HOSHI

猫と安全地帯が好き。 文章書くのも好き。 基本的にXにポストしてますが、長文はnote…

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猫と安全地帯が好き。 文章書くのも好き。 基本的にXにポストしてますが、長文はnoteに書いてます。 2年前にスキルス胃がんステージⅣの宣告を受け、現在は抗がん剤で治療中。 必死に生きてます。 応援等は→ https://ofuse.me/hoshina

最近の記事

今までありがとうございました。

低浮上ですみません。 メッセージとかラインをいただきますが、お返事出来ない状態が続いてます。 ごめんなさい。 また入院になると思います。 なので、意識あるうちに。 最後の投稿になると思います。 たぶん返信出来ないですが、お許しを。 今までありがとうございました。 感謝してます。

    • 今の気持ち

      僕は今まで 諦めず、どんなに辛くても歯を食いしばり頑張ってきた。 何と言われても どうって事ないよとやり過ごし精一杯やった。 でもね、どうしようもない事ってあるんだな。 報われない事も人生において、たくさんあるよね。 だけど、やるだけやったという事実は自分に残るから。 今はすごく納得している。 自暴自棄にもならないし、何かのせいにしたりもしない。 自分でもビックリする位、落ち着いている。 だからね 人生って結果もとても大事だけど 自分が納得したかどうか

      • スペード 安全地帯の歴史 17

        だいぶご無沙汰してしまいました。 ちょっとプライベートな事を書くと、やっていた飲食店を手放し、それに伴いいろいろな引き継ぎや、自分自身の病気の事もあり、精神的にも肉体的にもちょっと大変な時期でした。 でもそんな時は、やっぱり仲間が励ましてくれたり、なんとあるイベントでは玉置さんのお兄さんとお話しさせていただく事も出来たりと、なかなか人生も捨てたもんじゃないなという気持ちでいます。 前回は、玉置さんのアルバム「ニセモノ」を書きましたので、今回は2001年に発表されたアルバム

        • ただの人間。

          終わりよければすべて良し。 細かい事は気にしなくて良し。 あなたも私もただの人間。 どんぐりの背比べしてても、目くそが鼻くそ笑っても。 あなたも私もただの人間。 どう思っても、どう思われても、大した問題じゃない。 棺桶までは持っていけないから。 今日生きていれば、それで良し。

        今までありがとうございました。

          断捨離

          断捨離。 よく言われる言葉だけども。 本当の意味は、不要なヒトやモノを捨てればいいって事じゃない。 実際いっぱい捨ててみて、さて自分の周りに何が残ったか? 本当に捨てるべきは、ヒトやモノだったのか? 自分の凝り固まった固定観念こそ、断捨離するべきだったんじゃないか? そんな事を考えています。 僕もいっぱいいろんな事を断って、捨てて、離れてみたけれど。 見えてくるのは、ちっぽけな自分しかない訳です。 ヒトやモノのせいにしてみたけれど、実際の所は痛々しい自分がそこ

          断捨離

          一区切り。

          今日で、一応の区切りがついた。 樹木希林さんが、ガンで死ぬ事は 「死ぬ準備が出来るんだから、悪い事じゃないのよ。」 って話をしてたのを思い出した。 ネガティブな感情じゃなく、素直に本当にそうだなと思う。 だって死んでまで迷惑かけたくないもの。 だから準備はする。 人間いつか死は訪れるから。 覚悟は決まっていれば、いちいち狼狽える事もない。 やれる事はやった。 だから明日その日が来ようとも。 そう思えるのは、幸せな事だよね。 こう書いてしまうと 「諦め

          一区切り。

          凡人 安全地帯の歴史16

          僕の安全地帯と玉置さんの備忘録。 いろいろあって、だいぶ久しぶりの更新になってしまいました。 去年の11月以来ですね。 玉置さんの久しぶりのバンドツアーの最終日に行ける事になって、ファン仲間の皆様と会えたのもいい思い出です。 またこちらもぼちぼちと書いていきたいと思いますので、よかったらお付き合い下さい。 前回の続き、2000年を迎えた頃の事です。 玉置さんのツアーにも安全地帯のメンバーが加わり、安全地帯時代の名曲をセルフ・カバーしたアルバム「ワインレッドの心」を出した

          凡人 安全地帯の歴史16

          お客様へ

          お客様各位 いつもSOBAR保科をご愛顧いただき、ありがとうございます。 度々お伝えしております通り、闘病生活をしながら営業を続けてきましたが、地元企業の方が私の経営からこのまま引き継いでいただける事になりました。 私自身もお店に立つのが、かなり辛い状況になってきており、今月30日をもちましてお店をお譲りする事になりました。 お店は来年1月中は引き継ぎ期間としてお休みさせていただき、2月1日よりリニューアルしてオープンさせていただきます。 ご来店いただいたお客様には

          お客様へ

          生きる選択、死ぬ選択。

          たぶん僕は1年後、この世にはいないだろう。 こんな事書くと、「またまたそんな事言って」とか、「もうちょい頑張ってよ」とか言われてしまうのですが。 死ぬぞ死ぬぞ詐欺でもなく、人間どんなに元気でも死ぬリスクはゼロではない。 車にはねられた、通り魔に刺された、北朝鮮からのミサイルに殺られるかもしれない。 でもまぁ、かもしれないってレベルであり、現状にはゼロに近い可能性。 おとぎ話位のものだ。 ただこちらは、医師から結構現実として受け入れないといけないレベルで言われている。

