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ミントチョコアイスバーの嵐

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURVkJkVTNqODZpQUE

 暗いコンビニの駐車場でミントチョコアイスバーを食していた。
「どうしてそんな薬臭いものが好きなんですか」
「何だか歯磨き粉を食べてるみたいじゃありませんか」
「案外かわいらしい食べ物が好きなんですね」
 と、これを人前でぺろぺろやっていると言われるわけである。
 人に自分の好みについてとやかく言われる筋合いはない。でも僕自身も、どうしてこんなものが好きなのだろうと思うことはよくある。今もそう思いながらこれを舐めている。僕はどうしてこんなものにとりつかれてしまっているのだろう。少なくとも言えるのは、こんな食べ物は他にないということだ。
 エンジンを切ったジムニーの外で、ごうごうと風が吹いている。白い鳥が地面でのた打ち回っているのかと思ったら、それは袋が風に舞っているだけだ。暗い夜だけど、嵐の前触れのような雲が近づいてきているのがわかる。
 じめじめとした生暖かい空気の中に、ミントチョコアイスバーは確実に溶けていく。


 ミントチョコアイスバー、とひとくちに言っても、もちろん銘柄が色々ある。そしてそこには当然、僕にとっての優劣がある。
 例えば、バニラアイスで出ている商品のアイス部分だけを、あからさまにミントアイスに挿げ替えただけのものはダメだ。「アーモンドバニラアイスのバニラアイスを、ミントチョコアイスに変えてみました」というだけでは、僕は何だかあきたりない気持ちになる。怒りすら感じる。ミントチョコアイスバーにはミントチョコアイスバー独自の繊細さがある。それはほんの少しのことで壊れてしまうのだ。ミントチョコアイスは、バニラアイスの代替品にはなり得ないのだ。きっとそれは、バニラアイスにとってそうなのだろうけど。店の中で、同じ銘柄のバニラとミントチョコのアイスが仲良さそうに並んでいると、僕はそれだけで興ざめした気持ちになってしまう。何もわかっていない。
 あるいは、カップ型になっていて、スプーンで掬う形式のものもダメだ。それは絶対に、確固たる意志を持った棒で支えられていないといけない。バニラアイスとかチョコレートアイスだったら、頼りない小さなスプーンで掬って食べるものでも気にならないのだけど、ミントチョコアイスの場合は、あくまでバーでなければいけない。さじで掬って食べるのは、ミントチョコアイスに対する冒涜だ。ミントチョコアイスは、あくまで自身の歯で削っていくものなのだ。そして、もう一つ言わせてもらえるならば、僕はミントチョコアイスバーを愛しているの一方で、カップの蓋の裏についたミントチョコアイスはこの世で最も嫌悪しているもののひとつだ。雨の日に靴がじっとりと濡れてくるのと同じくらい嫌いだ。

 深夜、国道沿いのコンビニの広い駐車場の隅に車を停め、僕は光に吸い寄せられるようにコンビニに向かう。頭の中にあるのはミントチョコアイスバーのことだけなのだけど、一旦それを無理矢理押し込めて、他に要るものがなかったかなと考える。ティッシュボックスは切れていなかったし、ハイボールを作るためのニッカ・ウイスキーもまだ残っていたはずだ。そうだ、確かそろそろ綿棒がなくなるはずだ。
 僕は雑貨の棚から綿棒を取り上げると、そこからはやはりミントチョコアイスバーのことしか考えられなくなってしまう。足早に店の反対側に回って、アイスボックスの中を覗き込む。
 普通のコンビニにはたいていの場合、ミントチョコアイスはあって一種類か二種類しか置かれていない。ところがこの国道沿いのコンビニには、いつも四種類のミントチョコアイスが並んでいるのだ。仕入れ者が僕と同じような嗜好性を持った人間で、並々ならぬ使命感を持って仕入れをしているに違いない。
 僕だけだろうか?こうして四種類ものミントチョコアイスが並んでいると、それだけでアイスボックスの中がエメラルド・ブルーに染められたように見えるのは。ぼんやりとしたまなざしでアイスボックスを見ていると、溶け出したミントチョコアイスのエメラルド・ブルーがクーラーの中にゆっくりと広がっていくような気がする。僕ほどミントチョコアイスバーにとりつかれていない人間でも、きっとそのエメラルド・ブルーは圧倒的な存在感を放っているように感じられるんじゃないか、と僕は思っている。みんな、潜在的にミントチョコアイスバーを食べているのだ。

