テキストヘッダ

壁と輪

 蛇を追いかけていたら、それよりもひと回り大きな蛇が脇から現れて、追いかけていた蛇を丸呑みにしてしまった。麺をすするみたいに、細長い蛇はつるりと吸い込まれていった。
 丸呑みした方の蛇は、満足そうに林の奥へ逃げていった。あまりの突然のことに驚いた私たちは、ただ立ち尽くすしかなかった。
「せっかく良い物語が開けそうだったのに」
 私は、そのうわばみの背中に、一本黒くて長い縦筋が入っているのを目に焼き付けた。

 私たちの村では、蛇を捕まえて皮を剥ぐと、それを楽器にする。木で作った胴に蛇の皮を貼り、弦を張るのだ。胴に張るのは別に他の生き物の皮だったりあるいは布でも良かったりするのだけど、物語は蛇の皮で作られた楽器でないと開かない。
 月に一度か二度、村の真ん中にある古い図書館にみんなが集まり、開いた物語を見に行く。みんなで床に座って、小さな台の上に上った開き手の演奏を聞く。目を閉じていると、そこに蛇の中に閉まってあった物語が浮かび上がってくる。

 整合性のある物語が開けてくることもあれば、延々と秩序のない幻が続くこともある。私はそういう取り留めのない夢のような物語が好きだけど、村の者は整合性のある物語を好む。悪に染む者がいて、正義を名乗るものがそれを正したり殺したりする物語。私はそれがどうにも気に入らない。

「本当にあの目の下に隈のある男が殺したのかねえ」
 村で最近もちきりなのは、こないだ開いた物語についてだ。好いた女を手にかけたという男がいて、唯一の目撃者である男の弟が、男を庇ったり庇わなかったりする。真相を突き止めようとするたび、弟は感情に左右されてしまい、最後まで本当のことはわからない。兄弟の微妙な関係が、真実を煙に巻いてしまう。男が殺したのか、殺さざるを得なかったのか、殺すつもりはなかったのか、女が自分で死んだのか。まぶたの裏で物語を見ていた私たちも、その物語そのもののどこが本当で、どこが嘘なのかがわからなくなる。
 それは私も好きな物語だった。本当のことなんて重要ではない。その先にあるものの方が重要だ。
 それは蛇の腹を開いた時はもっとわかりやすい物語だったのを私は知っている。私が捌いた蛇だからだ。それは、弟のただただ邪悪な物語だった。それでは面白くならないと思って、私が楽器に皮を張る時、少し工夫したのだ。私は時々そういうことをやる。多分村の他の者は、こんなことはやらない。


 ある日、あの丸呑みした蛇を絶対捕まえてやると言って、村の者総出で森へ入っていった。川に水を汲みに行った女が、妊娠しているみたいに御腹を膨らませたうわばみを見たのだ。うわばみは苦しそうにずりずりと這いずり、草をなぎ倒して森の奥に入っていったという。
 村人たちは罠を張り、いとも簡単にうわばみを捕まえて来た。この辺りの小径のことを、この村に住むものたちは知り尽くしている。狙いさえつければ、獲物を逃がすことはない。うわばみは、丸呑みにした蛇で腹を巨大に膨らませすぎて、顔面まで平たく歪んでいた。目の前で獲物を丸呑みにされた私が見るに、それはあの時の蛇に間違いなかった。

 どんな物語が開けてくるのか、村のものたちは楽しみに待った。これほどの大きな蛇である。祭りの準備がなされ、村中浮き足立った様相だ。
「どんな物語が開くのか」
 集まったものたちの前で、私は蛇の頭に杭を打ち、背中の黒い筋に沿って体を裂いた。どろりと黒い物がこぼれる。


 中には夜が詰まっていた。千夜にも及ばぬ、数えきれぬ夜だった。夜の後に夜が来て、そのまた後に夜が来た。夜は村の上に立ち込めていた。村はぐるりと丸い壁に囲まれていて、中に住まう者は決して外へ出ることができない。
 壁を指でなぞりながら歩き、その継ぎ目を探した。どこかに継ぎ目があるはずだという確信があった。いくら歩いても夜は明けず、時が止まってしまったようだった。腹の外での記憶が揺らいでしまいそうになり、慌てて私は首を振った。これは私の物語なのだ。
 途中で蛇の死骸の山があった。驚いたように目を見開き、苦しそうに舌を吐き出している蛇ばかりが、壁に群がって山になっていた。私は不気味に思って、その横を足早に通り過ぎる。
 ぐるぐると回っている内に時間の感覚がなくなった。夜が夜を呼んだ。夜の果てに夜があった。ずりずりと足を引きずって歩いていたら、いつの間にか身体が伸びて、蛇と変わりのない身体になっていた。
 何日くらい歩いた後だっただろう。私はまた蛇の山に着いてしまった。壁の中を一周してしまったということだ。私はまぶたを閉じた。
 これは腹の外に開いてはいけない物語だと、私は微かな意識の中で思った。これは、物語を好き勝手にした私への罰なのかもしれない、と思った。あの蛇は私だったのだ。罰として飲まれたのだ。
 壁にもたれると、それはひんやりと冷たくて気持ちが良かった。私は少しずつ壁に溶けて、黒くて長い一本の筋になった。


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