見出し画像

【小説】私が食べたかったもの

とにかく、我が家の中心にいるのが妹の亜実であることは間違いない。わかってはいたけれど、十二歳の誕生日、私はそのことを痛感した。

私より二歳下の亜実は、生まれたときから体が弱く、しょっちゅう入退院を繰り返している。未熟児で生まれ、身体の機能がいろいろなっていないところが多いらしい。


両親とも、亜実のことについてはいつも必死で、亜実のわがままを「この子は長く生きられないかもしれないから」と、聞いていった結果、亜実はとんでもなく自己チューになった。父が買ってきたケーキが思ってたのと違うと言って泣き、退院したばかりで学校に行くのがつらいと言って、マンガやゲームを所望し、すべて買い与えられていた。


食卓に並ぶごはんやおかずも、亜実用の、身体に優しい食事にあわせてあって、唐揚げやお刺身などは出てこない。どちらも大好きなのに、私の口にはめったに入らない。

亜実はかわいい。美少女といってもいいだろう。私の顔のつくりはどちらかというと平凡なほうだから、私は自分の丈夫で健康で、かわいいとは言えない見た目を呪う。

私が亜実みたいだったら、父さんも、母さんも、もっと私をかまってくれたかな? そう思ったのは、家族でやる予定だった私の誕生日会が、亜実が高熱を出したことで、またおじゃんになったからだ。

「希実(きみ)、ごめんね。ケーキを焼く時間、なくなっちゃった。これから病院連れて行くから、引き出しから亜実の保険証と熱冷まシートを取ってきてくれない?」

妹の熱は仕方ない。私だって心配だ。でも、亜実の世話にてんてこまいになっている両親を見ると、少しはこっちのほうも見てほしいな、って思ってしまう。

「希実は本当に、いい子ね」
「しっかりしていて、父さん、希実については心配することがないよ」


母さんと父さんにそんな言葉をかけられても、私はあまり嬉しくない。亜実に向けている視線や愛情の一部でも、こちらにくれたらいいなと思うけど、私はそうしてもらうには、両親の信頼を勝ち取りすぎているらしい。

両親は亜実を連れて総合病院に行ってしまい、私は「留守番、よろしくね」と家に取り残された。冷蔵庫に、チルドのピザがあるから、それを自分で焼いて食べれば、お腹はふくれる。でも、誕生日だというのに家に一人ぼっちで取り残されて、さびしいしつまらなかった。

今日はケーキを、私のために焼いてもらえる日だったのにな。リクエストで、手巻き寿司も頼んでいたのにな。そう考えると、くさくさして私はソファの上のクッションを壁に投げた。
 
今回は入院の必要はありません、とかかりつけの医師が診断したらしく、数時間後に、両親は亜実を連れて帰って来た。苦しそうに呼吸をしている亜実を、ベッドに寝かせて、母さんはそばにつきっきり。父さんは亜実が食べたいと言ったプリンを買いに、また出て行った。


しばらくして、母さんは居間のソファでぽつんと座っている私に気づき

「あ、希実、ごはん食べた?」と訊いてきた。

「ピザ食べたから。大丈夫」

そう言った私に、母さんは「本当に、希実は手がかからなくて助かるわ」と疲れた笑顔を見せた。私の胸がぎゅうとしぼられる。

ここで、まだ何も食べてない、母さん何かつくってよ、そうわがままを言えれば、楽になるのかな? でもそしたら、母さんがさらに大変になってしまう。

父さんが家を出るときにも「私はゼリーがほしい」って言えればよかったのかな? でも急いでいたし、声をかけて「いまはそれどころじゃない」なんて言われるのが怖かった。私は、また気持ちがぐるぐるして、下を向いてしまう。

亜実の口ぐせは「お姉ちゃん、いいなあ」だ。


『お姉ちゃん、健康で、いいなあ』
『お姉ちゃん、なんでも食べられて、いいなあ』
『お姉ちゃん、一人でバスに乗ってどこでも遊びに行けて、いいなあ』


亜実に悪気があって言っているのではない。亜実はたしかにわがままで自己チューだけど、私をわざと傷つけようなどという魂胆のある子ではない。

でも、亜実に「いいなあ」と言われるたび、私も言い返したくなる。

『亜実、父さんと母さんに、大切にしてもらっていいなあ』と。

でも言わない。私は「お姉さん」だから。病弱な妹は「大切にされねばならない」から。

その日、私の誕生日会は、夜中まで亜実の高熱に家族が振り回されたせいで流れた。テレビのバラエティを一人でぼうっと見ていたら、父が言った。


「希実、こんど、父さんとデパートへ行こう。今日、お誕生日をしてあげられなかったし、母さんは亜実の世話があるから一緒に行けないけど、父さんと何か美味しいものを食べよう」

