テキストヘッダ

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「あなた自分の声が好きですか」と彼は僕に尋ねた。
 反射的に、いや、と応えてしまう。

 彼は声の仕事をしている。国営放送地方局のアナウンサー。長年の間、朝七時四十五分から始まる地方ニュース番組のキャスターを担当している。

「自分の声が好きな人は、この世にたくさんはいません」と彼は言った。自然でよく通る声。トンネルの向こう岸までぼんやりと優しい光で照らすような。表情や身体には疲れが滲んでいるが、声だけは凛として芯が通っている。
「それは、自分自身が話しているとき頭蓋骨が振動して聞こえる声と、空気を震わせて他の人に聞こえている声が違っているからです。そのせいで、違和感を覚えてしまう」

 彼と知り合ったのは、物書きの男を通してだった。その頃の僕はまだひとつも小説を書いたことがなくて、ただ本を読むことだけは好きだった。いつか何か書いてみたいという願望とか予感みたいなものだけがあった。物書きの男は、それを見越していて、僕を彼と引き合わせてくれたのかもしれない。

「しかし、一方で私は、自分の声に違和感を感じません」
 彼はウイスキーに口をつけて、煙草を吸った。僕は彼の喉仏が動くのを見ていた。
「自分の声が人にどのように聞こえているかを常に意識しなければならず、そのために自分の声を聞く機会が人よりも格段に多いから、です」
 彼はこちらが黙っていても、一人で喋り続けた。一人で喋ることに慣れているのかもしれない。
 アナウンサーになるための学校(そういうのが、本当にあるのだ)では、色々な原稿を読み、その度に自分の声を聞く。アクセントの位置は正しいか、声の調子は適切に保たれているか、いちいち客観性を以て確かめるのだ。何度もそれを繰り返しているうちに、だんだん自分の声にも慣れてくる。自分の声を客観的に聞くことができるようになる。最終的には、頭蓋骨の振動で聞こえてくる自分の声と、イヤホンを通して聞こえる声が同期してしまう。
 実際に仕事をするようになってからも、時々はニュースを読む自分の声を聞くようにするという。意識しないでいると、だんだん頭蓋骨の振動で聞こえてくる声と空気に放たれる声の間の溝が、再び遠ざかっていってしまうからだ。盆や正月で長い休みをもらうときも、必ず自分の声が録音されたテープを、僕は一日一度は聞きます、と彼は説明した。

「電話口から聞こえてきたのは、明らかに自分の声でした」
 彼は疲れた顔でそう言った。ネクタイを緩め、カウチに深く腰掛けながら煙草をくゆらせているその姿は、朝のニュースを読んでいるときの彼と上手く重ね合わせることができない。
「私がこういう仕事をしていなくて、自分の声を聞き慣れていなかったら、そんな馬鹿げた電話は切ってしまっていたと思いますよ」


 私はその頃、市内のビジネスホテルに連泊していました。もうそういう生活が一ヶ月くらい続いた頃のことです。家庭に複雑な問題が持ち上がったせいで、しばらく家に帰ることができなかったからです。まあ、世間的にはそれなりによくある話でしょう。どちらが悪いとかそういう話ではなく、長い間二人の間に溜まってきた膿が出てきたみたいなことです。私はいささか妻を蔑ろにしすぎたし、妻は私に精神的に依存しすぎていました。どうしてそういう膿が溜まったのか、何がきっかけでそれが爆発したのか、話そうと思えばいくらでも長く話せますが、一言で言えばそんなところです。
 妻と直接話をすることは適わず、弁護士を通じて今後どうするのかという話を続けていました。そろそろ、覚悟を決めてマンスリーマンションなどを探さなければいけない、と思いながらずるずるとホテルで暮らしていました。

 私は毎朝六時に出社します。どんなに遅くても五時前には起きて、出社の準備を始めます。
 家には常に三十〜三十五本の柄や色が違うネクタイが備わっていました。基本的に、ひと月の間に同じネクタイを二回使うことはありません。柄や色が派手なものはほとんど持っていませんでした。
 スーツは多い時は十着、少ない時でも最低七着は持っていて、そちらは一週間に二回同じものを着ることがあっても、二日連続で着るということはありませんでした。グレーか黒、時々濃紺のもので、ストライプなどが入っているものは持たない。セットアップも着ないことにしていました。
 かつては眼鏡をかけていましたが、十数年前、この仕事に就いたのを境にコンタクトレンズを着用するようになりました。気をつけていても、汚れや埃が目立ってしまうことがあるから、です。
 いずれも、最初から決めていたルールではありません。いつの間にかそういうルールの下に生きていたのです。

