テキストヘッダ

There are consequences to one's actions

 シネコンのレイトショーで映画を観ていたら、最後のほうで主人公がベッドのシーツを細く切り裂いてドアノブに掛け、それで自殺するシーンがあった。
 全体的に演出が上滑りした退屈な映画だったけど、そのシーンだけやたらと気合が入っているように感じた。
 そのシーンの後にも、冗長とも思えるようなエピローグがあった。主人公が眠る海沿いの墓を、かつて主人公が裏切った仲間が弔いに訪れるというラストだった。蛇足、と私は声に出さずに言った。

「すごかったね」
 シアターを出てロビーに行くまでの道すがら、何か言わなければいけないと思ったので、私はそのシーンを思い浮かべながら、恋人にそう言った。恋人との、久しぶりのデートだった。
「何が?」
 と、恋人は私に聞き返してきた。
「あの、ベッドのシーツで自殺するシーン」

 あんなことできる?私はできないな。あなただってできないでしょ?何もない暗くて冷たい狭い牢屋の中で、うめき声も出さず暴れもせず、ただ死ぬことだけを思って、自分の命が尽きるまで体重をかけて自分を殺すんだよ。どんなことを原動力にあそこまでのことができるんだろうね。どうせ釈放されてもそのうち裏切った組織に殺されるって絶望感?仲間を裏切ったことに対する良心の呵責?恋人も死んだしもうどうでもいいやみたいな?死んだほうがマシだろとか?ああでも恨みかもね。自分の魂をボールを放り投げて遊ぶみたいに弄ばれたことに対する。見てろよ、俺はお前らの思い通りには絶対にならない、最後くらい誰にも左右されないぜ、俺は俺の意思で死ぬんだ、みたいな?別に映画の出来は大したことなかったじゃん、主人公が何がしたいのかもわかんないしヘマばっかりして仲間も恋人もみんな死なせちゃうし。だから余計あそこでああまでして死ぬのが意味わかんなくていいんだよね。
 死ぬ寸前、目開けてたの覚えてる?カメラが目を見開くところだけ写すじゃん。あれ何見てたんだろうね。碧眼って、血走ってても綺麗だよね。あの時はまだ生きてるわけでしょ?三途の河渡ってる最中っていうか。走馬灯とか、そういうつまんないもの見たところで、ほんとに三途の河って渡り切れると思う?私はもっと良いもの見てたと思うんだよね。こっちにおいでって優しく手招きする人がいるだけでも良いし、ただなんかカレーの良い匂いがするとかでも良いから、とにかくあっち側に行ったほうが良いんだって思える何かがない限りはあんな死に方できないと思うんだよね。三途の川って渡りきれなかったらどうなっちゃうんだろうね?私は思うと思うんだよ、三途の川渡ってるときに、もしここで溺れたら、もっともっと怖いことになっちゃう、無になっちゃうんだって。だからあの手招きしている人のところへ行かなきゃって。そうだよね?ちゃんとそういうこと、考えて作ってたよね、あのシーンは。

「ははは」
 まくしたてる私にトートバッグを押し付けるようにして、恋人はトイレに行ってしまった。綿のシャツのしわくちゃの背中がとても頼りなく見えた。
 私はベルベットのソファーに腰掛けて、人の流れを見ていた。私は喋りながら興奮してしまったみたいで、にやにやした顔で手を繋ぎ出てくる男女やポップコーンのかすを集めて食べている中年男を見てむやみに腹が立った。あんなものを見た後なのに、どうしてそんな無神経でいられるのだろう?
 売店もチケット売り場も、もう明かりが落ちて人気がない。薄暗がりの向こうに何かが見えるような気がして目を凝らしたが、そこにはグロテスクに光る非常口のサインがあるだけだった。
 ソファーの一つ離れた席には、薄汚い身なりの老婆が座って、もごもごした声で何かを呟いていた。行動には、結果が伴う。そう聞こえた。
 閉館と何か関係があるのか、どこかから生暖かい風が吹いた。

 なかなか恋人がトイレから戻ってこないので、私は心細くなってしまった。
 もしも恋人がトイレの荷物かけに布をかけて、あの映画と同じように自分を殺すことを試みていたらどうしよう、と私は思った。はは、と短く笑ってバッグを預けて行った彼のしわくちゃの背中が儚げに思い出された。案外私が想像しているのと違って、ふとしたきっかけみたいなものがあれば、あんなことは誰でも簡単にできてしまうのかもしれない。そこに何の理由も原動力もなくても、何もない暗くて冷たい狭い個室さえあれば、人間は誰でもあっさりと死んでしまえるのかもしれない。彼が目を見開いて、私ではない人や私とは関係のないものに手招きされて、あの河を渡り切ろうとするところを想像すると、私の手足は急に冷たくなった。
 トートバッグを預かっておいてよかった。トートバッグの持ち手は長く、彼が頭を入れるには十分だった。

 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。黙ってシアターを出て、何も言わずに恋人の運転する車に乗って、つまらなかった映画についてなんてお互い一言も触れずに抱き合って眠ればよかったのではないか。私は彼のトートバッグの持ち手をぎゅっと握って、形のない闇を見つめていた。左を向けば老婆がいる。それよりは、何かうごめいているようにも見える暗がりを見ている方がマシに思えた。

 彼はトイレから出てくると、「なんか手のひらにねばっとした何かがついててさ」と言った。シートの隙間に手を入れてたんだ。シートの油か、いつかの客がゼリービーンズでも突っ込んでたんだろう。まいっちゃうよな。そう言いながら彼は、トートバッグを受け取った。
 さ、帰って眠ろう、と彼は言った。あんな辛気臭い映画とは全く別の、ハッピーな夢を見よう。
 夢。夢か。そうしましょう。そう言って私は、彼に手を取られて暗闇とは別の方に向かって歩き出した。シネコンの自動ドアを私たちがくぐり抜けるとすぐ、明かりが落ちた。

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