「自己紹介」の根底にある想い。インプットとアウトプットの好い加減。
私の中ではインプットが働きすぎてアウトプットで、noteの機能を使いこなせていない「いいかげん」。文章も「いいかげん」。
「好い加減&良い加減」なHORUTAROほるたろです
訪れた方、読んでくださる方、本当に、本当にありがとうございます。
1か月ほど投稿しておらず、その中で、なにがあっても「良い加減!」と思う事に、満足している自分はどうなる?を考えていました
「良い加減」だと変化のない中の自分に満足し、逆に新たに「好い加減」を探す自分にも気づきました
インプットとアウトプットの「好い加減」が「自己紹介」になるのかを書いてみます
濃霧にいる状態(雲海の下)と雲海の上でくっきりと景色を見ている感覚
インプットは気になることや知っておきたい事など、何かしらの情報を自分に特に取り込んでいく事で、意味がわかろうが解らなくても、実は脳の中で無意識の意識が動き出すまでの事だと思っています
脳の中では新しい情報が入ってきたので、アンテナが何か立った状態です
インプットで自分が意識していること、納得した事などが、アウトプットにつながり、さらにインプットへ続くこともあります
私の場合ばかりで申し訳ありませんが、アウトプットがばらばらになっていくことが多いこともあり、そのために周囲から、
「どうするの?」
「それでいいの?」
「何がしたいの?」
「よくかんがえて」
と、お声をかけてくださいます(本当に感謝しています)
私の中ではインプットが働きすぎて、アウトプットの纏まりがない
それはどうしてだろうか?
インプットで多種の方向を見ているために、アウトプット段階ではまとまりがないことが多くなる
今までの生き方に波があり、過去に囚われすぎて、「知らない」が多かったと気づいて、インプットしだしたのがこの1年ほどです
インプットが纏まっていないのに、アウトプットしようとして、丁度いい掛け合いができていない
それで違和感「何が必要かわかなくなってきた」となる時もあった
例えば、
人の多い雑踏の中の一人佇み、行き先が見えなくなった「迷子」になった自分がいます
行き先が見つからないので、雑踏の中の目の前の人に声掛けし方向を求めるけど、行き先が見つからない「知らんわ」と返ってくる
(そりゃそうだ、雑踏の中の周りの人には、その人の方向が決まっているから進んでいるので)
「どうして?」と、自分の中の想いに迷子になっている
横しか見ていない自分に気づいたとき、
自分の中で気づいたこと「好い加減」に安心し、アウトプットも必要だといいつつ、「惰性アウトプット」になっていた…!
自分の中で腹落ちすることを「アウトプット」する事なので、複数のアウトプットをしていると、周囲からの「なにしてるの?」「なにしたいの?」の言葉に囚われて、本来の自分ではない「周囲が見ている自分」に変えることで、決まった方向性の事だけになってしまい、本当の「アウトプット」をしてなかったのです
アウトプットは今までの自分と、これからの自分への目印になる事だった
なぜ、今更そんなことになったのか、2022/11/4 けんすうさんの記事で、ハッとしました
「アウトプットのパターンは複数持っておかないとインプットが偏るという話」
けんすうさん、ありがとうございます
私の解釈なので、意味が異なることもあるかもしれないですが、
このところインプットがしにくいと思っていたのは、アウトプットが「いい加減」になっていました
もちろん「惰性アウトプット」も時には大切で、自分の状態と進む道への指標になります
その続きを止めてました
納得、ハラオチそして、たまごちになることをアウトプットしていきます
良い加減を好い加減で自己紹介ができるようにします
(自己紹介マガジンになってるかも良い加減です)
では。