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社会の悪と闇に慣れていくことが、「大人になること」ではない。その悪や闇に敢然と立ち向かい、行動できることが「大人になること」なのである

よく「お前も大人になれよ!」とか、「社会に出たら、君もわかるようになるよ!」という言葉を耳にする。

確かに、まだ「子ども」と言われる頃、自分は今よりも純粋で善良な人間であった。
工事現場のおっさんに「煙草を買ってきてくれんか」と言われれば、坂道を下って走って買いに行ったものだ。そのオヤジからは、1円の駄賃ももらっていない。

「仮面ライダーカード」を集めていて、ある店で「仮面ライダースナック」を買った時、商店のオバハンが、「カードは無かよ」と言い放った時も、「それは詐欺だろうがよ!」なんて、詰め寄ったりはしなかった。

中学時代、宿題をしてこなかかっただけで、並ばせられ、軍隊のように体が吹っ飛ぶほどビンタされた時も、親にも一言も言おうなんて思わなかった。
他の教師からも、殴られっぱなし、蹴られっぱなしだったが、訴えることもなかった。ただ黙ってやられるだけ、やられていた。

でも、社会に出てからは、そういうのが可愛く思えるほどの、ひどい数々の理不尽を目の当たりにしてきた。
そういう頃、「お前も大人になれよ!」とか、「社会に出たら、君もわかるようになるよ!」と言ったセリフを聞いた気がする。
まるで、「それが大人になるということだ」みたいなニュアンスで。
割り切って、楽しむところで、楽しめよ!・・みたいな?

今、この歳になって、人生のゴールが見えてきた歳になって、断言したいのは、やっぱりそんなのが大人になるってことなんかじゃないってこと。

そもそもどこからが、何歳からが大人か?っていうのもあるけど、大人になるって区切りがあるとすれば、それは、社会の悪と闇に慣れていくことではなく、その悪と闇と敢然と立ち向かい、行動(発言)できるようになることこそが「大人になること」なのだと思う。



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