星色カラス/小児がん経験者

小児がんになって、再発して、二次がんになって、そしてまさかの40代はじめで閉経の予感……

星色カラス/小児がん経験者

小児がんになって、再発して、二次がんになって、そしてまさかの40代はじめで閉経の予感……そうきたか💦でも!それでも!!今この瞬間のご飯はサイコーにおいしい!そんな女の闘病備忘録&日々のちょっとしたことです。

最近の記事

身体をほめよう

2022年4月以降パタっととまっていた投稿、再開します。 社会人になって以降、晩期障害(早期閉経)以外大きな不調もなく過ごしていましたが、40代半ばになるとそれなりに出てくるものですね。 「寛解」となってから落ちたことのなかった食欲にかげりが出て胃カメラ、ついでに大腸カメラを受けました。結果、胃はクリーンだったのですが大腸にまあまあの大きさのポリープが見つかったり、ストレスからなのか突発性難聴になったり。 誰でも、加齢とともに大なり小なり不調は出てきますからね。それらを抱

    • 小児がん闘病記③〜「小児科がない病院」

      東京でお世話になった病院には小児科がありませんでした。小さい子供がめずらしいのもあり、病室のみなさんもあれこれと気にかけて下さいました。そのやさしさが付き添いながら心身削られる思いだった母にはどんなに有り難かったことか。 当の本人は「おみくじつくったよー!」とか言って、ベッドを回って相手してもらうという脳天気ぶり。しっかり「凶」も入れちゃってたような……あー、反省しきりです。 小児科がないということは子供の細い血管に対応するのも大変ということで、看護婦さんもお世話になった

      • 整くん、ありがとう

        フジテレビ系ドラマ「ミステリと言う勿れ」が人気でしたね。 原作漫画も好きなので、ドラマも盛り上がりました〜。 その第5話。主人公・久能整くん(菅田将暉さん)と病室で知り合った牛田さん(小日向文夫さん)のやりとりが話題になっていました。 以下、少し引用させていただきます。 ・・・・・・・・・・・・ 整くん:僕ずっと疑問に思ってました。どうして「闘病」って言うんだろう。「闘(たたか)う」と言うから勝ち負けがつく。 「病には勝てず」「病気に負けて」「闘病の末、力尽きて」どうし

        • 小児がんとウィッグ

          ただいま3度めのヘアドネーションのため髪を伸ばし中です。 寄付された髪の毛を医療用ウィッグにするという夢みたいな活動を知ってから、髪の手入れもマメになっていいことだらけ! 抗がん剤で初めて髪が抜け落ちたのは8才。あのころは治療、治療の日々でお出かけする機会なんてあまりなかったけれど、それでも正直カツラがほしかった。 母は「カツラなんていらない。帽子やバンダナのほうがオシャレだよ!」と言って、かわいい帽子を被せてくれたけどーー坊主頭に帽子はやっぱり"坊主"だよ〜、と心の中で思

          見たことないほど細い首

          発病から時間の流れに沿ってブログを書けたら分かりやすいんだけどなぁーーと思いつつ、あまりとらわれずにいこうかなと思っているこの頃。 そのときに書きたいこと、書けることを。 というわけで、最近枕が合わない首のお話し。 私の首、とてもとても細いです。 「こんなに細い首の人には初めて会いました」 と言われます。 私も見たことがないです。 細くなった理由は、放射線治療。 癌をたたくための放射線は健康な組織も傷つけてしまいます。なので、身体が成長しても照射箇所は成長できなかっ

          見たことないほど細い首

          歳を重ねられるということ

          久々の投稿です。 久々というか…まるッと夏を飛び越えました。 そのあいだに歳を一つ重ね、43歳に。 歳をとると「誕生日はもう嬉しくない」と言う方もいますよね。 確かにシミ・シワが増えるのは歓迎できない… けれど! わたしは「元気に一年越したぞ〜」とガッツポーズ。 家族とも「発病から35年!ここまできたね!やったね!」とグータッチ。 たぶん40年経っても、50年経っても、「ここまできたなぁ」という感慨とともに生きていくんだろうなぁ。 あのとき尽力して下さったお医者さま、

          歳を重ねられるということ

          元小児がん患者にだって触れられたくない傷の一つや二つある

          ブログのために昔のあれこれを思い起こしていると時ときおり困ったことが。 それは、まさかの ⚫︎病院の夢をみる ⚫︎傷がゾワゾワする 小2で発病してから三十数年が経ち、自分でも「そんなバカな」と思うんですが、身体が覚えてるのかなぁ。 いつもはほとんど夢もみずに寝ているので、潜在意識ってやつはすごい。 そして、傷。 いろんなものを克服してきたつもりでも、どうにもならなかったウィークポイントが4箇所も…。 ⚫︎左手首…カットダウン(切開して血管を露出させ、カテーテルを挿

          元小児がん患者にだって触れられたくない傷の一つや二つある

          心がよろこぶものを食べよう

          最近の投稿を読み返すと 東京の病院で食べたもの ・インスタントラーメン ・ハンバーガー 具合悪いのにわざわざ……ジャンクフードばかり! ジャンクフードやファストフード、元々食べるほうではなかったんですよ。 だからといって野菜をもりもり食べるわけでもなく、ごくフツーの食生活。カレーや唐揚げウエルカム!お菓子大好き!の子どもらしい子どもでした。 病気になると「食生活がいけなかったのかな」って思ったりしますよね。親は特に。 でも生活習慣に大きく影響される大人のがんと違い、小

