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飛島炭鉱へゆく ③ (松浦市今福町)

鉱業所跡を後にして、再び飛島港目指して歩き始めます。子どもも暑さにへばっているようで、ひたすら寡黙に歩き続けます。来る時と同じく、まったく人影もありません・・・

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フェリー待合所・・・と言っても、無人でバス停くらいの大きさの小屋があるのみです。

おまけに暑くて子どもと2人へたっていると、どこかのおじいさんが入って来られました。
暑かですね」から話がはじまり、おじいさん曰く「こん、ちょっと先にクーラーのきいとる店のあるけん、行ってみんね!」とのこと。

「それは有り難や!」と早速向かいました。

お店にはビールのケースは積んであるものの、何の看板も出ていません。おじいさんと会わなかったら、まずここに入ることはなかったでしょう・・・・

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中は小さいながらも「天国!」でした。

まるで自分の孫を見るような優しい笑顔で迎えてくれたおばあちゃん。「まぁそこに座って飲んでいかんね!」・・と言ってくれ、短い時間でしたがジュースを飲みながら話をしました。

この島で生まれ育ったおばあちゃん。炭鉱時代、人が賑わっていた頃のこと。

すぐ近くに学校があって、多い時で500人ほどの子どもが島にいたこと。今では人口が50人をきってしまったこと。佐世保などにいるお孫さんも部活などで忙しくなって夏休みにも帰りにくくなったこと・・など。

子連れであってよかったと、この時初めて思いました。

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お店を出ると、気分も変わり、風景も変わって見えました。

何と言うか、急にこの島に親しみを感じました・・・

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昔はこの辺りに学校があったというのですが・・。その後移転などしたのかもしれません。

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不思議なもので、島のことを子どもと話していると、帰りのフェリーで一緒になった人が、話しかけてくれ昔の島のことなどをおしえてくれました。

最盛期は昭和36年頃で3000人もの人がこの小さな島にいたそうです。


またこんね!」というお店のおばあちゃんの言葉を思い出しつつ、遠ざかっていく島を眺めました。心の中で、「うちの飛島のおばあちゃん」と決めた、あのおばあちゃんに、いつかまた会いに行きたいと思っています。

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(記事作成:2011年9月)


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