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哀しい目を忘れられない ~ 動物の遺棄は、途方もない巨悪で、人の心に深い遺恨を残す

昨日、2021年6月15日、長崎新聞に衝撃的な記事が掲載された。

​「悪質だ」子猫4匹をごみ袋に遺棄 長崎の集積所で発見 里親探す
6/15(火) 10:31配信
ごみ袋から救出された4匹の子猫=長崎市江川町(R&G長崎の保健所の命を救う会提供)

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 ”長崎市江川町のごみステーションで13日朝、生まれて間もない子猫4匹がスーパーのレシートなどと一緒に市指定可燃物のごみ袋に入れられ、捨てられているのが見つかった。同市のボランティア団体「R&G長崎の保健所の命を救う会」(浦川たつのり代表)と大浦署が保護したが、14日までに2匹が死んだ。浦川代表は「25年間活動しているが、ごみと一緒に捨てているのは初めて。命を粗末にしていて悪質だ」と憤る。同署は動物愛護法違反の疑いで捜査する方針。
 浦川代表などによると、13日午前8時半ごろ、通り掛かった付近住民が鳴き声に気付き、袋の口を縛ったごみ袋の中に子猫がいるのを発見した。連絡を受けた浦川代表が現地で確認し、110番通報。駆け付けた大浦署員が袋を開けたところ、ドラッグストアやスーパーのレシート、汚れた毛布や段ボールなどと一緒に衰弱した子猫4匹が見つかった。
 4匹ともへその緒が付いており、生後2、3日とみられる。12日朝に鳴き声を聞いたとの情報もあり、発見の1日以上前に遺棄された可能性がある。子猫2匹は同会が保護し、里親を探す。
 同会には電話相談や保護の依頼が年間約千件あるが、今年はその倍以上のペースで推移している。コロナ禍に伴う外出自粛で、ペットを飼い始めたものの、適切に管理できなかったり不妊治療をせずに子どもが生まれたりして、捨ててしまう飼い主がいるという。
 浦川代表は「適切な管理は飼い主としての責任。金銭面や世話の大変さもきちんと理解して家族に迎えてほしい」と訴えている。”

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この件、「命を粗末にする」などという問題ではない。
この事実を目の当たりにした人を始め、記事やwebを通して知った人の心の中に深い傷を残すことになる。

私個人の話である。

高校生の頃、ある夕暮れ、すっかり暗くなったころ学校から帰宅した私は、自宅近くのゴミ捨て場に置いてある段ボールの中から妙な音がすることに気付いた。何か擦れるような・・

中をのぞいてみると、何か生暖かい嫌な臭いがした。いったん、そのまま帰ったものの、やっぱり気になり、家から懐中電灯を持ってその箱の中を照らしてみた。

一匹のやせ衰えた犬が、悲しげな眼で見上げていた。

生きたまま捨てられているのである。私の全身の血は逆流し、怒りに震えた。
少なくとも数軒という近い場所にそんな残酷極まりないことをする人間が存在したことが許せなかった。

ちょうどナチスの「ホロコースト」について知った頃でもあり、そのような残虐性は間違いなく人間の中にあるのだと確信したのもこの時だった。

それから40年近く経った今でも、その箱が置かれていた場所で、その犬を思い出すことがある。そんな時は軽く頭を下げ祈る。

その「哀しい眼」は、私の心に深く刻まれており、永遠に消えることは無いのだ。

状況を話した兄とともにミルクを持って行ったが、もう飲む力も無いようだった。

翌朝見ると、息をひきとっていた。犬は、最後の時を段ボールの中でどのように感じていたのだろうか。


実はもっと時を遡った小学3年生の時、こんなことがあった。
友達を通りかかった時に、車の下から子猫の鳴き声が聞こえてきた。

仲間と覗いてみると、子猫は腸が飛び出すほどの大怪我をしていた。
我々は「どうしよう?」としばらくその場所にいたものの、結局何もせずにその場を離れてしまった。
そのことも未だに深い傷となって心の中に残っている。

そんなことがあってから、大学生になってからは、自分が何かをすることにした。

下宿近くお店の前に野良犬の親子が住み着いていたのだが、ある時子犬が車に引っ掛けられたのか脚を怪我していた。
お店の親子が心配していたが、何もしなかったので私が子犬を連れて動物病院に連れて行った。
先生は治療費をまけてくれた。子犬を連れて帰ると、母犬はもちろんお店の子どもも喜んだ。

ある雨の夜、ゴミ捨て場に段ボールに入れた猫が捨てられていた。
下半身が動かない病気の猫だった。
下宿に連れて帰って面倒を見た。学校に用事があると買い物かごの中にペット・シートを引いて猫を寝かせて連れて行った。
ある時、廊下に置いた場所に戻ると、息をひきとっていた。

大学に「さくら」と呼ばれる野良犬が住みついていた。
可愛がる学生もいたが、おもちゃにする心無い輩もいた。
私が飼うことにした。
講義のある時は、一緒にキャンパスに連れて行った。バイト先にも連れていった。
さくらは妊娠しており、下宿で3匹の子犬を産んだ。
子犬は田舎で里親を探してもらい、羽田から送った。
結局、さくらは東京での就職時に実家にいき、両親にかわいがられた。

「ただ動物好きなんだね!」という者は多い。
「ペット・ショップでもやれば」なんて心無いことをいう同級生もいた。
その時、「こいつはなんにもわかってないね」と思ったが、黙っていた。

それは確かに動物の世話をするのは、大変なところもある。

しかし、動物が「安心して眠る姿」「食べ物も喜んでおいしそうに食べる姿」を見るだけで、どんなに幸せな気分に包まれるだろうか!
それは少しの大変さなんて、まったく取るに足らない。

人間だってそうだろう。
安心して眠る寝顔とおいしそうに食べる顔を見ると、我が子でも他人の子でもやはりホッとする。

その真逆にあるのが「哀しい眼」なのだ。

ちょっと話は大きくなるが、アメリカ16代大統領リンカーンは、子どもの頃、森の中でとてつもなく貧しい暮らしをしていた。

ある朝、リンカーンが水汲みをしていると、どこからともなく鎖を引きずるような音が聞こえてきた。

何かと思い、見てみると、それは奴隷として鎖に繋がれた多くの黒人たちが森の中を移送される場面だった。

その奴隷の中には幼い黒人の子どももおり、リンカーンはひとりの黒人の女の子と目が合った。

リンカーンは終生、その女の子の「哀しい眼」が忘れられなかったという。

後に南北戦争を経て、黒人奴隷を解放したリンカーンの心の中にはその「哀しい眼」がずっとあっただろう。


子猫を棄てた背景には、「尾曲がりネコ」として、行政者としての長崎市が観光面で利用するだけ利用しながら、「街ネコ化」の為の不妊・去勢費用をなかなか認めない(2020年実績は、175件の申請に対し、助成が認められたのはわずかに26件)などのおかしな現実もあるのは間違いない。

長崎新聞もおそらく「心無い行為」ぐらいの認識で記事を載せたぐらいのことだろう。

TNR活動への認識不足もあるし、市民の結束もまだまだ乏しい。
しかし、ささやかな一歩でも皆が踏み出さないと、この巨悪を断つという未来への道筋は見えてこないのである。


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