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【vol.4】 ライフとワークの自分軸 その①


■8年近く正社員として働いていた事務所を退職しています。

退職を決めるポイントがいくつか重なった結果なのですが、一番は私の正義感の強さ。早く言えば、大人の世界に馴染めなかったことにあります。
『長になるか、退職するか』という選択肢を突きつけられる元理事長との面接がありました。それを『勢力に流されるか、正義を通すか』と読み換える自分がいて、退職を自分で選択した感じです。

■計画退職

先の面接では、退職するとは直接言わず、『私には引き受けられる器が残念ながらないと思います』とだけ回答した。今までも、何年にもわたり打診はあった(該当ポストの方が定年を超えた頃から時間の問題だった、本人からも打診されていた)けれど、実はずっと逃げてきた。なぜなら歴代そのポストは○産省経験者だったから。私は該当しない。

それでも元理事長は、一番最初に改めて私に直接声をかけてきた。私はそれを断った。

そして数ヶ月後、私が断ったポストの後任が決まった。その瞬間に退職カウントダウンははじまったと覚悟を決めた。

■退職願を預ける

私に打診があったのは、所属団体ではなく、その上の上部団体の長。
直属の上司とは、良好な関係。迷惑かけたくないので、と言って退職願を託した。退職願のいいところは自分で退職日を設定できるところ。私は計算を重ねて半年後に設定した。40日近く残っている有給を全部消化しただけでは飽き足らず、追加で20日新たに有給が発生するタイミングを挟んだ。それらの有給を消化するためにも半年は必要だった。有給が発生するタイミングより在籍が1日でも過ぎると退職金の計算が変わってくるのも実は計算していた。
半年後が年度末。いろいろ報告書を事業担当者として作成するところまで責任を持ちたい。表向きにも正当な理由らしいではないか。私は天才か。

■人生の必要な充電期間と割り切る

前にも書いたけれど、私は人生を全力で突っ走った。

子どもを育てながらのフルタイム。ほぼ4時間睡眠が続いていた。海外出張も年に1度は行っていた。コロナ直前にヨーロッパも行ってる。プラスして後半2年は毎月新幹線乗った宿泊出張も行っていた。離れてはじめて分かるんだけれど、軸になる仕事は天職だったかもとさえ今は思う。
退職を聞きつけ、退職前1週間は毎日いろいろな方から電話貰ったり、直接会いに時間をとって事務所に来てくれる人がいたり。仕事を振っていた外注先の方から、一緒に机を並べて仕事してる訳じゃない人からも、毎日贈り物が届いたり、代わる代わる色んな人にお昼ごはんご馳走になったり。
大人の勢力争いに負けて、敵も作ったけれど、ちゃんと見てくれてる人がいっぱいいたのが分かった。何で私が辞めなきゃいけないんだ、と思い悩む時期もありながら、最後になって自分のやってきたことは正しかったと自分を肯定できる様になった。敵は声が大きいだけで片手くらい。声の大きい人のためだけに仕事をしたいと思えなかった。
私には応援してくれていた人が沢山いて、この人たちのために(orこの人たちと)仕事したかったのだと改めて実感した。私が過ごした8年はちゃんと届く人には届いていたと思えて嬉しかった。

失業手当以外にも利用できるものがハロワにあります。教育訓練給付金です。私は専門実践教育訓練を受講しました。訓練の種類にもよりますが、受講費用の50%が支給され、訓練後1年以内で就職が決まると更に20%、合わせて最大70%が戻ってきます。私はそれらの制度も利用して充電期間と割り切ることにしました。

先に書いた通り、退職願を出しているので、本来は自己都合なんだけれど、事業縮小による会社都合としてくれた。まあ当たらずも遠からずだし、このコロナ禍なので世間的にも無難だ。離職理由って案外、気にされていない方もいると思われるが、離職理由が会社都合の場合、世帯所得にもよるが、退職後の国民年金やら、国民健康保険の保険料が減免になったりする。このコロナ禍ではプー太郎手当の『支給期間延長』にも該当するか、しないか、という事にもつながる。
離職票上の離職理由のコントロールはできないと思われる方は多いと思いますが、『自己都合にしてくれないか』という会社からの申し出に慎重になる事はできると思います。会社都合退職が続くと、ハロワ由来の補助金の資格に会社も関係してくる場合があり、そこら辺に交渉が入ってくる余地があります。休職中に貰える金額、期間、払う保険料にこちらも大きく関わることを頭の片隅に置いておくと良いかもしれません。

■起業or会社員か

専門実践教育訓練を受講する中で、いろいろな学びがありました。具体的には金融・財務、マーケティング、ビジネススキルから『幸福学』『心理行動学』まで。もともと経理が担当だったけれど、最後はブランディングとかマーケティング関連の事業も回していたので、答え合わせ(自分でやってきたことの正当化)のつもりで受講しようと思ったのかもしれません。

講義の中で、『40代は組織にチャレンジする最後のチャンス』という言葉が刺さり、ずっとWeb上に放置していた履歴書からのスカウトメールに返信してみる気になりまして、そのリアクションを機に話が進み、2週間後には会計事務所に在籍していました。

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