子育てをしていた時代は、「なんて幸せで輝いていた時間だったのだろう」と今、思い返す 8 江島 達也/対州屋 2024年8月31日 06:37 SNSで、下の引用記事を読んだ。詳細はわからないが、これほど辛く悲しいことがあるだろうか。文字を目で追うだけで苦しくなる。子供が2人いる。でも、本当は、私は3人の子持ちだ。18歳の春に娘が生まれた。結婚してくれると言った父親は、結局認知すらしてくれなかった。若い私にとって未婚のシングルマザーは大変な役割だった。何で産んだんだろう、どうして子育てなんかしてるんだろうと、そんな格闘の毎日だった。それでも、娘はすくすくと成長してくれた。初めて書いてくれた私の顔、赤いランドセル。それは秋の日の突然の出来事だった。前夜、やけに娘がべたべたしてきた。大して寒くない日なのに、寒い寒いと言った。熱を測っても熱はない。早く寝なさいと添い寝した。「ママ、ありがとう。ママ、大好き」娘は私に抱きついたまま眠りに落ちた。やっと開放されたなと、正直私はホッとした。少しテレビを見て、私も娘の横で寝た。翌朝、娘は目を覚まさなかった。起こしても起こしても目を開けなかった。解剖、そして、事情聴取。事件性なしと判断され、原因不明の突発的な心臓発作と説明された。火葬場では、焼かないでくれと棺にすがりついた。娘の焼却炉の前で、半狂乱で泣き喚いた。小さな骨が娘のものだとは到底思えなかった。突然の独身貴族。突然与えられた年相応の自由。けれど価値観はまるで違っていた。そのうち笑うようになり、けれど夜になると涙もこぼす。小学生を見ると辛かった。けれど、親と言うのは勝手なものだ。娘の死から2年で結婚し、去年3人目の娘を産んだ。幼稚園児と赤ん坊の育児にへこたれそうになる。あの子がいてくれれば、今頃話し相手になってくれただろうと、今頃何歳になってるはずだと、この頃毎日考える。あの子がいなかったら、こんなにも娘たちを愛せなかった。あの子がいなかったら、子供がこんなに大切と思えなかっただろう。あの子が死ななかったら、私はもっともっと自分勝手な親だったろう。ありがとう。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。いなくなって寂しいよ。今でも寂しいよ。辛くて辛くてずっと封印してきた言葉をこうして書けるのは、この子達が生まれてくれたおかげだ。(あの子がいてくれれば)・・・・・・自分かってな親なんかとは思わない。大事な人が亡くなった時初めて色んな事に気づくかも知れない。でも、子供を育てながら色んな事に気付くこともたくさんあるとそう、思います。突然死だけは、どうも仕様もない辛さがありますね(涙・涙)。※ライフタイムシェアよりあいことばFB私は絶対に子どもよりも先に死にたい。その順番だけは間違ってほしくない。いいことなんて、大して起きなくてもいいので、こんなことだけは、絶対に起きてほしくない。子育てをしていた時代は、なんて幸せで輝いていた時間だったのだろう。一日一日一瞬一瞬がキラキラとした宝物であったと今、思い返す。 ダウンロード copy #子育て #育児 #子ども #母親 #シングルマザー #親 8 ※「チップ」は有難く拝受させて頂きます。もし、この記事が多少でも役に立った、或いは「よかったので、多少でもお心づけを」と思われましたら、どうぞよろしくお願いいたします。贈って頂いたお金は1円たりとも無駄にせず大切に使わせて頂きます。 サポート