人たちと、外で待機することになりました。寒風吹きすさぶほどの気温でなかったことが、まだ救いではありました。
高台は坂道になっていて、坂の途中のお店の人が屋内から何枚も布団やマットレスを出して来てくれて「お姉ちゃんら、ここに座らし」と、アスファルトの地面にそれを敷いてくれたのです。「これ、食べさし。これ、使いまし」と、お菓子や手袋替わりの軍手もくれました。「羽毛布団かけとれば、寒くないやろ」と、着のみ着のまま逃げてきたおばあちゃんらに、布団を渡している光景も見ました。
別の家の人は「水は流せんけど、どうぞ」と、トイレを貸してくれたりもしました。人の温かさが、身に染みる体験でした。
余震が続く中、高台から呆然と、隣町であるあさいち通りの火事を見ました。火の粉が巻き上がり、真っ赤になっている空は衝撃的で、ショックを受けるばかりでした。
大津波警報が解除になったのを機に、父の提案で実家から車を回してきて、避難所となっていた鳳至小学校のグラウンドに父、母、夫、私、伯父、伯母の四人で向かいました。車のなかで、冷えたおせちを食べました。あんなに味のしないおせちは初めてでした。
体育館のトイレは、案の定水が流せず、人が尿をしたその上から用を足すことになり、二回目に行ったときには便もありました。みんな臭気と気持ち悪さを我慢しています。その上から、トイレを使いました。
余震が落ち着いてきた夜半すぎ、避難先の知人宅が見つかり、そこに行くことになりました。そこで眠れず一晩をすごしました。夫は3日から仕事があり、2日中には私たちの自宅にある金沢に帰らねばと言い張りましたが「道がまだどうなっているかわからない」と私の両親が止めました。
2日の夜になり、ようやく「金沢から輪島に来られた」という話を聞くようになり、3日の明け方私と夫は金沢に向けて輪島を出発しました。道路の割れや陥没具合はすさまじく、渋滞の列のなかをそろそろと向かいました。
金沢の家に着いたのが、朝の10時半ごろ。夫が走らせてきた車の上には、黒い屋根瓦が一枚載っていました。おそらく、地震の際に実家の屋根から落ちたもののようでした。
日が経つにつれて、地震の被害が明らかになっていくなかで自分が感じたことは、私自身は怪我もなく、実家の被害は周りに比べたら決して大きくはないものだということ、そして悲しいことに家の下敷きや火災で亡くなられた方、お怪我をされた方、家がつぶれてしまって住むところがなくなった方、会社の地震での損害が大きく、生業を続けることを見通せなくなった方が山のようにいらっしゃるということでした。
だったら、私にできることはなんだろうか。友人知人からは、震災当初から山ほどの無事を案じるメッセージが届き、1月4日は作家の紅玉いづき先生と編乃肌先生から「能登半島地震のチャリティー誌をつくりましょう!」とお声がけいただきました。(現在このチャリティー誌は「波の花風吹く」として初版が完売、現在第2版を準備中で、このnote記事の震災体験にまつわる詳細も『私の震災体験記』として掲載しています)
そして、1月22日。友人のライターで福井にお住いの佐藤実紀代さんから、メッセ―ジを受けとりました。
「以前ちょっとお話していた小説の書籍への寄稿について、改めてご相談したいのですが、お話できるお時間ありますか?」
一瞬、ぼんやりと(そういえばそういう話、あったかも…?)と思い返しました。すぐに実際に佐藤さんとLINE通話で話をしてみて、お仕事の概要について詳細がわかりました。佐藤さんと以前からお仕事をなさっていた、一般社団法人地域発新力研究支援センターの佐古田宗幸さんが、北陸三県のローカル鉄道本の書籍企画を考えておられて、そこに短編小説も掲載したいとのことで、私を抜擢したいとの内容でした。
佐藤さんは以前、桜クリエという支援センターの施設も訪れており、物販に「『金沢 洋食屋ななかまど物語』(私の著書)が置いてあったよ!」と報告もそういえばくれていました。それで、佐古田さんに実際にお会いする前に、私の短編を収録した同人誌も、郵送でお送りさせていただきました。
1月に佐藤さんを通して、本の台割表が届き、企画を正式にお請けすることにして、プロジェクトがスタートしました。
2月16日、石川県立図書館のグループ活動室で、佐古田さん、佐藤さんと打ち合わせを行いました。佐古田さんは、すごく気さくな方で、終始笑いっぱなしの打ち合わせ時間となりました。事前に図書館の本棚から、北陸の鉄道関連の本も、たくさん活動室に持ち込んで、打ち合わせをしました。このとき、本の売上の一部(現在は確定していて、売上の5%)が能登半島地震の寄付に回すことになる、とお聞きしました。それならばがんばらなくては、とますます気を引き締めました。
この日の打ち合わせには来られなかったのですが、富山市ご出身の井上浩介さんの写真を扱った、鉄道の写真がメインになる書籍ということで、心から楽しみになりました。
1月2月は、能登半島地震の影響を受けて、私の勤務先である観光業のシフトもだいぶ減りました。家にいる時間が長く、あまり元気が出ずにぼうっとする日々が続くなか、チャリティー誌「波の花風吹く」の原稿を書いたり、鉄道本のプロット作成に取り組んだりしていました。
3月初旬には、能登半島地震のクラウドファンディングまとめ+事業者寄付先まとめを掲載した、能登支援noteを自分のもともとのnoteアカウントとは別に立ち上げています。クラファンリストは現在、地震に加え豪雨でのクラファンもまとめて紹介しています。