          生きる選択、死ぬ選択。

          ワインレッドの心 安全地帯の歴史15

          1998年の出来事です。 東京を離れて、軽井沢のウッドストックスタジオの近くに移住した玉置さんは、新たな音楽と人生のパートナーの安藤さと子さんと一緒に音楽活動を始めます。 ほとんどテレビ出演等もなくなり、ごくたまに「あの人はいま」的な感じで取り上げられる程度に。 玉置さんも東京時代のたくさんいた、芸能関係のお付き合い等は断ち切っていた様で。 「誰とも連絡とってない状態」だったという。 音楽仙人の様な生活を送っていたらしい。 僕は軽井沢に好きなお店があって、ごくたまに行

          ワインレッドの心 安全地帯の歴史15

          JUNK LAND 安全地帯の歴史14

          1997年の出来事です。 長々とこのNOTEで連載させていただきましたが、多分あと数回で終える予定です。 よかったらお付き合いください! 97年の玉置さんは俳優活動が多く、ざっとご紹介する感じだと。 まずはお正月から連続ドラマに出演。 「メロディ」 キツイ奴ら以来となる、小林薫さんとのコンビ復活、80年代の同じ時代のビックアイドル小泉今日子さんとの共演。 僕的には嬉しいキャスティングでした。 忙しくて、いつも録画したのを観てた思い出が。 続いて 「恋は舞い降りた」

          JUNK LAND 安全地帯の歴史14

          CAFE JAPAN 安全地帯の歴史13

          1996年は「田園」の大ヒット、アルバム「CAFE JAPAN」のリリースと音楽活動でもいい方向に行った玉置さん。 実はその前に、憧れの人達との共演があったのです。 「アースデイ'96」というイベントで、アマ時代にコピーしていたというドゥービー・ブラザーズとの共演。 玉置浩二with安全地帯という名義でした。 六土さん、田中さん、矢萩さんが参加。 まぁ共演と言っても、陽水さんの時の様に一緒にステージをするという感じではなかったのですが。 でも憧れのアーティストと同じス

          CAFE JAPAN 安全地帯の歴史13

          田園  安全地帯の歴史12

          1995年の出来事です。 前年の年末に新作アルバムを発表したのに、すぐにツアーがなかったのは、日本とオーストラリアの共同制作のテレビ映画に主演する為、長期間のオーストラリアでのロケがあった為だった。 この役の為に玉置さんは体重を落とし、頭を丸刈りに。 役どころは、終戦間近の銃の名手の日本兵。 ジャングルで対峙する兵士たち。 それぞれの人生、それぞれの経緯で殺し合いの戦地で対峙する二人の兵士。 お互いに銃の残りの弾は一発のみ。 その最後の弾丸を、お互い何に使ったのか。 とい

          田園  安全地帯の歴史12

          星になりたい 安全地帯の歴史11

          1993年、ソニーに移籍した玉置さんはたった一人で作った、自叙伝とも言えるアルバムを発表する。 「カリント工場の煙突の上に」 このアルバムは玉置さん曰く 「奇跡の1枚」との事。 リリース出来たのが奇跡だと。 たしかに一切売れ線など考えられておらず、演奏も全て玉置さんによる結構ラフなものであり、歌詞を含めた世界観は、玉置さんの孤独で理解してもらえない苦しみ、離れてしまった故郷にただ思いを寄せる精神世界が表現されている。 それまでの安全地帯、玉置浩二という存在を全て否定する

          星になりたい 安全地帯の歴史11

          ひとりぼっちのエール 安全地帯の歴史⑩

          1993年。 この年は激動の年、迷走と言っても良いかもしれません。 年明けてすぐに、玉置さんソロで長年制作していたバラードアルバムが、数年かけてやっと完成するという。 ずっと詞が決まらず、もう完成しないんじゃないかと言われたらしいが、その後の玉置さんの音楽活動をサポートする事になる、須藤晃さんが作詞を担当する事になった。 須藤晃さんはソニーレコードの名物プロデューサーで、尾崎豊さん浜田省吾さん等の大物アーティストを担当されていた。 僕は尾崎さんも浜省さんも好きで聴いてい

          ひとりぼっちのエール 安全地帯の歴史⑩

          あの頃へ 安全地帯との歴史⑨

          1992年の出来事です。 安全地帯はデビュー10周年を迎え、長年のファンの為にライブハウスでのコンサートを企画してるとの情報が。 ライブハウス規模でのコンサート、という事になるとブレイクしたワインレッドの心の頃以来となる。 会場はクラブチッタ川崎で2daysライブ。 1日2公演、たしか一回目18時からと、二回目21時から。 オールスタンディングでのライブ。 サポートメンバーもなしの本当に久しぶりの5人だけのステージ。 アコースティック楽器のみでの演奏(通常は電子機器で、

          あの頃へ 安全地帯との歴史⑨