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星読みとまなび

みなさんは、星読みをどのように使っているでしょうか? わたしは毎日の星読みを中心に、日々のまなびのために、愛のまなびのために星読みをつかっています。ブログ『ほしのねこ』でも、日々の星読みを通じて見つめていることを書いています。読んでくれる人にあたたかな想いを贈ることができたら、という趣旨なのですが、1年以上続けてきて何より実感しているのは、自分自身(そして一緒に続けている夫)にあたえられたいくつもの学び、変化です。

じっさいのところ、これは大げさなものではなく、些細なことの積みかさねにすぎないものです。また、頭でわかっていることを、ただ、理解することにすぎません。あくまでも、わたしと夫のやり方、見かたです。それでも、もしかしたら、みなさんへの贈り物にもなってくれるかもしれないと思うので、ここでは、そのいくつかを紹介したいと思っています。

星読みのつかいかた

どんな星読みも自由であり、何が正しいとか間違いということはできません。そのなかで、自分を見つめ、世界を見つめるための星読みというやり方は、とても役に立ってくれると感じています。何の役にたつか、といえば、自分の視点に変化があたえられることです。

星読みはきっかけであり、問いかけです。問いに応じる気づきがあるとき、あっと驚かされることもあります。星読みだけで何かを見つけようとするのではなく、いろいろな哲学や知識がヒントになってくれるように思います。

たとえば12星座の意味はさまざまで、ときとして、わたしたちの個性を表現するために役立ってくれます。ここで、わたしたちはいくつかの星の性格をもっていると見るか、誰もが12星座の全てを内包していると見るかで、見えてくるものがちがってくるように思います。わたしとしては、誰もが12星座をもっていると考えることが大きな意味をもつと感じています。

苦手な星座、好きじゃない星座というものがあれば、それは自分のもたないものだからという見方を意味しているかもしれません。わたしにとって、はじめ、山羊座は受けいれることがむずかしい星座でした。それは、山羊座とわたしが一致しない価値観だと考えていたからです。自分に属するものを肯定し、そうでないものを否定する気持ちは、知らず知らずにじみ出てしまうのかもしれません。わたしの意図しないところで、おそらく山羊座である方を不快にさせてしまったことがきっかけで、わたしは全体を肯定する見方に向き合う必要をあたえられました。

必要があるとき、それに伴ってこたえもあたえられるように感じます。たまたま本を読んでいて、ある一節からひらめきがありました。ふいに、ああ、山羊座の意味するところとは、社会全体のために役立ってくれる力のはたらきのことなのだと気づいたのです。わたしが否定していたのは権力という見かたです。知識としては知っていたはずなのに、否定したいところばかり見ていて、ほんとうの意味を受けいれようとしていなかったのです。この変化は大きくて、山羊座にかぎらず、どんなものに対してもものの見かたは変わりうるということを教えられました。

金星と自己肯定

星読みにおける金星もまた、わたしに大きな問いかけをもたらしています。きっかけは、スマホで自作の『星読みガイドブック』のPDFファイルを見ていたときのことです。そのなかの金星の1ページだけが白紙状態で何も表示されなかったのです。以前見ていたときには、ちゃんと表示されていたのに。

金星のことをしっかり見つめてみようと思いました。じつはこの出来事のほんの数日前に、夫のなかに大きな変化がありました。毎日の星読みにそえる絵をかいてもらって、それをスマホに撮っているときに、夫が横で話しはじめました。毎日の星読みはほとんどわたしと夫と二人三脚なのですが、その日の星読みから見つめる想いについて色々話していました。そして、ふいに、自分は、自分の想いに正直にしたがいたいのだといって涙をうかべてしまいました。そして、自分のことを認めなければいけないんだ。条件じゃなくて、無条件で自分を受け入れなくちゃならないのだと。

それから2日後、夫とふたりで銀行ATMに保険の支払いに行きました。ATMのなかにお金を入れるとき、わたしが「○○生命のひとたちがこれで幸せになりますように」と、半ば見返りも求めながら言霊に祈るようなひとことを加えました。

すると帰り道、夫がおどろきと興奮のまじったようすで話しはじめました。「お金について、あんなふうに考えられるなんて思ったことがなかった」と。それまでは、お金をはらうものとか、物と交換するとか、お金の役割だけを見ていたといい、「お金をはらうことで、それで幸せになってくれる人たちがいるんだねえ。お金をはらうことは、とられるわけじゃなくて、人の幸せに役立っていることなんだねえ」と、長々と話しつづけます。「(金欠で保険をやめたいなんて思っていたけど)お金をはらったら、誰かはお金をうけとって助かってるんだねえ」

ものの見かたの変化は、ほかの部分にも刺激をあたえるのかもしれません。ふいに、ああ、と、夫が何かがわかったようにうなずきました。「自分のせいだったのか」と、いいます。「自分はやりたいことをできないとか、自分は○○のせいで葛藤していると思っていたけど、ほんとうの原因は自分だったんだ」と。何十年も抱えていたのに、あんまりもスムーズに葛藤が消えてしまったといいます。

自分のせいであることについて

自分のせいであることは、夫にいわせれば、とても簡単になることを意味しているといいます。自分の想いにしたがえないと感じていること、ひとの目を気にすること、自分は支配されていると感じること……。それは一見、誰かのせいだと考えることができます。他人だけではなくて、自分の過去、何かしらの出来事、言われた言葉や、された事などさまざまです。それは実際に心にのしかかるようなことだったかもしれません。