          心がよろこぶものを食べよう

          小児がん闘病②〜「口から入ればなんでも栄養」

          東京での治療は放射線に決まりました。 新生児の頭サイズにまで大きくなった首の腫れ物を、まずは放射線で小さくする。 大き過ぎること、そして何より首にはたくさんの神経がはしっているので手術で取るのは難しかったようです。 首の照射部位には「+」がつけられました。 リニアック室では寝台に一人。放射線照射中は絶対に動いてはいけないので身体を軽く固定されます。患部以外を放射線から守るために重たい鉛のカバー(たぶん)で胴を覆われていたような記憶も。 治療自体は痛くはないんですけれど、何と

          小児がん闘病②〜「口から入ればなんでも栄養」

          小児がん闘病①〜「今ならまだ助かる」

          東京で再び生検をして、ようやく悪性リンパ腫と診断されました。 首の腫れは、そのときすでに新生児の頭くらいの大きさになっていました。 主治医はK先生。 「今ならまだ助かる」と母に言ってくれたそうです。 小児科のない病院だったので、入院は頭頸科。その名のとおり、頭と首の病気専門です。 病棟はもちろん大人ばかり。引っ込み思案だった私はずっと母の後ろにくっついていました。 子供だからと特別に自分用のテレビを持つことを許可してくれました。(他の患者さんは、談話室のテレビだけ!)

          小児がん闘病①〜「今ならまだ助かる」

          発病⑥〜生検で分かった「悪性リンパ腫」

          東京では当時大塚にあった病院に入院しました。がん専門の病院です。 初めて外来に行った日は、検査、検査、検査。 初めて「耳採血」をされたのもこの時でした。 耳から血を採るという説明にパニック状態、大泣き。 「耳から⁉︎どうやって⁉︎注射⁉︎どういうこと〜〜〜⁉︎⁉︎⁉︎」 「ちょっとだけ耳たぶを切るけど、チクっとするだけだよ」とか、教えてくれるだけで子どもは落ち着くと思うんです。どんなことをするのか知らないでされるのが一番怖いもんなぁ。 そして最後には、あのつらーい「生

          発病⑥〜生検で分かった「悪性リンパ腫」

          父に感謝のhandkerchieftree

          handkerchieftree ハンカチを振っているかのような花からついた名前。 毎年父の誕生日、そして命日の頃に咲きます。 4年前、別れは想像以上に突然でした。 背後からさらわれるように。 自分自身死を覚悟するような病をしたのに、死は誰にでもくるものだと分かっていたはずなのに……それでも、心はついてこないものですね。 私が病気と向き合い超えられるよう、守ってくれた父でした。 病気の子供を支える家族というのは大変です。 看病する母親。 家族不在に耐える兄弟姉妹。

          父に感謝のhandkerchieftree

          発病⑤〜ありがとうミッキー

          伯母の一言でやってきた東京。お世話になるのは全国から患者さんがやってくる大きな病院でした。 入院の日程も決まらないうちに飛んできたので、ベッドが空くまでは親戚のところに。初めてそこで見た金木犀の甘い香りが、東京の最初の記憶です。 入院の前に少しでも楽しませようと両親はディズニーランドにも連れて行ってくれました。 アトラクションを2つ楽しんで、最後はミッキーと記念撮影。 そしたら! なんと! ミッキーが私の腫れた首にチュッ!!ってするじゃぁないですか。 痛くはないんですけ

          発病⑤〜ありがとうミッキー

          発病④〜「深夜の電話」が生命をすくってくれた

          どこの病院でも何の病気なのか分からないまま、札幌でも一、ニの大きな病院・H大附属病院を受診、そして入院することが決まりました。 道内から沢山の患者さんが来る大学病院だったので、ベッドが空くまで待つことに。 本人は具合の悪さにひたすら耐えるだけなのですが、それをただ見守るしかなかった家族はどんな思いだったのか……。 そんなある日、深夜に電話が。 「このまま入院を待ってたんじゃ駄目。東京の病院に行く手はずを整えるから、すぐに飛びなさい」 伯母からでした。 聞きながら母の手

          発病④〜「深夜の電話」が生命をすくってくれた

          発病③〜診断がつかないという辛さ

          初の生検で診断がつかず、そのまま退院となりました。 途方にくれながらも、親戚、知人らから病院の情報を集める日々。 私の首の腫れは大きくなり体調もますます悪くなっていきました。 覚えているのは、祖母が「腫れ物にはアロエ湿布がいい」と育てていたアロエを切って首に当ててくれたこと。また頻繁にオネショをするようになり、オムツをつけられたこと。具合が悪い中でもボンヤリと「小2なのに恥ずかしいなぁ」と思いました。 そんなある日、親戚に勧められた病院へ行くことに。そこから紹介されてK

          発病③〜診断がつかないという辛さ

          2月は希少がん啓発月間

          札幌もすっかり雪がとけました。 春の花々も咲き始め、そわそわウキウキの星色カラスです。 そわそわとバタバタに追われて久々の投稿です。なので、ちょっと前の話になりますが、今年から2月が「希少がん啓発月間」になったのをご存知でしょうか。 「希少がん」は人口10万人当たりの罹患患者が1年間で6人未満のまれながんのことを呼ぶそうです。小児がんも全て希少がんです。 大きな課題として ①標準治療が存在しない ②診断が難しい ③治療可能な施設が限られている があげられます。 ①の標