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少しラクに生きるためのヒント

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2023年6月の記事一覧

「タバコのポイ捨て」が、どれだけ環境に害を及ぼしているか、ほとんど知られていない

こともあろうか、子ども達が親しんでいた水棲生物の水槽に、煙草の吸殻が投げ込まれた。 「たった一本の吸殻」で、中の魚や生物たちがほぼ全滅したという。 この私設水族園が、どのような思いで造られているか、下のTwitter の中でのコメントを読めば、すぐにわかるだろう。 本当に、悲しみと怒りの入り混じった感情が込み上げてくる。 というのは、この「煙草のポイ捨て」は、日本中どこらでも、頻繁に行われている悪行だからだ。 私もかつては、吸ったことはあるし、他人に迷惑さえかけなければ

人間にとって、尊厳ある豊かな暮らしとは、何なのだろうか? Ⅱ

yahooニュースで、”ソマリアで乳児の死亡率が非常に高く危機的だ”というニュースがUPされていると、これまた無数の「匿名の」有象無象が、よってたかって、「避妊のことを考えないのか!」「援助に頼り切っている民族だから、きりがない」だとか、言いたい放題。 正直、気持ち悪くなる。 なら「(コメントなど)読まなければいいではないか?」と言われそうだが、こちらは何か人道的なトピックを期待して読んでしまった。事実、稀ながら非常に聡明ないいコメントに遭遇することもある。 そういったインス

人間にとって、尊厳ある豊かな暮らしとは、何なのだろうか? Ⅰ

Twitterを開けば、群馬県榛名湖の遊覧馬車に対して、「真夏に馬車を曳かせるのは酷だ」と動物愛護家?が匿名で攻撃(口撃?)している。 馬車馬の「かんたろうくん」は、ここ二、三日脚の調子が思わしくなくて、飼い主一家は、仕事を休ませてるというのに。 皆から一斉に反論されると、最初の鼻息はどこへやら、さっさとツイートを消して逃げてる。 いざとなれば、アカウントを消しゃ済むだろうが、攻撃された方は、ずっとずっと思い悩むのだ。 そういった「匿名の口だけ」動物愛護家は、上の写真のような

辞めてもいい、しかし最低一度は、くつがえす為のトライをせよ

NHKラジオ「ふんわり」の金曜日の放送日に、「悩み相談」を聴く機会があります。 「学校がつらい」「部活がつらい」「職場がつらい」といった相談に対し、脳科学の見地からアドバイスをされるパーソナリティさんは、「そんなとこ、すぐ逃げちゃってください!」というようなことをコメントされていた。 基本的には私も賛成であるが、しかし、それでは「いつまでたっても、どこまで行っても逃げ続けることになる」と思う。 生きていくには、戦う(状況をよくするためのトライアル)も必要なのだ。 だから

立派な墓碑よりも、当時の生きた記憶を遺してほしい

父方の祖父は、もう随分昔に亡くなってしまったのだが、ざっくり言うと、若い頃満州に存在した「満州鉄道」に勤めた後、終戦より随分と早く内地に引き揚げ、その後は佐賀の田舎で農家として暮らした、という人であった。 こう聞くと、なんらドラマチックな人生でも何でもないのだが、なぜだか、このじいちゃん、私に根拠は無いが、あるインスピレーションを送ってくる気がしてならない。 私が教師として、壱岐という玄界灘に浮かぶ小さな島の中学校に赴任した時の事。 その学校は何でも、墓地を取り崩して造ら

「自分に関心を持って、尊重してくれる存在か、どうか?」ー これで、人は応援するか、失敗を期待するを 決める

「自分に関心を持って、尊重してくれる存在か、どうか?」ーこれで、人は応援するか、失敗を期待するかが決まる。 それ以外に応援するとすれば、それは「自分に利益が期待できる場合」であろう。 結局、人の感情と行動というものは、そんなところで決まるのである。 とすれば、商売において、子育てにおいて、社会活動一般において、どのような心構えと態度でやっていけばよいかがわかってくる。

「考える力の100倍であるイメージの力」を発揮させるには

「イメージは、考えるの100倍」と言われるが、その意味は、案外きちんと繋がっていない。 たとえば誰かが、経済的或いは健康的に、かなり厳しい状況にあるとしよう。 傍から見ると、それは「大変な状況」である。本人がこれを自覚しているとすると、これが「考える力」である。 しかし、沈んでばかりはいられないから、何とかその状況を挽回しようと考え、試みる。 その試行錯誤には、うまくいったことを期待しているわけだから、イメージしていると言えなくもない。 しかし、ここまでは「考える」の範

「年をとったから、もうできない」のではない。若い頃から「トライ&エラー」という思考が無いだけなのだ

「年をとったから、もうできない」とすぐに言う人がいる。 しかし、そういう人は、若い時でも、「こうすれば、うまくいくかもしれない」というトライ&エラー(試行錯誤)ができなかった人なのだ。 だから、あらゆる問題は、どこかの誰かがやるだろう。少なくとも私には関りの無い、手に負えない問題だとして、目をそらして考えも感じもしなくなる。 ただ、限られた自分にできる楽しみだけを考えて生きていく。 かつては、私自身も、そんな人間に成り果てようとしていた。