 僕はミントチョコアイスバーを綿棒と一緒に袋に詰めてもらい、またじめじめと湿った暗がりの方へと戻っていく。コンビニの明かりに反射して、僕のジムニーはボディのラインだけを浮かび上がらせている。僕の服の内側に風が入り込んで、ばたばたとはためく。
 車に乗り込んだ僕が扉を閉めると、そこは外の風が吹き荒れる世界とは隔絶されてしまう。靴を脱いでダッシュボードの上に足を乗せると、いよいよミントチョコアイスバーを取り出し、舐めると齧るの間くらいのあいまいな力加減でそれを味わうのだ。


 フロントガラスの向こうで、小さな緑地公園がざわざわと揺れていた。まるで公園の地面ごと揺れているみたいに見えた。カーラジオが、都内に台風が近づいていることを伝えている。
 ミントチョコアイスバーを味わいながら僕は、自分の人生が幸せなものだろうか?と自問自答する。こうして、仕事に疲れた深夜、暗い夜の片隅でミントチョコアイスバーをこそこそと食べる人生というのは、どんなものなのだろうか?
 傍目には、これはさもしい人生に見えるのかもしれないな、と僕は思う。大の男が緑色のミントチョコアイスバーに齧りつきながらうっとりとした目をしている光景は、この男の人生の矮小さを象徴していると思わせてしまう説得力があるのかもしれない。車の横を僕が知った顔の人々が通り過ぎていくまぼろしが見える。どれもみんな、個人の嗜好を尊重するようなことを綺麗ごとを言いながら、その目の奥には軽蔑の光が宿っている。
 あるいは僕の人間性の欠如として捉える連中もいるかもしれない。暗くてじめじめした闇の中で、穴暮らしがエメラルド・グリーンのミントチョコアイスバーにしゃぶりつく。それは僕自身もまだ気づいていないような変態的な性的願望の表れなのかもしれないし、社会に対する破壊願望の表れかもしれない。
 神様が全てを見ていたとしても、僕の人生のこの場面については何の意味も見出さないだろうか。幸せそうな僕を見て、人間の純な魂を思って喜ぶかもしれないし、無心にミントチョコアイスバーを舐める僕を見てなんとあわれなことかと光を与えようとするかもしれない。

 知ったことか、と僕は思う。齧ったミントチョコアイスバーのかけらは、ゆるゆると溶けていきながら、僕の口の中に緑波を潜って吹き付ける、涼しげな風を巻き起こす。
 口の中の風と、外の激しい風は繋がっているのだろうか。バタフライ・エフェクト。木のバーにわずかに残ったミントチョコアイスを舐め取ったあと、窓を開けて一息、口の中の風を吐き出す。台風が僕の口の中に入ってきてスースーする。煙草が切れていることに気がついてしまったなと思ったけど、もう面倒なのでコンビニには戻らない。
 僕はこの世界に少しでも何か影響を及ぼせているだろうか?そう思いながらエンジンをかける。スミスのハウ・スーン・イズ・ナウ?がかかっている。ユー・シャット・ユア・マウス。クラブにでも行けばいいじゃない、とモリッシーが唄っていた。揺らいでいる音が美しい。
 口の中の感覚が元に戻るまでは、自分が世界とちゃんと同じ大きさで相対しているような気がする。錯覚だろうか?
 国道はどこか遠くに繋がっていた。僕は道を逸れて家に帰る。

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