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愛し方は人それぞれ

オタクとしての推しの愛し方は人それぞれだ。
しかし、そこに生まれる感情は
時に幸せであり、時に苦しみである。

あなたは幸せと苦しみどちらを選びますか?

注意事項

今日は「同担拒否」や「リアコ」についての
お話をしようと思います。
決して、そのような感情を否定する文章を
書くつもりはありません。
ただ、このようなことを苦手だと思う方も
いらっしゃると思うので注意として
書かせていただきました。

では、今日もどうか最後までお付き合い
いただけると幸いです。

それは1つの愛し方

推しに対する感情は人それぞれ。
同拒やリアコだってその中の1つだと思う。

同担拒否というのは、その名の通り
「同担と繋がりたくない」という感情を
持っている人たちのこと。

それはある意味自己防衛だと私は思う。
自分がオタクとして生きる上での苦しみから
自分自身を守るための行動。

リアコというのは「リアル恋」なわけで、
つまり推しに対して本当に恋愛感情を持つこと。

それもまた1つの愛し方だと思う。
だって人は恋をする生き物なのだがら。
その相手が芸能人と言うだけで、
そこら辺の恋をしている人達と何ら変わりは
ないのである。

しかし、そんな人達が気をつけなければならないことは、その愛し方をする上で他人を巻き込んではいけないということだ。

「私の〇〇なのだから触らないで」とか
「同担なんて消えてしまえばいいのに」とか
そういうことを言う人がたまにいる。

その感情をもってしまう事は同拒やリアコを
していればしょうがないことだけれど
それを表に出して言うのはまた別問題だ。

愛し方は人それぞれだけど、その愛し方で
他人を傷付けることはしてはいけない。

そのような感情を表に出して
オタ活を楽しむ人達を苦しませてはいけない。

それは自分がそのような感情を持つ中で
絶対に忘れてはならないことなのだ。

どうか責めないで

最初にも書いた通り同拒やリアコというのは
たまに認めて貰えない時がある。

世の中にはそういう感情を持つ人達を
嫌っている人がいるのも現実だ。

でも、同拒やリアコをしている人達が
日々苦しんでいるということも
どうか忘れないで欲しいのだ。

多くの人が自分でなりたくて同拒やリアコに
なっている訳では無い。
オタクをしてる上で色んな過程があって
最終的にその愛し方を選ばなければ
ならなくなったという人の方が多いと思う。

だからこそ苦しむ人も多い。
多くの人がそんな自分の感情に苦しみを
覚えているのだ。

そして、そのような感情を持つ自分を1番苦しくて辞めたいと思っているのは自分自身なのだ。

「それなら辞めたらいいだろう?」
そうつぶやく人は沢山いる。

辞めれたらこんなに苦しむことなんかない。
離れられたらこんなに辛いこともない。
どれだけ苦しくても辛くても離れられないから
苦しみ続けなければならないのである。

同拒やリアコであることを辞めたいと
思っている人は世の中にたくさんいる。
そんな自分を変えたいと思っている人も
たくさんいる。

だからどうかそんな彼らを責めないで欲しい。
彼らも日々戦っているのだから。

私の過去

こんな話をしている筆者もまた同拒をする
オタクの1人である。

それについては「突然の筆者紹介」という記事で
少しだけ書かせてもらった。

ここに書かれている通り私は「登坂」という
人物に長年同拒をしている。

登坂に対する同拒はだいぶ重症だと思う。

リアコまで発症していた頃の私は日々苦しみと
戦うことしかしていなかった。

私の持っていないグッズを持つ人を恨み
私より前でライブを見る人に嫉妬し
私の前で愛をつぶやく人を怒り
全てが私のものだと思うことが幸せだった。

しかし、それは多くの苦しみをもたらした。

ライブに行っても、自分より近くの席に座る同担を見て嫉妬して、せっかく楽しむべきライブがモヤモヤしたまま終わることも多くあった。

私は彼のインスタライブを最後まで
見れたことがない。
コメントする人達を見て拒否してしまうからだ。

それはほかのことでも同じで、
同担の投稿やツイートを見ることを恐れるあまり
私はSNSをすることさえ怖くなってしまった。

今の私はリアコを卒業した。

ライブに行ってもほかのことを気にする前に
「彼と同じ空間に生きていられるだけで幸せだ」
と感じられるくらいにはなった。
ライブも楽しめるようになった。

それでも同拒はやめられない。
未だにインスタライブを見ることは出来ない。
日々、身近な人に同担がいないことを願いながら
同担と出会わないか怯えながら生きている。

そんな苦しみから逃れたくて
何度も直そうとした。
だけど、無理だった。

多分これは一生無理なのだと悟った。

だから私は今日も少し怯えながら
彼を愛することしか出来ない。

これからの私

ホシくんと出会ってから私は初めて
楽しいオタクを経験した。

同担と推しについて語ることがこんなにも
楽しいことなのかと実感した。
SNSでCARATの人達と繋がることがこんなにも
楽しい日々を与えてくれるのかと実感した。

だから私は絶対に一線を超えないと誓った。

ホシくんと生きる世界だけは苦しみたくない。
ホシくんと生きる間は前に苦しんだ分、
思う存分楽しいオタ活をしようと思った。

だから一線を超えないように自分で規制を
かけることにした。
登坂で培ってきた経験を元に
これ以上踏み込んだらダメだというラインを決め
その一線を超えないようにしてきた。

しかし、実際それはなかなか苦しいのである。
私も余裕をもって踏みとどまっている訳ではなく
日々、あと一歩踏み出せば超えてしまうくらいに
ギリギリのところで戦っている。

それでも越えようとは思わない。

登坂を追っていた頃を振り返れば
1番幸せだったオタク人生だったと思う。
でも、私の中で1番辛いオタク人生でもあった。

私は知っている。
その一線を超えた先の満ち溢れた幸せを。
でも、その先に待ち受ける苦しみも同時に
知ってしまっているのだ。

そして、一度超えてしまえば後戻り出来ないことも知っている。

だからこそ、超えない。

今以上の苦しみを一生味わうくらいなら
今の苦しみに耐えることを私は選んだ。

だから今日も私は自分を抑え込む。
自分の感情から目を背ける。

それがこれからの私の愛し方。





そんな私に人は言う。
「それならもういっその事辞めなよ。」

そう出来たらどれだけ楽なことか。
人は知らない。何も知らない。

言ったでしょ?
離れられるならとっくに離れてる、と。
離れられないから苦しみ続けるんだ。

それほどにあなたに惚れてしまったのだから。

そう、これはある意味罪なのだ。
私が日々耐え続けなければならないのは
彼にそこまで溺れてしまった罪。

だから今日も私は彼を愛するために
苦しみに耐えながら生きる。

あなたを愛せるのなら
このくらいの罪はどうってことないと思って…

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