 ところが、突然しばらくの間家に帰ることができなくなった私は、しばらく毎日同じスーツでニュースを読まなければならなくなりました。二日連続で同じネクタイでニュースを読んだ後、ネクタイだけはホテルのそばにあるショッピングモールの紳士服売り場で、三本まとめ買いをしました。ワイシャツや下着も、一週間分揃えました。せめてもとの思いで、スーツに関しては一着だけ新しいものをオーダーして、日替わりでクリーニングに出しました。古いスーツはみるみるうちに劣化していくのがわかりました。コンタクトレンズはもう完全に諦めていて、普段デスクワークをするとき用の眼鏡をかけてニュースを読んでいました。
 こういう生活がずっと続くと始めからわかっていれば、もっときちんと物を揃えたかもしれません。でもいつまでこれが続くか当然わからなかったわけです。当然、荷物を増やしてしまうのも嫌でした。それはこういう生活がずっと続くことを認めてしまうことにほかなりません。
 私がこれまでのルーチンを破ったことに対する指摘は、視聴者からも職場の同僚からもありませんでした。昨日も同じネクタイじゃありませんでしたかとか、襟が汚れていませんかとか、そういうようなことは言われませんでした。投書もありません。別にそれがショックだったとかではなくて、やはり人は他人のことをそれほど観察しているわけではないのだな、という程度のことです。結局私は、あくまで“自分のこだわりのために”そういう風にしていただけなのでしょう。それが白日の下に晒されただけです。

 だからこそ早朝のホテルの自室で、帰れなくなった家で眠っているスーツやネクタイを思い浮かべながらのりの効きすぎたワイシャツに袖を通していると、「どうしてこんな目に遭わなければいけないのだろう」と思いました。家庭の問題に自業自得な側面が多少あるにせよ、ある日を境に突然一歩も自宅に入ることが出来なくなり、仕事で必要な物品を取り出すことすら適わないことは、私にとって大きなストレスでした。数日前に巻いていたネクタイを巻いたままニュースを読むと、本当に落ち着かない気持ちになって、いつもの調子が出ませんでした。
 私は五時半ごろに、いつも眠そうなフロント係をベルで起こして、スーツケースをそこに預けて出社していました。ビジネスホテルは、いくら連泊といえど、部屋を入れ替えなければならないというルールがあるらしいのです。最初こそ奇妙で面倒なルールだと思っていましたが、それも致し方ないことだと思うようになっていました。同じ部屋に宿泊し続けてしまうと、自分の匂いとか生活の染みみたいなものが、部屋に定着してしまうような気がするのです。それはホテルにとっても、仮住まいとしてそこに宿泊している私にとっても、あまり良いことではないでしょう。

 その一方で、久方ぶりの一人暮らしというのは、それなりに心地良いものだったということも申し上げておきます。
 ええ、そうですね。そういう風に感じていたことの後ろめたさみたいなものが、今回の件とは全く無関係だとは思えません。私は数年ぶりに本当の意味で一人になった。ある特定の場所から完全に切り離されて、一個の人間としての自分というものの輪郭を、改めて認識したわけです。
 ほら、あるじゃないですか。妻のことを空気に喩えたり、自分の身体の一部みたいに言うようなことが。全くそんなことはありませんでした。そんな短い期間に何がわかるのかと言われればそれまでですが、少なくともそのホテル暮らしの期間、自分を構成する要素が欠けてしまったとか、大切なものを失いかけているという感覚はありませんでした。むしろそこにあるのは、久しく忘れていた”自分も一人の人間である”という感覚でした。
 仕事用のスーツやネクタイを使うことができなかったのはストレスでしたが、妻がいなくても寂しくありませんでした。何の不自由もありませんでした。妻の料理を食べず、外食が続いても体調はすこぶる良好でした。妻の顔を思い浮かべることはあっても、それを上手く自分の心に作用させることができませんでした。一個の人間としての輪郭を認識してしまったことが、妻の入り込む隙をなくしてしまったのです。
 それと-----これもやはり、本件における背景として話さねばならないと思うのですが-----ホテル暮らしの間、不貞を働いたことも認めます。妻以外の人間と関係を持った。もちろんシングル用のこのビジネスホテルの部屋ではありません。そういう男女のためのホテルで関係を持ち、時間がきたらこのホテルに帰ってきました。
 更に正直に言えば、今までだってそういうことがなかったわけではありません。でも、家に帰れば妻がいる、と思いながら他の女性を抱くのとはやはり訳が違うんです。
 自暴自棄というのとは明らかに違います。どうせ全てがふいになってしまうのであれば、という気持ちはあったとしても、やはり少しでも未来のある可能性にも投資し始めたと言ったほうが正確です。私は光に誘われる羽虫であると同時に、狡猾な計算の上で一番合理的な判断をする獣でもありました。


