アメリカが閉じていく。科学にとっての不幸の始まり

アメリカで研究する身として見過ごせないニュースが、ここ1週間程度の間に立て続けにありました。

1つはJ-1ビザからH-1ビザへの切り替えが制限されること。Traineeとして入国した研究者が、5年の期限を過ぎても滞在して研究を続ける場合は就労ビザであるH-1に切り替えることとなります。しかし、今回トランプ大統領はアメリカ人の雇用を守るため、H-1の発行を制限する方針と伝えられました。これが字面通りに実行されれば、事実上ほぼすべての研究者はJ-1ビザが切れたのちは帰国せねばならなくなります。

もう1つは中国人のビザの失効です。香港の動乱を受けての「制裁」としてなされるようです。ただ、日本語メディアでは中国人留学生全体に適応されるかのように記述されていたため「とんでもないことになる」と驚いたのですが、英語メディアを見ると軍や諜報機関に関連のある中国人に限られるようですので、そこまでのインパクトはありません。とはいえ、何と言ってもトランプ大統領ですから、一般の中国人にも拡大する可能性だって否定はできないでしょうし、「その可能性が否定できない」と思わせるだけでも中国人留学生の皆さんは心穏やかではなくなり、留学する人が減る可能性があります。

今回のことに限らず、外国人の流入を阻止することや、学問・研究の軽視といった流れは4年前にトランプ大統領が誕生したころから少しずつ拡大している印象を受けます。それがコロナウイルスによる厄災で一段と加速されたということでしょう。

こうした流れはトランプ大統領によって誘導されたものですが、彼がどのような人であれアメリカは民主主義国家であり、大統領の方針を支持し、後押しする人が一般のアメリカ国民にいるからこそ推進されてきたことであるはずです。となると、トランプ大統領が今秋の選挙で再選されようがされまいがこの流れはしばらく続く可能性が高いでしょう。これは間違いなくアメリカの科学界におけるプレゼンスを中長期的に低下させます。そしてそれは人類全体の科学の停滞を招くでしょう。研究者にとってアメリカに勝る国はありません。だからこそ世界各国から人が集まるわけです。そしてそれがまたアメリカの強みとして機能し、正の相乗効果をもたらして一強体制を維持してきました。それはまた科学にとっても幸福な時間だったと言えましょう。

アメリカが科学の盟主たる地位を放擲したら、では中国が拾うのではないか、という可能性は誰もが思いつくところですが、少なくとも10年20年単位ではそういったことは起こらないでしょう。中国の研究レベルそのものはすでに高く(今回のコロナウイルスに対する対応はそれをまざまざと見せつけてくれました)、今後もさらに向上し続けると思いますが、世界の中心となるかというとそれはまた別物だと思います。例えば、具体的な例として自分が中国に留学するかどうかということを考えたときに、言語の問題や文化、生活の問題は大きく立ちはだかります。私は留学して2年たった今も英語が十分に堪能かというとそうとは言えませんけど、それでも中国語をイチから学ぶよりははるかにましです。第一、研究者の共通言語は英語です。そして、アメリカの生活習慣や文化は大なり小なり世界中に輸出されていますから、日常生活も誰にとってもなじみやすいものですが、中国での生活となるとそうはいきません。また、昨今低下してきているといわれるものの、それでも外国人に対する寛容さは他の国より段違いに高いと言えましょう。移民国家として時を重ねてきた地層の厚みというのは唯一無二と言えると思います。

これは中国人研究者の友人から聞いた話なのでどの程度客観的かはわかりませんが、中国の研究シーンは非常に競争が激しく、かつコネが強くものを言うそうです。そんな中に外国人が入っていけるでしょうか?アメリカに研究者が集まるのは、その科学力や資金力だけではなく、文化的背景も大きく影響していると私は思っています。だからこそ急には替えが効かないのです。

近年、科学、とりわけ医学は国際的なネットワークを駆使した研究が成果を挙げ、重視されるようになっていました。では研究のネットワークというと何かと言えば、つまるところは研究者同士の個人的な友情が起点であることが大半です。それはアメリカを軸にして構築されていたのですが、その軸が崩壊してしまえば、もはや結局は各国の研究者は各国の中で小さくまとまりながら研究をするという流れにならざるを得ないかもしれません。こんなことがなくても日本の研究環境は金銭的にも国際的な関係構築の面でも悪化の一途をたどっているので、日本人研究者はさらに厳しい状況に直面することになりそうです。歴史のうねりの中においては小さなことでしょうし、いずれは落ち着くべきところに落ち着くのでしょうけど、今を生きる研究者としては生きにくい時代になったものだと思わざるを得ません。

これからしばらくの間、日本人研究者は自らの生き残りのためには、大きな成果を狙わずにあまり金と時間をかけずに小さな成果を重ねていくという能力が求められるかもしれません。私自身のことで言えば、十分に研究の能力を磨いて臨床を辞めて研究に専念するということを理想としていましたが、どうやら臨床を手放すことはかえって自分のしたい研究が出来なくなるリスクを高めるだけになりそうです。私のような「中の下」の研究者のみならず、極めて優秀がゆえに日本では収まり切れないような人も、アメリカが扉を閉ざせばどこに向かえばよいのでしょうか。いよいよ、夢のない時代です。

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