010 | はてしない物語【ネタバレ注意】
児童文学の名作、ミヒャエル・エンデのはてしない物語を、大人になってようやく読んだ。
子どものときから本好きで色んな本を読んでいたのに、なんでこの本は読まなかった(というか知らなかった)んだろう?!と思う。
友人に読むなら絶対ハードカバーで、2色刷りので読んでね!!!と激烈におすすめされ、この前図書館で見つけたのでようやく読んだ。
もう、本当に面白い。これほど本の中に入り込み没入感を味わったのはいつぶりだろうか…というくらい。そして、友人に言われた意味がわかった。
‼️まだ読んでいなくて、これから読みたいと思っている人は絶対にここから先を読まないことをおすすめします。笑‼️
この、『はてしない物語』は二重構造になっていて、主人公バスチアンが、まさにこの『はてしない物語』、あかがね色のカバーで蛇がお互いの尾を咥えている絵のある本を読んでおり、そこではファンタージエンという国の物語が描かれている。
つまり読者は、主人公バスチアンと一緒に、『はてしない物語』を読んでいることになる。バスチアンのいる人間世界と、その人間世界の本の中のファンタージエンの世界、という構造である。
そして、、、内容は省くが、バスチアン、あるところで、この『はてしない物語』の世界の中、ファンタージエン国へ実際に行くことになる。
そこでは自分のコンプレックスもなにもなく美男子で、権力もだんだん身につけていき、ファンタージエンで出会った友アトレーユの言うことも聞かず、しまいには王にまでなろうとする。
読んでいてだんだんバスチアンが嫌いになってきたが、よく考えるとこれは、人間が権力をもったとき、どれだけ権力を持つ前は善良な人だったとしても、権力を振りかざしたり、悪用したりする可能性があることを示唆しているような気がした。
バスチアンは、人間世界にいるときはコンプレックスのかたまりで、でも物語をつくることのできる、善良な少年だったのだ。(と思う。)
王になろうとしたとき、友アトレーユとついに戦い、追ううちにある街へ辿り着く。
そこは、ファンタージエンに来た人間たちのなれのはてが住んでいる街である。
ファンタージエンに来た人間はいつかは帰らないといけないのだが、上記のバスチアンのように、次第に力を持つようになって、帰りたくないと思ったり、王になろうとしたりする者たちがいた。そして実はその「力を持つ」代わりに、自分の人間時代の記憶が少しずつ消えていくのである。王になったり、自分の記憶を全て失ったりした瞬間、この街へとばされ、目的も心もすべて失い、さまよい続けることとなる。
そこでバスチアンはようやくアトレーユの言っていたことがわかり、最後の冒険に出かける。
そして自分が本当に求めていたものは、愛することだ、と気づくのである。
バスチアンはファンタージエンで人々に愛され、尊敬される存在になっていったが、本当に自分が欲していたのは愛することだった。
そして、とくに父親を愛することを欲し、人間世界に帰る瞬間、「あるがままの自分でありたい」と思うようになった。
帰ってからも、ファンタージエンでのような力は失っていたものの、物語冒頭での彼とは全く違い、ものすごく成長していた。
本を読み終わって、本当に色々な感想が出てきたけれど、一言で、本当に一言で言ってしまうならば、主人公バスチアンがファンタージエンでの冒険を通して自己肯定感を取り戻す話、だと思った。
きっと子ども時代に読んでいれば他の感想が出てきただろうし、本当に、子どものころに読まなかったことを後悔している。
でも、読めて本当に良かった。
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