テキストヘッダ

サラダチキンのはみ出す力

※縦書きリンクはこちら https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURaUZGN3VmczZONW8

 また仕事が長引いてしまった。でも22時以降に何をやっていたかはほとんど思い出せない。それくらい疲れていた。思い出せるのはパソコンの前に座っていたことくらいだ。
 僕の仕事は単調に思える仕事だった。広大な庭の端から端まで、たったひとりで芝刈機をかけていくような。やっとのことで端について柵にもたれかかると、もうスタート地点には新しい雑草が生え始めている。大小さまざまな石が庭から出てきて、それを排除するのに時間がかかると、こうして帰りが遅くなる。問題は、石がまったく出てこない日がほとんどないということだった。
 こういうところに、はっきりと「こういう仕事」と書かないところが、僕のさもしさを現しているだろうか?
「シャットダウンしています」という文字がモニタに映った。福音。僕はこの画面を見るために一日仕事をしたのかもしれない。そう思う日が時々ある。
 それなのに今日は画面が真っ暗にならず、パソコンは自分の更新プログラムをスタートさせた。何もそこまで働くことはないのに。

 帰り道、可能な限り具体的に、自分の部屋を妖精たちが片付けているところを想像した。彼らは小さな身体で僕の脱ぎ捨てたシャツを洗濯し、食器を洗い、僕が普段掃除しないような棚と棚の隙間まで掃除してくれている。洗濯機の水垢を取り、排水溝の髪の毛を集め、靴を手入れしてくれる。今履いているこの傷だらけの革靴だけが、磨かれることがかなわないのが惜しい。
 あるいは小さな魔法使いが、僕の部屋に魔法の粉を振りまくところを想像した。それだけで部屋は綺麗な状態に巻き戻るのだ。少々どじなところのある魔法使いのせいで、例えば部屋のスリッパが鰐に変わってしまったりするのだけど、それくらい水槽に入れて飼ってやればよい。ソーセージか何かを食べるだろう。


 しかし、やはり家の中に妖精も魔法使いもいなかった。朝と同じように、僕の衣服や食事の痕跡が散らかって残っているだけだった。時計の針は、2時を越えたところを指している。
 僕は簡単にテーブルの上を綺麗にし始める。へとへとに疲れているときにこそ、こうしてまとめて片付けをしてしまって、休日の僕が磨耗してしまわないようにしておくのだ。逆に言えば、今の僕はもうこれ以上磨り減ることはない。使った皿を洗い、クリーニングバッグから出したワイシャツをクローゼットにかけ、テーブルの上を拭く。散らばった雑誌を集めて、マガジンラックに整理する。

 机が乾く頃ようやく、コンビニで買ってきた蒸し鶏に塩とチーズとパン粉をまぶし、その上にオリーブオイルと胡椒をたっぷりかけてオーブンに入れた。それだけだとまだ何だか足りないような気がしたので、もう一度グラタン皿を出してバジルまでかけた。
 これなら僕も蒸し鶏を尊厳を失わずに済む。ちょっとした工夫と努力で、誰もが尊厳を失わずに済む世界が実現できるはずなのだ。誰も試みようとしていないとしても、僕だけはそれを実践しなければならない。抵抗軍のような気持ちで、僕はオーブンの目盛りをひねる。

 オーブンはゆっくりと熱くなり、じりじりと時間を刻むような音を立てた。
 赤い光に照らされて、じりじりと焼けていく蒸し鶏をじっと見つめていると、こうしてほんの少し何かをトッピングしてオーブンやレンジに突っ込むだけで料理が出来てしまうことが、とても間違ったことであるような気がしてきた。
 この料理はすこし美味しすぎるのだ。料理と呼ぶのもおこがましいくらいだ。美味しすぎて悪いことなんて何もないのだけれど。それはいついかなるときも、僕がこの蒸し鶏に対して施した工程を遥かに超えた、ありあまる美味しさなのだった。誰も起きていない深夜に、へとへとになって帰って来た独り身の男に対してはとくに、その美味しさは常軌を逸しているように思える。月に向かって飛んでいったスペースシャトルが、いつの間にか月の砂を持って地球に帰ってくるのと同じくらい不思議なことに思えた。
 何かが間違っている。それでも、僕の口の中には唾液が湧き上がってくるのだった。

 なかなか焼き目がつかない蒸し鶏を見ていると、気が狂いそうな気持ちになってきたので、缶ビールを開けてキッチンのスツールに座った。自分が動きを止めてしまうと、それ以外の音は何も聞こえなかった。缶ビールを飲みながら、僕がこうしてこのキッチンのスツールに座っているとき、誰もソファに座ることはないのだな、と当然のようなことを思った。
 そしてまた同様に当たり前のことだが、僕が仕事をしに会社に行っている間、この部屋には誰もいないのだ。
 テレビをつけてみると、ほとんどの局は放送を終了していて、人が動いているのが見られるのはテレビショッピングくらいだった。男女が両方共に目を血走らせながら、高枝切りばさみの購入を勧めている。
「この高枝切りばさみ一本あれば、伸び放題になった庭の木も、綺麗にすることができます」
 実際に使っているところを見せるVTRは、信じられないくらい真昼だった。クロガネモチの木の枝が、次々と切り落とされていく。その向こうに不気味な雨雲が立ち込めていた。まるで人間に切られる哀れな枝たちを見つめているように。
 自分の部屋の窓からは、心の隙間にすっとつけ入ってきそうな夜の色が見えていた。
 テレビを消すと、またオーブンの音だけが聞こえた。赤く照らされたオーブンの中を覗き込むと、パン粉に焦げ目がついていないどころか、チーズもまだ溶け始めてもいなかった。
 何だか時が止まっているみたいだ。


