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漆黒の坑底から ポツンと見える光

宮本常一さんが執筆に参加しているということで、図書館から借りた「日本残酷物語①」(平凡社)は、民俗学の本で、その内容というのは、略奪・飢饉・疫病・間引き・堕胎など、実に気の滅入るものばかりでしたが、この中の1章、「圧政ヤマの女たち」と「坑内に子どもとともに」では、唯一とも言える、あたたかで美しい文章がありましたので、紹介したいと思います・・・

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 『・・・時間がわからんもんだから、おおかた20時間は越えとるもんの。 

昼出る時は、2時頃出て、つぎの日の夜明け頃帰りよったの。

食われんもんじゃけな。

いやでもひどかところへ入るとじゃ。

「人は夢の中、わしゃクド(かまど)の前、ほんに3時の笛にくや」

「ままになるならあの煙突に、わしの思いをはかせたい」。

けど、もう逃げていくとここはなかけんの。勝たにゃ。そげん思いよった。

なんがうれしいちゅうてあんた、仕事がすんでからあがるとき、とおく、上んほうに坑口の灯が ぽつんと見えるとたい。

のぼっていけば、家の灯が細う見えてなぁ。 

子どもに逢える! 子どもに逢える!思ったなぁ。

ほんとに、あんた、こげん細う、ぽつんと見上げるようなところに見えるとですばい。もう、うれしくてうれしくて。 』


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『・・・子どもはの、こんなふうにあたしら働きながら育てにゃいかん。

坑内にはいる時がいちばん辛かった。 

あたしら朝は2時に起きるとたい。

音のせんようにワラぞうりをはいて一斗ガンガンに火を焚いての。

そんなクドに釜をのせて飯を炊くとよ。

弁当をつめて、子どもの弁当もこしらえての、まだ暗いのに眠っとる子を起こすとばい。

目をこすりこすりぐずる子を叱りとばして、保育園へ連れて行きよった。

道はまあだ暗くてねぇ。子どもは「かあちゃん、かあちゃん」と、あと追ってきて泣くしの。

一日8銭で預かってくれるけど、 ーまたこの子に逢えるだろうか。

帰って抱いてやれるだろうか。

この子今日はこんなに泣くけど、親を亡くすんじゃなかろうか、と、そんなに思わん日はなかったねぇ。

ほんとに後ろ髪をひかれる思いだった。

朝坑口にいって、「今日はよかった。あと追いせんだった」 「いいねぇ。うちは入りたくない、あんまり泣きよったから」とそんな話ばかりしていたねぇ。』


昭和5,6年頃より女性の坑内労働は禁止され始めましたが、こういった家族への思いというのは、男性でも女性でも、やはり変わらなかったことでしょう・・・・

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前述の書に、この人達が含まれることすらおかしいのではないか、と思ってしまいますね。

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引用させてもらったイメージ写真は、「写真万葉録 筑豊④ カンテラ坂」(葦書房)からです。大変いい写真集です。

良書紹介の為、資料を引用させていただきました。

少しでも、良いものが伝わればと思います。

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