私は目をぱちくりした。自分の「大切にされない」という気持ちが見透かされたようで、急に恥ずかしくなった。


「そんなに気を遣ってもらわなくて、大丈夫だよ。私、もうすぐ中学生だし」

本音と裏腹の言葉が出てしまったが、父さんは意に介さずに笑った。

「普段、亜実のことばっかりだから、たまには希実のことも気にかけてやらないとな、って母さんと病院で話していたんだ。デパートのほかに、行きたいところはないか? 連れていってやるぞ。食べたいものも考えておけ」

ごめんなさい、父さん、と私は思った。亜実のことばかりうらやましがって、病気の亜実に嫉妬して、こんな子で、ごめんなさい、と。


翌週の日曜日、父さんの車の助手席に乗って、県庁所在地にあるデパートに出向いた。ランチの時間、七階にあるレストランフロアには、美味しそうな店が軒を連ねていて、こちらを誘う。


「お寿司でも、焼肉でも、今日は好きなものを食べていいんだぞ」


父さんがそう言ったが、私はもう、今日食べるものは決めていた。


「このお店でもいいかな?」

私が指さした店は、洋食店。ショーウインドウには、つくりもののナポリタンやハンバーグ、オムライスなどがつやつや光って並んでいる。

父さんと私は、店内に入ると、ウエイトレスのお姉さんの案内で席に着いた。メニューを広げて、父さんが言う。


「父さんは、ビーフカレーにしようかな。希実は、なにがいい」

一瞬、口にするのをためらった。自分の本当の気持ちが伝わるだろうか不安になった。黙っている私に、父さんは「ゆっくり決めていいんだぞ」と笑った。


「あのね」
「うん?」
「私、お子様ランチが食べたい」


勇気を出して口にした、ちょっと子どもっぽいメニュー。

でも、私の一番食べたかったもの。父さんは、私のことを「こんなのでいいのか?」などと言わなかったし、「子どもっぽすぎないか」と笑いもしなかった。

「――希実、もしかして、お子様ランチ食べるの、初めてだったか?」

私はこくりとうなずいた。


幼少期から今に至るまでずっと、うちは外食をしない家だった。亜実に食べさせられないものが多すぎるから、基本的に家族が食べるごはんは、母の手作りだった。

身体によくて、野菜がいっぱい使われている薄味のおかずたち。そこに文句がとくにあるわけではなかったけど、うちのスタンダードは亜実基準なんだな、とずっと感じていた。


私一人を連れ出しての外食は、あまりいままでにないことだった。亜実がうらやましがるし、亜実がかわいそうだから、ということだったらしい。でも、今回は私の誕生日会のかわりということで、父さんと母さんの間で、私に美味しいものを食べさせてあげよう、と一致したらしかった。


デパートのレストランなんて、普段来ることがないし、普段ずっと家でのごはんばかりだから、私は「お子様ランチ」というものに縁がなかった。小さい子が、喜んで食べるメニューらしいが、私がもっと小さかった頃、外食には連れて行ってもらえなかった。


運ばれてきたお子様ランチを、私はまじまじと見る。チキンライスの小山に、小さな日本国旗が立っている。ミニハンバーグに、ミニオムレツ、エビフライ。ナポリタンに、ウィンナーに、サラダ。それらが、一つのお皿の上にこぢんまりと盛りつけられていた。

「美味しそう。いただきます」

父さんの、こちらを見守る視線を感じる。どれも、ソースやケチャップの味が濃くて、うちではまず出てこない味だった。

『お子様』でいる時間が、私にももっとほしかった。お子様ランチを頼んだのは、お子様ランチが食べてみたかったのは、まだ『お子様』でいてもいいんだよ、って誰かに言ってほしかったからかもしれない。


チキンライスの最後のひとつぶまで綺麗に平らげて、私は父さんに「映画をこのあと見に行きたいな」と言ってみた。

家に帰ると、熱の下がった亜実が、居間のソファに座っていて、帰って来た私と父さんに、「楽しかった?」と声をかけてきた。


「楽しかったよ」と答えると、亜実は「いいなあ」と笑った。
「デパートで何食べた?」


そう聞かれて「お子様ランチ」と答えたら、亜実は心底うらやましそうな顔をした。


「私も、大人になって、もっと健康になったら食べられるかな。健康になったら、ぜったい食べたいな。ねえ、大人になってお子様ランチ食べても、遅くないよね?」


その言葉に、私の胸がぎゅっとつまった。


「きっと、亜実も食べられるよ、お子様ランチ」

そう言うと、亜実は花咲くような笑顔になって、その表情がとってもかわいくて、私はやっぱり、亜実のことがちょっとだけ、ずるいよなあ、と思った。でも、もう濁った気持ちではなくて、透明で少しいとおしい気持ちで、ずるいよなあ、と思ったのだった。

いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。