3月末に佐古田さんに提出したプロットは、あまりいい出来とはいえず、試行錯誤したうえで、5月半ばに出したプロットが「これでいけそう」ということになり、その肉付け作業にかかるなか、初めての四人揃っての鉄道会社取材日が近づいていました。
勤務先のシフトを調整して、富山⇒能登⇒石川⇒福井の順で、北陸三県の鉄道に実際に乗って取材に回り、四人で道中さまざまなことを話しました。なかでも、佐古田さんはこの本のコンセプトについて、発刊する意義について、何度もお話されていました。
この書籍の最初のページにある「発刊にあたって」という挨拶では、下記のように記されています。
また、鉄道会社さんや、沿線の駅で各社の若い社員さんたちに佐藤さんがインタビューを行ったのですが、みなさま一様にすごくしっかりと受け答えされていて、地元北陸と、いま従事している鉄道のお仕事を大切に愛する気持ちが伝わってまいりました。
佐藤「わ…私たちが二十代のころって、もっと適当だったよね?」
上田「みなさん仕事ぶりが本当に真面目で……心から見習いたい!」
「受け継がれたローカル線」には、社員さんたちからお聞きした「仕事のやりがい」や「電車の運転席から見たおすすめの絶景」などが盛り込まれています。お楽しみにしていてください。
取材を続けるうちに、私の担当する小説短編のコンセプトもじょじょに固まってきました。
上田「金沢出身で、東京で女子大生をしている女の子が就活に悩み、地元北陸に帰省を繰り返すうちに地元の良いところを再発見する話にしよう」
プロットにOKが出たので、執筆にかかり、8月末に最終稿を書き上げて提出しました。
そのあいだも、井上さんが撮られた写真の選定や調整がどんどん進み、佐藤さんも本文のライティングに取り掛かり、全体統括の佐古田さんからチーム全員充てのメーリングリストに頻々と連絡事項が届く日々。
しかし、悲しいことに9月21日、奥能登豪雨がまたもや能登を襲いました。地震の被害からの立て直しもまだまだというなか、多くの能登の川が氾濫し、洪水に流された犠牲者が出てしまいました。仮設住宅に泥水が流れ込み、地震で修復したお店や厨房機器が、またダメになってしまったという方もたくさん……。言葉がありません。実家の被害は些少でしたが、そのことがむしろ申し訳なくなるぐらいに、甚大な被害が地震被害の上からさらにつめあとを残しました。
そんななかでも季節は進み、とうとう、この10月19日土曜日の湯涌ぼんぼり祭りにて、北陸三県ローカル鉄道本は先行発売を迎えます。私は、小説のラストで「2024年8月の、雨上がりのなかを走るのと鉄道」を描きました。小説のタイトルは「ローカル線と、季節を越える」と名付けています。
もともと、のと鉄道さんに取材に行った5月のその日が大雨だったこともあり、雨上がりの夏の晴れた能登を描いたのは、書き上げた段階では私にとって自然なことでした。最終調整にあたり、この箇所を無難な表現に書き直そうか、だいぶ悩みました。それでも、もともと希望をこめて書かせてもらったシーンだということを鑑み、修正はやめよう、と思いなおしました。
悲しい雨が上がること、地震の傷跡が癒えること、それは私の本心の願いだからです。
「波の花 風吹く」に寄せた輪島大祭を描いた短編「キリコの灯かり、祭囃子の音」でも、今回の鉄道本の「ローカル線と、季節を越える」でも、作中で能登半島地震について触れました。真っ向からはまだ扱えず、それでも、いま触れずにいることは、むしろできないと思いました。
「受け継がれたローカル線 ~富山・石川・福井 北陸三県鉄道賛歌~」は、北陸三県の四季折々の日常風景を走る電車の撮り下ろしが存分に収録され、北陸三県の鉄道や駅にまつわる読物が充実しており、北陸に根差して日々奮闘する若い社員さんたちのインタビューも差しはさまれ、そこに私の短編が花を添える形になりました。制作ユニット・北陸カルテットのどの一名が欠けても、成り立たなかった本になります。私たちは、最後まで心をこめて制作いたしました。
版元parubooksさんのオンラインショップで、取り扱いが始まっております。送料は無料です。そして売上の5%は、能登半島地震への義援金となります。
私は、これからも寄付をしたり、自分にできる支援(クラファンリストなども含め)が何かを考えていきたいです。また9月に実家の町内会の側溝掃除を手伝ってきたのですが、被害が少ない地域だったにもかかわらず、側溝は石と泥で埋まっていました。またこちらも、今月内に続きをやりにいきます。
それと並行して、やはり文字に書き残すことが私のできることのひとつだと思いました。なので、能登や、故郷石川県を舞台に、これからもお話を書いてゆくつもりです。地域に根差すお祭りの風習、地元の見慣れた、それでも美しい景色、誰かと分かち合いたい、食べ慣れた郷土の食事。
それを、地元の外にいる人たちに「能登は、石川は、北陸は、こんなに風景がきれいで、こういう風習があって、こんなスポットがあるんだよ」とお話に託して伝えていくことも、また大切なことなのかもしれないと。それがめぐりめぐって、能登に思いを届けることになるのだと思っています。
「波の花 風吹く」が私の能登への一枚目のラブレターだとしたら、この鉄道本は二枚目のラブレターです。(能登だけでなく、北陸三県も含めていますが…富山も福井も住んだことがあり、大好きな街です)私はこれからも、何通も何通も、きっと能登をはじめとした、北陸への思いを物語に込めてゆくと思います。
どうか、多くのかたに手に取ってほしい一冊です。
どうぞよろしくお願いいたします。
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