 男はそこまで話をすると、もう一本煙草に火をつけた。火を灯す音まで、いつもと違って聞こえた。
 僕はそのアナウンサーの話にのめり込んでいた。声というのは、やはり人間にとって重要なファクターなのだろう。それも、容姿と違って時代性などに左右されない、絶対的な価値基準のある。美醜とか強度みたいなものが、はっきりとある気がした。
 その上彼は、きちんとした訓練を受けている。自分の声が他人にどのように聞こえるかということを知っている。何か明確な目的や意志がないとしても、相手を自分の話の中に引きずり込むやり方を自然と理解している。地方局の一アナウンサーに甘んじているのは、人々が声というものの中にある魔力みたいなものを軽んじているか、何かもっと別の理由がある-----彼は容姿端麗とは決して言えなかった-----かのどちらかだろう。
 彼は煙草の煙を吐いた。部屋の中に細長い煙が立ち上り、消えるように霧散した。


 その日は強い風が吹いていました。早朝、土砂崩れのニュースを読んだのを覚えているんです。前日からずっと激しい雨が降っていて、山の手にある民家のひとつが土砂に飲み込まれた。その家には老人が一人で住んでいて、行方がわからなくなっている。現在、新たな土砂崩れを警戒しながら、その老人の捜索が続いている。 
「この強い嵐は午後にはこの地方を過ぎていく予定ですが、しばらくの間は注意が必要です。川の増水や構造物の損壊・飛散などにくれぐれもご注意ください」
 気をつけようがあるのだろうか、と思いながらそう読んだんです。
 午後になってから雨は収まりましたが、私がホテルに帰った夕方も、依然として強い風が吹いていました。
 その日は、大通りに面した部屋を割り当てられていました。鳥避けの赤い三角形が遠慮なしに窓に貼り付いた部屋です。そこに向かってびゅうびゅうと風が吹いていました。巻き上げられた街路樹の葉や枝の破片か種のような茶色い屑が、窓ガラスにたくさんくっついていたのを覚えています。

 私はスーツを脱いで、すぐにシャワーを浴びました。仕事が終わったら、いつもそうするんです。きちんとしたレストランが店を閉めた後、コンロの周りに飛んだ油を拭き取るみたいなものです。そうしないと、スイッチが切れない。小さな地方局のアナウンサーとは言え、日常的に電波に乗って人前で話をするというのは、ある意味特殊なすり減り方をするものなのです。長期休暇の日に突然高熱が出たりとか、そういうことがままあります。そうなってから、自分でも思ってもいないところに力が入っていたことや、身体の不調を無意識的に無視していたことに気づくのです。
 だからそうなってしまう前にこうして、自分の中で取り決めをしておくわけです。熱いシャワーを浴びたら、スイッチが切れる。逆に言えば、スーツやネクタイなどの見た目に関する取り決めは、私にとってスイッチを入れるためのものなのかもしれません。

 今思い返してみれば、シャワーを浴びているときから異変がありました。強烈な眠気です。
 それはバットで殴られたみたいな眠気です。象に踏まれたような眠気です。死を目前にして覚悟する瞬間のような眠気です。何でもいいです。とにかく、感じたことのないような眠気でした。
 朝早起きをするコツは、睡眠をコントロールすることです。私だって、昼寝をすることはあります。ただし、意識的にです。これから何分間眠って、身体を休めるぞ、と言った感じです。いつの間にか眠ってしまうような無意識な睡眠は、余計に体力を消耗させてしまう。一定のリズムを崩してしまう。だから、眠気と格闘することには十分慣れているわけです。
 ところが、その眠気には全く抗うことができなかった。
 風呂から出て、かろうじてホテルの薄いバスローブに身を包むと、私はいつの間にかベッドに倒れこみました。十分に身体を拭けていない、風邪を引いて声が出なくなってしまったら、プロとしてまずい。そう思ったことはなんとなく覚えています。でも、すぐにその眠りの泥の中に引きずり込まれていきました。

