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星になりたい 安全地帯の歴史11

1993年、ソニーに移籍した玉置さんはたった一人で作った、自叙伝とも言えるアルバムを発表する。

「カリント工場の煙突の上に」


前作「あこがれ」からは半年後という短い期間でのリリースとなった。


当時、人間不信に陥り精神を患っていたらしい。
音楽をやめて故郷に帰ろうと考えていたとの事。

このアルバムは玉置さん曰く
「奇跡の1枚」との事。
リリース出来たのが奇跡だと。
たしかに一切売れ線など考えられておらず、演奏も全て玉置さんによる結構ラフなものであり、歌詞を含めた世界観は、玉置さんの孤独で理解してもらえない苦しみ、離れてしまった故郷にただ思いを寄せる精神世界が表現されている。

それまでの安全地帯、玉置浩二という存在を全て否定する様な、本当の僕はこうなんだ、分かってくれと泣きながら伝えている様な1枚。

たしかにこんなアルバムは、何処にもないかもしれない。

僕はこのアルバムは、どうしても死というものを連想してしまう。
ただ望郷の念で作られた作品ではない。


「大空よ僕をあの場所ヘ連れていってくれ」


飛躍した感じ方かもしれないが、この時の玉置さんはたぶん死を意識しながら、この作品を作ったのではないかと思ってます。

玉置浩二というアーティストの遺書の様だ。


出たばかりのこの作品を聴きながら、僕は取ったばかりの免許で、大好きなバイクに跨って北海道を目指します。


あこがれの北海道。
旭川を含め、行ってみたい所はいっぱいあった。
新潟からフェリーに乗り、早朝の小樽に到着。
魚市場でご飯食べたり、街を観光したり、札幌も急ぎ足で有名な観光地を巡ったり。

でもやっぱり聖地旭川に気持ちが向きます。


安全地帯の聖地旭川の駅。
当時はネットもなくファンクラブ会報が情報源。


地図を片手に、ジャケットやパンフレットの撮影場所を巡ったり、神居という地名を見つけてなんとなくバイクで走り周ってみたり。


安全地帯Ⅷのジャケット裏面の木。


一番行きたかった、安全地帯の合宿場所だったレストラン。
ハーベストロードハウスには辿り着けず。


永山という地名だけでは、全く場所が分からず辿り着けず。


現在の姿。お洒落な結婚式場になっているらしい。


夜は玉置さんのお兄さんがやっているというスナック。
「セフティゾーンたまき」にお邪魔する。


玉置さんのお兄さんにドキドキしながらお話させていただきました。


目の前に玉置さんのお兄さん、その横には玉置さんの従兄弟のお姉さん。
緊張のあまり、勧められるがままお酒を飲み酩酊状態に。
正直記憶があまりないのです。。。
勿体ない事しました。
夜ヒットに初めて出た時の裏話とか、いろいろ聞いた様な。
お店の常連さんにもよくしていただきました。

ともかく楽しく過ごした旭川。
今みたいに情報はすぐに出ては来ないけど、自分の足で探してドキドキしながら行ってと、安全地帯の足跡を辿った旅でした。


さて、玉置さんの音楽活動に話を戻します。

カリント工場の煙突の上にをリリースして以降ツアーもなく、単発でのコンサートとここ数年多くなった俳優活動がメイン。


たけしさんには名曲「嘲笑」を提供する。


本田美奈子さんとの共演「夢の帰る場所」

どちらの作品も最後に死が待っているという役柄。
不器用で世間に馴染めない、だけど頑なに何かを信じている孤独な男を熱演。

この時の玉置さんの素の姿だったかもしれない。


94年の年末、約1年半振りにやっと新作アルバムが発表される。

LOVE SONG BLUE」


前作とは打って変わり、ゴージャスな音と華やかなアレンジ。安全地帯時代を思い出す作品。


以前チャリティーコンサートで仮歌だった曲もここで完成。
「愛してるよ」「星になりたい」等。
個人的には「最高でしょ」が好き。
ドラマ主題歌にも起用された「LOVE SONG」がシングルカット。

安全地帯を思わせる作品になって、少しホッとしたというのが本音。


この当時は詩集を出したり、絵を描いて個展を開いたりとマルチな活動をしていた。


音楽をしている人は、絵も上手だったりしますが、玉置さんも絵心があるのですね。

しかしコンサートは単発で数回あっただけで、なかなか生で歌う姿を観れず約2年が過ぎていた。

新しいアルバム出たからツアーを期待して待っていたが、なかなかツアーが発表されない。

「正義の味方」ツアーが始まるまで、また半年くらい待つことになる。



今回はここまでにします。
ご覧いただきありがとうございます。
イイネ、ご感想お待ちしております。

次回は久しぶりのコンサートと、ついに再ブレイクする「田園」について書いてみたいと思います。

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