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少しラクに生きるためのヒント

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2022年5月の記事一覧

商売をやるならば、「品質(種類)」ー「価格」ー「付加価値」ー「宣伝」の次に来るものが、もっとも重要

何か物を売る場合であれ、サービスを売る場合であれ、オーソドックスには、標題のような思考になると思います。 ここまでは、ほぼ誰もが考えると思うのですが、実際はそう簡単なものではありません。 「商材が時代に合わなかった」とか「商売に向いてない気質だった」とか、「ターゲットとなる消費者の心理をつかめていなかった」など色々と失敗の原因を考えますが、本当にそうでしょうか? 私は、その次にくるべき「もの」が無いので、伸び悩んだというのが実情ではないかと思います。 その次に来るべきも

「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備すること ③ 自然に身についている人

「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備することが、自然に身についている人がいる。 その人は、心に余裕があったり、精神的に成熟しているから、できるようになったわけではない。 「習慣」になっているから、できるのである。 「水は、低い方へ流れる」 という言葉があるが、すべては、この言葉が表している。 「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備していると、「そんなにペコペコする必要などない!」と乱暴なことを口走る人がいる。 しかし、このような高圧的な人の元には、最終的には

「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備すること  ② それができないと、いかに自分にとってマイナスか

「~~は、その時、こんなことを言ったのよ(或いはしたのよ)」という類の、いかに自分が嫌な思いを他人にさせられたか?という昔話を40年も50年も言い続ける人がいる。 気持ちはよくわかる。自分だってそうだ。 でも、聞く人にとってはなんのプラスも無い。 で、話す本人にとっても。 笑い話のネタならともかく、どこの誰かも知らない人、或いはよく知らない人の〈悪いこと〉を聞いたところで、よい気分にはならない。 もしかすると相手には「何の悪気は無く、たまたま状況やタイミングがそうさせ

「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備すること  ① 世界情勢や人類の歴史レベルに照らして考えてみる

考えてみれば、何と無益なことであろうか。 私たちが生まれる、ずっと以前に起きた戦争の歴史の遺恨を、いつの間にか背負わされ(丸投げされ)、そして解決することもなく、その遺恨を死んでからも、次の世代に引き継ぐなんて。 そんなことは、自分たちのの世代で、さっさと終わりにしよう。 お互いが、根拠のわからないプライドにこだわっているなんて、実にくだらない。 お互いに「赦す」「譲る」「認める」「謝る」の姿勢で相手に接すればよいだけのことだ。 それは国家や民族レベルでも同じこと。

仕事をして対価を得るとは、究極には「ソリューション力」をいかに発揮するかなのである。しかし、根本が間違っているならば、発揮しようがない。

まず小中学校の「進路学習」では、「どんな仕事があるかな?」に始まり、「どんな仕事をしたいかな?」と続き、「どうやったら、なれるかな」で大体完結する。 それで高校進学などを考えるが、そんな都合よく流れる進路などはなく、地理的な事情や経済的な事情で、学校選択をし、進学をする。 しかし、その内道を半ば見失ってしまう。学校で課せられる膨大なことに毎日を忙殺されてしまうからだ。 結果、進学にしろ、就職にしろ長続きしない。当然のことだ。若者に問題があるわけでも何でもない。 ◎働く

知ってる単語と聞きやすい発音の音楽で英語を学ぼう! ~ Ring of Fire -(Johnny Cash) coverd by Anne Reburn

(↑画面右下辺りに表示される「歯車マーク」の中の「subtitles」をONにして「English」を選択すると英語の歌詞が表示されます) いつの時代でもそうなのだが、やはり英語がある程度出来た方が何かと都合がよい。 というか、英語があまりにもできないとディス・アドバンテージが大きい。 しかし、「必要に迫られなければ」学習しないというのも、大きな語学のネックであることは間違いないないだろう。 私が今までの人生で一番英語を使う必要に迫られたのは、日本語学校の校長時代。

自分の人生を大切にする時間が確保でき、誰か人の為に役に立っているという実感がなければ仕事なんて長くは続かない

表題の真逆。 「賃金にカウントされない早めの出勤、慢性化した残業」 「やっていることが、誰かの役に立っているとは、到底思えない内容」 高校や専門学校を卒業し、希望を持って就職した先がそんなんで、 当然モチベーションなんて上がるはずもないのに、信頼もしてない上司や先輩から怒られて、それでやっといくらかの「なみだ金」を稼ぐ。 そんなの、長くは続かないですよ。 地方の若者が卒業後、地元に定着せず、都会に出ていくのは、会社の数が少ないばかりではないです。 表題のような環境で若者

「許す」「譲る」「認める」「謝る」は、自己を尊敬し好きな自分でいられる

その反対は自分が嫌になり、人生も空虚になる。 「許さない」「譲らない」「認めない」「謝らない」 ・・・そんな気持ちがわき起こってきたのなら、 「自分は、そんな人にはならない」 「許す」「譲る」「認める」「謝る」 「自分自身を尊敬し、好きになれる自分でいる」 と念仏のように繰り返すこと。 人生は有限であり、その大切な一日を、よい気分で終えることができる。

事の大小に関わらず、人に嫌な思いをさせられたら・・

先日、帰省してくる娘のバスを待つ間、コンビニの駐車場で少し待たせてもらった。 何も買わないのは悪いので、普段は買わない自己啓発の小冊子を買って読んだ。 そこに八代 亜紀さんのエッセイがあったのだが、いいエピソードが載っていた。 原文通りではないが、それはこんな感じのことだった。 これは大変いいパラダイム(価値観を伴った考え方、物の見方、感じ方)だと思う。 現在は、とても不寛容な時代である。 少し買い物をしようと出かけても、自己本位な車や人に会わないことの方が稀である。 自