 何時間くらい眠ったろう。むしろずっと眠っていて、初めて起きたような気がする。

 電話の音で目覚めると、部屋の中も窓の外も真っ暗でした。外と中が闇で繋がっていました。見えるのは内線電話のパネルだけです。9、と言う字だけがぼんやりと光っていました。受話器を取ると、フロント係の声がしました。機械みたいな声でした。
「お客様のお知り合いという方から、お電話をいただいております。お繋ぎしてもよろしいでしょうか」
 私の頭の中には、まださっきまで見ていた夢の輪郭だけが残っていました。手触りだけです。明らかに私はホテルではない場所にいて、無意識に眠ってしまっているような状況ではなかった。そこから、電話の音で無理矢理引っ張りこまれたという感覚がありました。
「どなたでしょう」
「声を聞けばわかる、とおっしゃっています」
 妻であれば良いな、と心のどこかで思っていました。お互いに許しあえれば良いな、と思っていたのです。僕は妻の行いを許し、妻は僕の生き方を認めることが出来れば、また元に戻れるのではないか。それが自分本位な願いだということは理解していました。だからこそ、その微かな希望を逃したくない気持ちが働いて、余り深く考えずに電話を取り次いでもらってしまったわけです。


「やあ」と私が言う声が聞こえた。
 それは明らかに私の声だった。大きな声を出そうとするわけではなく、いかに自然な声のまま、遠くまで届くかを意識している声。
「私がちゃんとそこにいるか確かめたくて電話したんだ」
 手が震えた。何故か頭の中の一部は冷静なままで、勝手に手が震えるというのはこういう感じなんだなと思った。
「そこにいるのは私だな?」
 沈黙があった。受話器から無色透明なものがあふれ出してくるような気がした。それは闇としか言いようのない何かだった。暗くて、底知れない、不安を掻き立てるようなもの。耳から首筋にかけてが粟立った。
「返事をしろ」
 自分の声だった。
「返事を、しろ」
 私はどこにいるのだろう、と思った。ここはちゃんと、僕が僕の意志で泊まっているホテルなのだろうか。もしもそうでなかったとしたら?
 電話の向こうで、衣擦れのような音が聞こえた。
「僕を邪悪なものだと勘違いしているんだろう」と、衣擦れの音に混じって私が言った。
「私自身が、私自身がそこにいるかどうか確かめることのどこが邪悪なのか?」
 座標のようなものを思い浮かべた。その小さな点に向かって細い針を通し、磔にしてしまうところを。
「返事をしろ。もっとひどいことになる」
 衣擦れの音が大きくなった。衣擦れの音は、遠くで人がざわめく声だということがわかった。
「返事をしろ!」
 そのノイズの中に、ひとつだけ知っている声を聞き取った。妻の声だった。


 彼女は泣いていました。泣いて何か訴えているわけではなくて、ただ泣いているんです。一人で。一人で泣いたところで、それが何の訴えにもならないというのは自明のことです。でもとにかく、彼女は泣いていたわけです。
 今度こそ目を醒ますと、私はホテルの部屋に居ました。外は風が吹いていて、窓には鳥避けの三角形が貼り付いていました。身体が濡れていました。それがシャワーで濡れているのか、汗で濡れているのか判別できないくらい、私はぐったりしていました。


 彼はその後、正式に妻と別れた。最後に会ったのはその次の日で、それ以降は声も聞いていないという。

「我々は誰一人として、声というものをきちんと理解していないような気がするわけです。あなたが主張するように、情報伝達以上の意味合いがあるということは何となく自明のことのようになっているとしても。そして重要なのは、聞き取る側ではなくて声を発生する側です。どこまで自覚的にコントロールできるかなんて考えは捨てたほうが良い」
 彼が話すと、口から薄い煙が散った。
「あれが本当に自分の声だったとしたら。そしてその声に自分の声で何かしら返事をしていたとしたら。よくそう思います。何かひとつでもわかったようなことを言ってしまっていたら、私は少なくともここにいないのではないでしょうか」
 声が部屋の中に充満していた。

 僕が文章を書くときにいつも、胸の中に抱いている話だ。

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