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地方の公立小中学校統廃合(閉校)は、自ら貴重な財産を溝に捨てている

そもそもの発端が「財務省の圧力」というレベルで、この統廃合が進められた事は、今思えば到底容認できるものではありません。

2021年現在、世界的なパンデミックであるコロナ・ウィルス禍の為に、臨時的な財源をまわすことが可能であることを知ったからです。

「少人数では、クラス替えもなく、競争原理も働かない」という論調が根強いようですが、今の加速する少子化から考えると、所詮統廃合したところで、結局は「クラス替えもできず、競争心も湧かない」程度の規模にしかならないようです。

学校を失った集落からは活気が消え、自治体そのものが消滅しようとしている地域が加速度的に増加しています。


一方で、地方自治体は、元の活気を取り戻すというか、自治体の消滅を回避するために「地域の名産」や特色、話題づくりをしようと躍起になってるのですから、その本末転倒ぶりは、笑うにも笑えません。非常に深刻な状態です。
一時期、どんなに話題づくりに成功しても、「名産」が生まれたにしても、次の世代を担う子ども達が移住できる環境でなければ、すぐにまた廃れてしまうでしょう。

では、大都市が機能しているかというと、そうではなく、コロナ禍によって「娯楽」を失った群衆は、地方へと押し寄せ、移住を考える人も少なくないようです。
しかし、現実的に病院や学校の無い地方へは、子どものいる家庭は移住することは不可能です。

実は今、進められている地方学校の統廃合による「閉校の波」は。取り返しのつかないことをやっているように思えてなりません。


今の学校制度が抱える重大な問題として、「不登校」「登校拒否」があります。
児童・生徒数は統廃合するほど減少しているのに、学校へ行かない児童・生徒数は割合として非常に高くなっています。

また一方で、教師の過重負担により精神的な疾患を追う割合も非常に高くなり、これも大きな社会問題となっています。


アメリカの教育学者J・デューイは、『 教師が「教える」ことによって子どもの人間形成に責任を持とうとしてもそれは不可能で、いくらかの期待がかけ得るとすれば、学校と言う意図的につくられた環境の中で、子どもが言わば自分を形成していくことだ 』と述べています。


少子高齢化が、避けられない子どもの環境とするのならば、統廃合によって意図的に長距離通学を促し、多少数を増やすことでは無く、少数であっても、その地域の文化や風習を尊重しつつ、むしろ自然と多く触れ合う環境の中で、子ども一人一人の興味・関心をベースに保護者や地域住民をも巻き込んで教育するという環境をつくるべきなのです。
それこそが本当の意味の「地域の特色づくり」でしょう。
その地域の未来は、心豊かに育った子ども達が考え、創っていくべきです。

そのような環境の中で子どもも教師も大きく変わっていくというチャンスがあったのですが、そういった視点が、最初に述べたように、「財政面」だけで推し進められてしまったことは、未来への禍根を残しただけのことであり、未来の私たちが出会うことも無いひとたちに、またひとつ「厄介な問題」を背負わせただけに過ぎないと思うのです。






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