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00:00

こんばんは。
なんか、今晩はなんでも書ける気がして今2個連続で投稿を書いています

↑結局投稿翌日になりました(笑)

なんだか、なんでもできると思えてしまう不思議な夜中の12時。BTSさんの「00:00」を聴きながら、書かせていただきたいと思います。

昔話になるのですが、
一年程前、学校で自分の身丈に合わない役職に立候補して、結局上手く仕事をこなすことができず、人に迷惑をかけたことをよく覚えています。

当時の自分は、役職とか権力とか大好きで、やったことがないことでも自分なら初見のことでもできるだろうと思って、立候補しました。もちろん他の行事でも、自分ならできるといろんな仕事を引き受けていました。

自分の性格的にもともと創造力を働かせることは得意でした。時間があれば、この形はこんな風に見ることができるのではないかとか、こんな感じにプロジェクトを進めたいとか自然と多くのアイデアが脳裏に浮かんでくるタイプの人でした。

当時の私はこう考えていたのでないかと思います。やる前に自分の未来が見えていれば、自分はその仕事はこなすことができると。
また、実際の技術的には実現できないことも自分の頭の中に創り上げ、それだけで満足していたのだと思います。
(ただ、自分の実現力が足りないのだけだったかもしれません。)

急に抱えたことのない量のタスクが降ってきて何からやればいいのか管理ができない、、、また、自分のペースを失っていって、自己不信になりました。

結果はどうにかなりました。友達に助けてもらいながら、修正をかけて最悪の事態を避けたはいいものの、自分が今まで築いてきた信頼を失ってしまい、自分のメンタルもズタボロ。

私がここまで自分ならできると過信していた理由は、中学生時代にあります。中学に入って自分はここまで自分一人で何もできないのかと落ち込んでいました。姉がいるのですが、自分と違って彼女がやりたいことはすべてやっていたように当時の私は思っていました。私の家族も向上心のある人ばかりで各々の意見をきちんと持っていました。かつ、実行に移せる人達でした。
自分だけが一人で何もできないそんな人だと思っていました。だからこそ、その時、今年は自分の気持ちを大切にして、一人で何かしらできるようになりたいと思いました。


私がこのことを通して得た経験は、
「人とコミュニケーションをとる」ことが重要だということ。

学校で役職に立候補していた件も、自分が周りの人ともっとコミュニケーションをとっていれば、自分がスケジューリングが下手であることや当時していたことの重大さに気づくことができた。また、もっと人に仕事を振り自分の負担を減らすことができた。

自分が思っていた家族は各々の意見をもってしっかりと実行できているということは当時の自分が思っていた程ハードルは高くないことを後から知りました。小さなことを積み重ねる。小さなことを少しづつ長い年月積み重ねているただそれだけだと。
自分はすごいと思うだけでその背景のことに目を向けることができていなかった。家族と自分が抱いていた感情を共有できていたら、少しでも焦る気持ちが抑えられていたかもしれない。

一年経って、小さなチームのリーダーをすることが決まったけれど、いまだに自分がどこまで経験を活かせるか分からないけれど、
とりあえずチームのコミュニケーションを増やして気軽に相談できるチームを作っていきたい。

あと、自分のことを知らないと何も始まらないので自分についてもっと興味を持ちたいと思っています。


毎回、自分が書いたnoteを見返すと文のはじめの方は丁寧語であるのに対して、後の方になるにつれて「だ、である」口調になっていることに気づきます。気にせずにお願いしたいです。