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人間にとって、尊厳ある豊かな暮らしとは、何なのだろうか? Ⅱ


yahooニュースで、”ソマリアで乳児の死亡率が非常に高く危機的だ”というニュースがUPされていると、これまた無数の「匿名の」有象無象が、よってたかって、「避妊のことを考えないのか!」「援助に頼り切っている民族だから、きりがない」だとか、言いたい放題。
正直、気持ち悪くなる。
なら「(コメントなど)読まなければいいではないか?」と言われそうだが、こちらは何か人道的なトピックを期待して読んでしまった。事実、稀ながら非常に聡明ないいコメントに遭遇することもある。
そういったインスピレーションが欲しかった。


生命というものに対する敬意というものがまったく無い。
自分は何も実際に見ていないし、何もしようともしていない。
どこかで読んだり聞いた知識だけで、書き込む。
さも「自分は。自分たちの社会は、より正しく、生存するに値する存在だから」というような、上から目線。

自分たちが、「一見豊かな」暮らしをしていることが、かれらの生命を脅かすことに繋がっているという考えが頭の中に一遍も無い。

堂々と自分の力だけで生きていると思っているが、自分が生きていられるのは、様々な生命の犠牲の上に、たまたま偶然のお陰なのだという謙虚さが1mmも無いことに寒気がする。

毎日味わわせられる、イライラの車社会もそう。
会社のロゴつけた車にのって、「自分は仕事をやっている」からと苛つく人が多いが、それは大した仕事では無い。
私自身も東京での営業マン時代、営業に出た時間の半分くらいは、渋滞の車の中だったが、今思えば、仕事になってなかった。
ディーゼル車だったから、随分と化石燃料を無駄にし、大気を汚染させただけのことだ。


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