見出し画像

学校教育に決定的に欠けているものの一つ ⑧  教師にふさわしい人間性を養成し吟味するための基本理念

このシリーズの結論的なものだろうと思います。
この基本理念は何であるか?と尋ねられて、明快に答えられる人はいないでしょう。
近代化を焦る明治政府が、ヨーロッパ諸国の非難をかわす為に、型枠だけをとりつくった「教育制度」のツケを未だに児童・生徒が払わせられているのです。

現実的な問題として、我が子が学校でいじめに遭ったり、不登校などという事態に陥った時に、担任に相談しても埒(らち)が明かなければ、校長や教育委員会に相談すればいいと考えるでしょう。
しかし、ほとんどの場合、何も解決しません。

ここで個人的な話になり恐縮ですが、具体例を出します。
もうかなり前の話ですが、私が佐世保市の中学校に勤めていた頃のこと。

私の教員免許は中学校美術だったのですが、小さな中学校で「美術」の時間数が少なかったので、英語の授業を少し受け持ってもらえないかと校長から打診されました(今、考えると完全な違法行為ですが)。

それで週何時間か英語を担当することになり、ある時長崎県が開いた英語の「オーラル・コミュニケーション・キャンプ」という研修会に参加することになりました。
その時、同じ学年に所属する同じ年くらいの男性教師に伝えたところ、その男は何を勘違いしたか「オーラル」という言葉に「性的なもの」を感じたのでしょう、「オーラル、オーラル!」と面倒くさいほどはしゃいでいました。また、酒癖が悪く、飲むと同僚の悪口を言いまくる男で、私とはまったく価値観が交わるところがありませんでした。
それがいまでは、ある島の校長です。

私もある私立語学学校の校長をしていましたから、偉そうなことは言えませんが、校長というのは、こういう程度の者が少なくなく、本当に力量があって信頼を集めている校長と言うのは、くじに当たるより少ないものです。


もちろん教員の場合も同じで、教師の一番の悩みは「人間関係」だと思います。
それは、実に様々な「庶民的な」教師が教員採用試験をくぐり抜けて教師になるからです。

昔は、「教師は聖職」だなんて言われた時代もありましたが、本当は聖職以上の人間性(基本理念)を持っていなければならないものだと私は考えています。
それは「乳幼児から大学生、専門学校生に至るまで全ての学習対象者の生命としての存在をリスペクトし、子ども扱いなど差別的な扱いをしないこと」だと思います。

その基本理念を自分の血肉にするために、教員養成大学などがあり、その教育プログラムがなけれなならないはずなのですが、その中身もまたお粗末なものです。

私が進学した地方の教員養成大学は、教科別になっていました。
しかし、入学してやったことと言えば、やる気の無いような教授が持論をダラダラと垂れ流す授業をただ聴いているだけ。
美術科にしても、デッサンや油彩をやっても、そういうことを「どう児童・生徒の教育に生かしていくかなど」は皆無でした。

そうしてダラダラと日々を浪費し、教員採用試験というのは、教育の基本理念には1mmも接近しない、教育史や法規などの「暗記→復元率」だけのもの。
これでは、「人間を育てる」教師の質など、培われることも問われることも無いはずです。


私の場合、唯一ラッキーであったのは、こういった何の志も無い教授の中に「教育を考える会」という若手教授の会があって、この会合に学生代表として招かれたことでした。

大学のあった群馬県前橋市には、その頃やはり問題であった登校拒否や不登校の問題を打開するために、様々な職を持った社会人の「新しい学校をつくる会」などがありました。
ルソーに始まり、デューイやモンテッソーリ、イーリッチ、林 竹二などの教育論、フリースクール構想など大学にはない新鮮で生き生きとした空気がありました。
弁護士からお寺の住職、農家の人など様々な人が「新しい本当の学校」を造ろうと本気で動いており、そういう人たちと議論したり活動することが自分の教育の基本理念につながる大きな原動力となりました。

しかし、教師になって以降、そういった教育論を他の教師と話し合ったことはただの一度もありませんでした。

私の持論が正しいかどうかの前に、そういう話題の話をただの一度もできなかったこと、どちらかと言うと最初に述べた話題のような低俗な話題が大半で、とてもそのような話題を出す雰囲気では無かったことが私にとっては苦痛でした。


今、教師の門はとても広いと聞きます。
余りに激務などで精神障害などを起こす教師が続出し、教師になろうとする者がいないからだと言います。

一方で、いじめや不登校のニュースが途切れることはありません。

教育者にとって原題は、困難だらけの「荒野」かもしれません。
しかし、だからこそ強い信念と志が必要なのだと信じてやみません。


画像1



※「チップ」は有難く拝受させて頂きます。もし、この記事が多少でも役に立った、或いは「よかったので、多少でもお心づけを」と思われましたら、どうぞよろしくお願いいたします。贈って頂いたお金は1円たりとも無駄にせず大切に使わせて頂きます。