アフターコロナの世界で本を守りたいということ
最近、立て続けにひとのご著書を紹介してばかりいる。
コロナによる書店休業を受けて、3月刊~5月刊の作家さんを応援したいと思ったのがきっかけだった。
その一方で、私は自分自身、この企画を始めた動機を疑っていた。
「お前が本をたくさん紹介するのは、自分の作品を読んでほしいからではないのか?自分のWEB作品がもっと読まれるように、注目してもらうために、この企画を始めたんじゃないか?」
と、心のなかで小さな悪魔がささやいていた。
でも、ずっとこのことについて考えていて、考えつづけて、今日さっきお風呂に入りながら「それはゼロではないかもしれないけど、根本的なところで違う」という結論にたどりついた。
話はとんでもない方向にすっとぶが、私は、十五年ほど前に体調を崩して実家で療養していたのだけど、そのときに啓示を受けたことがある。
啓示――ようするに、神さまからのメッセージといえばわかりやすいだろうか。ちょっとヤバいな、と思われる可能性もあるので、詳しいことについては割愛するが、ようするに、啓示を受けたのである。
このことは、私の人生で一度きりしか起こらなかったことだ。
メッセージは降ってきたのだけど、その内容は、
「私たち、本を書いてきた作家は、いつかこの世界から消えてしまいます。だからあなたが、本を守ってほしい」
というものだった。このことを明かすのは初めてのことだ。
その当時から、作家になりたくて、でもなれなくて地べたをはいずって泥をすすっていた私は「作家になりなさい」という啓示じゃなかったことにまずがっかりした。
本を守る、ということを大枠でとらえれば、作家になる、とイコールで結べないこともないかもしれない。作家になるということは、自分で本を出していくということを通じて、出版文化に寄与することだから。
一方で、図書館関係の仕事にたずさわることにもそのあとなり、司書業務をしながら「本を守るってこういうことなのかなあ?」ってぼんやりと考えたりしていた。
でも、このコロナウィルスの影響で、図書館が閉まり、書店が閉まり、多くの作家さんたちが大変な状況に陥っているのを見て、やむにやまれず始めた本の紹介企画だったが、私の中で点が一本の線になるように「本を守る」って、こういう意味だったのかもしれない、と気が付いた。
自分が物語を書いたり、本を作ったりするだけじゃなくて、本の文化ごと、その灯を消さないように、自分にできることをすること。
それが私の役割なんじゃないのかなって思った。
私は、二十代に療養するようになってから、昔は水をじゃぶじゃぶ飲むように読めていた本がさっぱり読めなくなってしまった。
そのことで、長年悩んでいた。
でも、この企画を始めてから、Twitterやnoteでご縁のあった人の本を読んで紹介するうちに「ちょっとでも言葉を交わした人の本は読めるな」とか「自分のためだったら読めないけど、この人の本をもっとみんなに知ってもらおうという動機であれば、最後まで読めるな」ということに気づかされた。
もちろん、自分がいいものを書いていくために、勉強のために読んでもいかねばならないのだが、それよりも、他人のためだと思うと、なくした集中力をしぼって、最後まで読み終えられる。
私には、大きな発見だった。
noteで本の紹介をやろうと思いながら、いままでどこかためらう自分がいた。
自分の本分は物語を書くことであって、紹介することではないのでは、と。
今思えば、それは思い上がりはなはだしかったと思う。
私は本の文化をなくしたくない。みんなが本を書くことを楽しんで、その本が広く読んでもらえて、そこからみんなが知恵や勇気や感動を得る、その体験ができる優しい世界を守っていきたい。
だから、これからは積極的に人の作品を読み、紹介していく。
いいなと思った人は推していく。
その、決意を表明させていただきました。
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