「行動には結果が伴う、というのがあなたたちの世界の常識だ」
 オーブンの中から声が聞こえた。
「我々の世界では、必ずしもそうではない。結果として我々がある、と言ったほうが正しい」
 今まさに焼かれつつある蒸し鶏にしては、なかなか威厳のある声だった。
「しかし、ことによるとそれは貴殿の世界でも同じではないだろうか。貴殿の世界は、自身の行動の結果として我々のような産物が存在することに気を取られ、自身もまた行動の産物であるという可能性を完全に見逃してしまっていることが多すぎるように思う」
「自身もまた行動の産物であるという自覚」と、僕は繰り返した。
「左様」
 僕はビールを一口飲んだあと、缶をテーブルに置いた。
「お言葉を返すようですが、自分自身に限って言えば、僕はそれを自覚しているつもりです。僕は、自分の、せいで、こうなっている。自分にとって最善とは言えない選択肢を選び続けた結果、こうして深夜に帰宅して、自分で部屋を片付け、ようやく蒸し鶏を焼いて食べようとしている。こうなったのはお前のせいだと、別に誰かに文句を言っているわけではありません」
 自分で言っていて情けなくなるようなことばだけど、別に僕は自分のことを不幸だとは思っていない。たまたま今こうなっているだけなのだ。自分が結果による産物だとしても、その過程にある。今焼かれつつあり、このあと食べられる蒸し鶏とは違って。
「そうだ、そうして自分自身がいつも自分の手で選択肢を選んでいると思い込んでいることこそが、あなたの傲慢さなのだ」
 ようやくパン粉が色づき始め、チーズが溶け始めた。チーズは皮膚の移植された皮膚のように、蒸し鶏に張り付いていく。
「良いでしょう。認めます。自分ではなく、もっと別の、例えば大きな同調圧力や環境によって選択肢を選ばされていることがあると。しかしそうだとして、あなたたちと何が違うのでしょう?深夜のコンビニのチルド室に並んでいるところをへとへとに疲れた男に選ばれて、塩胡椒やら何やらをかけられて焼かれてしまう。そこにあなたの意志は介在していません。僕が、あなたにパン粉とチーズをかけ、胡椒をまぶして焼いたんだ」
「-----その通りだ」
 チーズが生き物のようにふつふつと泡立ち始めた。
「しかし青年よ、私の一部は、自らの存在意義を自身によって再定義するために、こうして語りかけているのだ」
 オホン、と蒸し鶏は咳払いをする。
「喋る蒸し鶏なんて、多くの場合は求められていないのだろうけど」
「そうです、その通りです。問題はそこなんです。僕は、君に喋って欲しいなんて思っていない。百歩譲って、人恋しいような気持ちになっていたことは認めますが、何も自分がこれから食べようとしている鶏肉に話しかけてほしいなんて、これっぽっちも思っていませんでした」
 さっきまで、蒸し鶏を簡単に美味しく食べようとしていたことが何か間違ったことのような気がしていた気持ちはどこに行ってしまったのだろう?それでも僕は言い返さずにはいられなかった。
「逆に言うと、僕はこんな深夜に誰かの家のオーブンから話しかけるようなやり方で、自分を再定義しようとはしない。それは間違っていることだから」
 間違っている、とこんなに相手にはっきり言ったのは久しぶりだった。僕は過程なのだ。
「我々だって、誰にだって話しかけるわけではない。然るべき条件が揃ったときにようやくこうして話しかけることが出来る。そこにはあなた側が希望するかしないかという条件も含まれている。先ほど蒸し鶏になんて話しかけられたくないと言っていたけども、それは間違いだ。そう思っていると思い込んでいるあなたの傲慢さが、これで際立ってしまったと思わ」
 チン、と音がして、オーブンの中に静寂と暗闇が降りた。


 オーブンの引き戸を開けると、しゅうしゅうと小さな音を立ててパン粉が揺らめいた。僕は長いため息を吐いたあと、グラタン皿を取り出す。
結果としての産物である、蒸し鶏のチーズ焼きが出来上がった。明らかにこれ以上、何かになりようがない産物だった。
 僕だって何もあそこまで言うつもりはなかったのだ。痛いところを突かれたというのも、正直に言えばあったのかもしれない。
 蒸し鶏を口に入れると、とろりとした濃いチーズの味が広がった。味わいながら、果たしてオーブンの中の蒸し鶏が喋ることが、それほど間違ったことだろうか、と考えた。
やはりこんな時間に、これほど美味しくて高カロリーなものが家で食べられてしまうことのほうが間違いであるような気がした。そして、もう少し加減してチーズをかけるべきだったことも間違いなかった。僕はこれを食べて、明日もまた芝を刈る。

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