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ワインレッドの心 安全地帯の歴史15

1998年の出来事です。
東京を離れて、軽井沢のウッドストックスタジオの近くに移住した玉置さんは、新たな音楽と人生のパートナーの安藤さと子さんと一緒に音楽活動を始めます。

ほとんどテレビ出演等もなくなり、ごくたまに「あの人はいま」的な感じで取り上げられる程度に。

玉置さんも東京時代のたくさんいた、芸能関係のお付き合い等は断ち切っていた様で。

「誰とも連絡とってない状態」だったという。
音楽仙人の様な生活を送っていたらしい。

僕は軽井沢に好きなお店があって、ごくたまに行くのですが、このスタジオの辺りも車で通りますが本当に何もない所というか。

こんな感じの景色がずっと続きます。


軽井沢自体がセレブ層の別荘地なので、本当に静かな所なのですが。
拠点にされていた、ウッドストックスタジオは今はもうない様です、でもあの玉置さんが気に入っただけあって、とても素晴らしい音楽スタジオだった様です。

そういえば当時久しぶりにテレビ出演した時、桃井かおりさんに「仙人みたいになっちゃったねぇ」と言われてました。

まさしくそんな感じで、軽井沢時代の作品は今までと路線が変わっていきます。


まずはファンハウス移籍第一弾アルバム。

「GRAND LOVE」


前作JUNKLANDから、8ヶ月後のリリース。


玉置さん安藤さんの二人で制作されている。


このアルバムは今までのキャリアで、作曲だけは誰の手にも委ねなかった玉置さんが、初めて自分の曲以外を加えた作品。

余談ですが、安全地帯のワインレッドの心が売れる前、売れそうな曲を陽水さんに頼んだらどうか?という話がディレクターからあったのだが、玉置さんが断固拒否した。

「曲は俺が作る、でなければ北海道に帰る」

と言うとたった一週間で、ワインレッドの心や恋の予感、プルシアンブルーの肖像等の、後のヒット曲の原型を作ってきたらしい。

陽水さんをも押しのける、作曲へのこだわりを安藤さんには譲ってしまう位、当時ベタ惚れだったのでしょうね。

「願い」は安藤さんとの共作曲。
「ワルツ」は安藤さんの曲。
これは今までになかった事。

「このアルバムは、願いという曲の為に作った様なもの。あとは付け足し」

と玉置さんが語ってました。


確かに「願い」は良い曲です。
僕も好きです。
しかしアルバムを最初聴いた感想は
「地味だな」
が、正直な感想です。

こっちの路線に行ってしまったか。
という。

軽井沢時代の作品全てに言えますが、良さが分かるまで、僕はちょっと時間がかかりました。


玉置さんは「すごく精神が安定した」との事ですが、その安定が僕は少しもの足りなかったというか。
毒がないというか。
驚きがないというか。
キライじゃないんだけど、そっちじゃないよー、というか。
(個人の感想です。)


エロさ満点のセクシー路線かと思いきや、童謡みたいな曲を歌ったり、ソウル・ミュージックの感じも歌い、シャウト満載の激しいロックも歌い、囁く様なウィスパーボイスでも歌い、とにかく変幻自在でいろんなタイプの曲が歌えて、しかもそのどれもが異常に上手い。

まぁ天才ですよね、歌の。
それが玉置さんというか。


次はどんな曲が来るのかな、どんなアルバムなのかなってのも、僕は玉置さんの魅力だったので、軽井沢時代の安定な感じは、正直少し興味が薄れてしまったのも事実です。

全部同じ感じに聴こえてしまうというか。
好きな人、ごめんなさい。


そして僕自身は仕事も忙しくて、だんだん都合がつかなくなったのもありますが、この頃からコンサートも足が遠のいてしまいます。

今までは、どんなに忙しくてもツアーに年に1回位は参加出来たのですが。


数えてみたら、1998年から2010年の完全復活までの12年間で、コンサート行けたのは、たったの3回。

飲食店での独立開業とかあったからですが、僕自身の年間休日が10日とか、独立開業して数年は本当にそんな感じだったので。
今で言うブラックな働き方ですね。


しかし何があっても、玉置さんの音楽や安全地帯がキライになった訳じゃないので。
コンサートには行けずとも、ずっと聴いていました。
もちろん新作アルバムが発売されれば、全部買ってました。


でも、熱量は少し下がっていた時期だったかなとは思います。

この先は、ちょっとトーンが変わってしまうかもしれないですが、僕自身少し興味が薄れてしまった時期に入ります。

正直に書きますので、ごめんなさい。


翌年には、玉置浩二として安全地帯の名曲をカヴァーをするというアルバムを発表します。

「ワインレッドの心」


ジョン・レノンも常宿にしていた、軽井沢万平ホテルでのジャケット撮影。


武沢さん以外の安全地帯のメンバーも参加した作品


ファンクラブで、この曲をカヴァーして欲しいみたいなファン投票で、入る曲を決めるみたいな感じだった様な気がしますが、結局は選曲は玉置さんの意向でという。

今は僕のお店では、このアルバムをよく流していますが、やっぱり発売された当時は。。。

ずっと同じトーンが好きにはなれず、あまり聴いてはいませんでした。
ドキドキしないというか。

でも「ワインレッドの心」や「あの頃へ」は、このアルバムでのアレンジは、僕はオリジナルよりも好きです。


後日機会があって、ジャケット撮影場所の万平ホテルにも宿泊しました。

日本を代表するクラシックホテルの一つ。


実は万平ホテルのバーで飲んでいて、玉置さんやジョン・レノンの話をしたら、同業者よしみで撮影に使った部屋をみせてくれる事に。

万平ホテルのバー🍸

玉置さんが撮影に使った部屋は、ジョン・レノンが来ると必ず指名して泊まった部屋なのだとか。
ジョン・レノンの誕生日の部屋番号なんですけどね。
ちょっとした裏話でした。


さて今回はここまでにします。

長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました。

自分と安全地帯の歴史を書き残したいと思い、このNOTEに思いを書いてきましたが、やっぱりこういうのは熱量が大事というか。
思い入れが大事というか。

自分に嘘はつけないので、正直に書きましたが、不快に思われたらごめんなさい。

もしよろしければ、イイネ、ご感想お待ちしております。

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