でも、今の葛藤の原因が、ほんとうは自分のせいだと知ったとき、外側の相手は戦う必要のない相手だと分かったといいます。無条件で自分を肯定することへのおびえが、都合のいいイメージを拝借して、外側の敵のせいで自分は苦しんでいると主張しようとしているのだと。

外側に敵がいると考えているとき、敵は強く、自分の思ったままにコントロールすることはできません。でも、自分のなかに仮想の敵というイメージを結びつけていただけなのだと気がつけば、その正体は無力であることが分かります。自分の作り上げたイメージだけの亡霊は消してしまえるからです。

もちろん、目の前の出来事に立ち向かうこととは別の話です。目の前には存在していない、心のつくりだした苦しみが、自分のおびえをかくすための隠れ蓑だということです。

金星とほんとうに向き合う

土星、木星のような星たちは、わりと自分に厳しい目をむけたままでも受け入れることができます。いいかえれば、自分にウソをついたままでも耐えつづけることができる惑星です。けれども、金星とほんとうに向き合うことは、先ほどのエピソードから見えてくるように、自己受容や自己愛が不可欠であるように見えます。

楽しむということは、現実から目をそむけるためにも用いることができるからです。無条件の愛というのは、きっと、言葉どおり無条件に自分の存在を認めることです。そのとき、内側にゆだねられるのはただ自分を肯定するかどうかの決意だけであり、他者、または時間という敵はいません。自分の無条件の受け入れは、きっと、あらゆる人々や世界にむけた肯定でもあります。自分のことを拒絶しながら、世界にだけ愛を見ることはむずかしいように思います。

金星を受け入れることは、何をする自分も認めることです。責任や成果を期待する社会とは、なかなか相容れない部分もあるように感じるかもしれません。だからこそ決意が必要ともいえます。そして、自分勝手とはちがうのだと認識する必要もあります。

楽しむことを練習する、というのも変な話かもしれませんが、わたしと夫は金星の問いかけに対して、自分の好きなパンやコロッケを買って公園のベンチで食べるというチャレンジをしました。変ですね。でも、お金のことも時間のことも気にせず、やらなくちゃならないという焦りもわきに置いて、ただ、自分の想いのよろこびにひたってみるというとき、何気ない風の心地よさ、草むらの美しさ、じいさんばあさんの仲の良い散歩姿などがしあわせだなあと見えるものたしかです。

自己受容という道のりのほんとうの先にあるものは、わたしたちの純粋な存在を意味するかもしれないな、なんて思いながら、毎日の星読みでまだまだ色々な学びをつづけています。

世界がとても助けあっていること

もしかしたら、わたしたちは、ちょっとしたピンチによって見えるものもあるのかもしれません。できれば何事も困ったことがないのが望ましいのですが、やむをえない状況によって見えるものもあるのかもしれません。

お金というのは不思議なもので、いくらかあるときには見えないものを生み出してしまうようです。でも反対に少なくなってくると、それによって、たくさんの気づきをあたえてくれもします。影響のつよさかもしれません。

たとえば、物の感謝、つながりの感謝はもちろんのこと、不思議なのは、あらゆるものの存在やはたらきにも目に見えないつながりを感じます。二十年も前に買ったペンが、まさにここでやりたいことをやらせてくれている。そのペンが作り出されるにいたったあらゆる背景、ペンをにぎる手の動き、視線、摩擦力……なにがなにやら理解不能な広大な範囲におよぶ感謝と不思議があらわれてきます。もちろん、これはお金のあるなしにかかわらず、今まさに起こっているあらゆる現象のすべてに見ることのできる想いです。洗剤の泡がパチンとはじけても、ここで共にあることへの感謝と不思議がわきおこります。

たくさんの花が咲いていることを知り、たくさんの鳥がさえずっていることを知ります。いろんな不思議があって、わたしたちを支えてくれています。

星読みとまなび

星読みそのものは、まなびの中心ではないかもしれません。ときとして、とても大きなはたらきをしてくれる道具です。わたしと夫にとっては、まなびとのあいだで星読みがたくさんのはたらきをしてくれました。もちろん、星読みをしなくても、勉強やスポーツを通じたり、仕事を通じたりしてたくさんのまなびがあたえられます。だから、何でもいいのかもしれません。

きっと、なにより大切なのは、自分の存在から起こるほんとうの感覚によって立っていることです。たくさんの知識や評価、まわりの反応などのさまざまは、一見すると、とてもしっかりした土台になってくれるように見えます。でも、ほんのわずかな揺らぎがあれば、それはどこかで崩壊してしまいます。けっして揺らがないのは、きっと、自分の存在そのものから起こるほんとうの感覚です。条件にゆだねる必要のない感覚です。これが正解かどうか、じっさいのところはわかりません。だから、わたしたちがひとりひとり確かめなければならないのだと思います。探求ですね。

さいごに

わたしや夫の日常は平凡ですが、ヘトヘトになるくらい、この1年のなかでたくさんのまなびがあるように感じています。もとの出来がよくないせいといえるかもしれませんが、それでも、何歳であってもはじまりの場所に立たなければならないと感じています。はじまりの場所は、もちろん、ほんとうに自分を愛せる場所です。ほんとうに世界のすべてを愛せる場所です。

ちょっとばかりの勇気が必要ですね。わたしのこれからに何が起こるかはわかりませんが、ネイタルチャートの星たちに、天使のようなあたたかさを言葉にこめてひとりひとりの『天詩』をつくってお届けできたらと考えています。準備ができたあかつきには、ぜひ買っていただけると嬉しいです。みなさんのよろこびのひとつとして役立つことを願っています。読んでいただき、ありがとうございました。

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