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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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#エッセイ

キリシタン流刑という弾圧を受けながらも千人近い棄児を養育した 岩永マキと十字修道会の女性たち(長崎のカトリック史)

岩永 マキ(1849~1920)の肖像。 写真すらほとんど残っていませんが、見る限り凛とした美しい表情をした人であることがわかります。 強さの中に秘めた優しさ、或いは優しさの中に秘めた強さ。そういうものを感じます。 上の写真の集合写真です。マキは前でも中央でもなく写っています。見る限り、文献にあるような大柄には見えません。 こちらの写真でも、手は細く小さく、体つきも華奢に見えます。 岩永マキに関する文献は、ほとんど見つけることができません。 聖母の騎士社刊「お告げのマリ

世界新三大夜景のひとつである長崎の夜景の礎は、対州馬と人がつくった

平成24年、夜景観光コンベンション・ビューローにより「世界新三大夜景」のひとつに選ばれた長崎市の夜景。 それはデザインされた高層ビル群の夜景でもなければ、壮麗な宮殿等のイルミネーションの夜景でもありません。 港をぐるっと囲む山裾に這いつくばうようにして建ち並んだ家々のともす灯りがつくり出す、言わば「素朴な生活の灯の夜景」なのです。 そしてその、ひとつひとつの灯りの元となる家屋の多くは、名もき馬たち、特に対州馬と人によって作り出されたものであることを忘れてはならないと思います

平成26年に閉店した長崎玉屋は、派手さはないが地元に愛されたあたたかな百貨店

平成26年2月末で長崎玉屋(正式には、佐世保玉屋長崎店)は昭和44年の開業以来、約45年の歴史に幕を降ろしました。 画像は最終日の長崎玉屋の姿です。ただ外観を見ただけでは、「老朽化が否めない地方百貨店」と映るかもしれませんが、この長崎玉屋の「在り方」はいろんな意味で、今後の大規模商業施設にとって手本とすべき、或いは多くの教示を与えうるエッセンスがあるように思われます。そのことを確信させる光景が、この最終日に幾つも垣間見えました。 最終日、店内には多くのお客が詰め掛け、たい

路面電車の軌道跡である勝山市場にあったお婆ちゃんの小さなお店、閉店

タイトル通り、路面電車の軌道跡である斜面に出来た勝山市場にあった、なじみのお婆ちゃんのお店が、いつの間にか、ひっそりと閉店していました。 久しぶりに、あのお婆ちゃんのお店でパンを買って食べよう」と、久しぶりにやって来たのですが・・・・ 数年前に撮ったお店。 うちの娘を、まるで自分の孫のように優しく接してくれたおばあちゃん。うちの「市場のおばあちゃん」でした。(2011年撮影) はじめて、このお店に来た時、なつかしいサラダパンを見つけたことが、きっかけでした。私がパンを

一度もちゃんと見たことがない・・・それでも楽しかった諏訪神社祭礼・おくんち

「お祭りなのに、見たことがないって、どういうことか?お祭りと言えば参加できるものも少なくないというのに・・・」 と思われるかもしれません。 しかし、長崎に生まれ育って半世紀、奉納踊りはテレビでしか見たことがありません。そして今後もきっと見れないでしょう・・・ 画像にあるような山車というか曳き物を目に出来るのは、披露場所やあいさつ廻り(庭先廻り)の移動途中だけです。 踊り場や境内に設置された観覧席から奉納踊りや演技を見るには有料チケットが必要であり、入手も容易ではないから

戦艦 武蔵を建造した第二船台とガントリー・クレーン

三菱長崎造船所、立神付近の風景です。工場の向こうに見える赤く錆びた鉄骨・・・。誰も気にも止めないであろう、この鉄骨こそが巨大戦艦「大和」の同型艦「武蔵」が造られた第二船台のガントリー・クレーンです。 海側から見るとこんな感じです。ちょっと見にくいですが、「 BERTH no2 」とペイントしてある場所が第二船台で、奥の方にガントリー・クレーンが残っているのを確認できます・・・ 俯瞰図で見ると、こんな感じですね。 もともとガントリー・クレーンは第二船台にだけあったわけでは

飛島炭鉱へゆく ② (松浦市今福町)

どうしても間近で見たかった、あのボタ山と送炭線の支柱が段々近づいてきました・・・。 支柱は鉄筋の中をコンクリートで埋めてあり、がっちりとした作りとなっています・・・。 支柱は背後の草むらの中へと続いています。この奥に鉱業所があったものと思われます・・ 海岸に突き出た積み出し桟橋です。こちらもだいぶ劣化していますが、ちゃんと形をとどめています。 この先に船が着いていたわけですね。コンクリの上にあったであろう、コンベアは閉山後取り外されたか、穴だけが残っています。 その

飛島炭鉱へゆく ① (松浦市今福町)

「近くて、遠い島」・・・それが飛島(とびしま)炭鉱のあった松浦市今福町、飛島です。 松浦市今福港からはこんなにも近くに見えるのですが、フェリーの便数が少ないため、そうやすやすと行ける場所ではありません。 しかし、だからこそ、行ってみたくなるものです。フェリーは今福港と鷹島の殿ノ浦港を往復する途中で飛島に寄りますが、ダイヤの関係で、今回は鷹島の方から渡ることにします・・・・ (島の最も右側に見えるおにぎりのような山の部分が炭坑時代のボタ山です。) 福島町から見た飛島。左側