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【自分自身との関係】いつか遊びがモノをいう。(2/3)

小学校、中学校、高校とまともに学校に行かず、大学は受かったけれど入学せず、仕事は転々としていますが、いつも惜しまれて、そして請われて次の職に就き、今でも前の職場の宴会には誘われるタカシさん。
タロウの呼びかけに気がつくタカシさん。

タカシさんの昔話:小学校時代

1年生から3年生までは、いつも日が暮れるまで外で遊んでいた。缶けり、鬼ごっこ、かくれんぼ。河原で砂遊び、砂利遊び、ダム作り。
とにかく遊んでいた記憶しかない。
担任の先生(若い女性の先生)はいつも、クラスの皆と一緒に遊んでくれて、その先生からは褒められても怒られてもうれしかったそうです。

4年生になって、タカシ君だけを定規で叩いたり、服装をバカにする男性教諭が担任になってからは、学校が急にこわくて、そしてつまらない場所になりました。
授業で手をあげても、タカシ君だけは指されないし、みんなで遊んでいても介入してきて、その中で序列をつけてタカシ君をバカにする先生の存在が息苦しくて、そして学校には行かなくなったそうです。

タカシ君は学校に行かず、どこに行っていたか?

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河原に行きました。
河原で石を投げたり

変わった形や色の石ころを拾ったり
魚や虫を観察したり
水面の光の反射に見入ったり。

ある日、いつも一人で河原で遊んでいるタカシ君を、河川敷の野球グランドで練習している社会人野球の大人達が、面白がって誘ってくれました。

球拾い、道具の手入れ、グランドの整備など、いろいろと教えてくれてるので、タカシ君は楽しくて、ほぼ毎日、河原のグランドに行きました。

(だから、ここに来てもウマの鞍や手綱など、手入れが上手なんだと納得)

そのうち、「お前もやるか?」となり、キャッチボールやノックに入れてもらえるようになり、筋がいいと言われ、チームの紅白試合にも大人に混じって出してもらったそうです。
毎日が夢中で、あっという間に終わる日々、夜はばたんきゅーと気絶。

学校に行っていないことと、野球グランドで大人と野球をしていることは随分前から、お母様に知られていたようですが、5年生に進級するまでは、お母様はなにも言わなかったそうです。

5年生になるときに、これまでのことをお母様に聞かれましたが、「学校に行きなさい。」とはなぜか言われませんでした。
タカシさん、学校に行っていない後ろめたさと、お母様の思いに「泣いた」そうです。

子どもながらに親の葛藤は理解できます。でも受け入れてもらったことの安心と、それゆえに、学校に行っていない時間を無駄にしてはいけないと、心の底から思ったそうです。

中学生時代

とにかく厳しい校則と先生。中学校は学校に行こうと決めたタカシ君でしたが、どうしても息が苦しくて、近所の医院で診てもらったところ、「心臓脚気」と診断されて、ビタミン剤を処方されました。白米ばっかり食べて、他の栄養が足りなくなったことが理由みたいでした。そのときの医師は優しい人で、タカシ君の心的ストレスも見抜いていたようでした。(頭頂の円形脱毛)

1年生の夏休みを海ですごし、2学期は最初の2,3日登校したのみで、結局、卒業まで行きませんでした。
学校に行かない間、タカシさんはどこに行っていたか。

河原の野球グランドです。
社会人野球の大人達はいろんな経験をしています。

中学校をでて、工務店に弟子入りして大工さんになった人。
車の運転が好きでトラックドライバーになった人。
塾の先生、学校の先生、弁護士、会社経営者。

タカシさんはそのような大人達と交わって、受け入れられて、日々を過ごしました。
中学生になったタカシさん。いつも手放さないでいるものがありました。

それは、「教科書」です。
グランドへ行くときにも、とりあえず教科書は1冊、持って行きました。
読んでも読まなくても、とりあえず1冊。
英語だったり数学だったり。

もちろん授業は受けていませんから、内容は難しいです。

でも、不思議と野球をしたあとは、教科書の表紙や目次を見ているだけで、「なんとなく、体に字がしみこんでくる感覚」があったそうです。

学校には行ってなくても、「勉強からは離れていない」気分。
遊んでいるんだけど学んでいる気分だったそうです。

社会人野球の大人達が口をそろえて言ってくれたのが、
「一生勉強」

勉強は学校だけでするものではない。
むしろ学校で教わることは限られている。
最初から教わるのではない。
自分が生きていくために必要なことは、自分で学ぶ。
必要ならば、礼をもって教えて頂く。

タカシ君は、中学校を出たら、社会人野球の大人達のように社会に出てみようかなとも思ったそうですが、心の声が「高校に行け」というので、高校を受験しました。

それなりに勉強とは縁が切れておらず、自分なりに教科書を読んでいたので、ちょっと自宅から離れたところにある農業高校に合格しました。
本人曰く、入試で何点かは取れたと自信ありました。そもそも、名前を書けば入れる高校だったので、余裕で受かったと思います。(ガッツポーズ!)

長くなりました。
次回は、タカシさんのホースハーモニーの気づきについてです。

 → 【自分自身との関係】いつか遊びがモノをいう。(1/3)
 → 【自分自身との関係】いつか遊びがモノをいう。(3/3)


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