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謙虚に他責思考

なんか今日は超本音のいい文章を書ける気がするのでとりあえず書きます。

今日の学校帰り、朝6時に起きて、練習して、内定先の人と喋って、インターンの準備して、部活の仲間と他愛ない話をして、という一日を振り返っていると…
ふと「人生っておもろいなー。」と思いました。そこから、毎日一緒にサッカーして、飯食って、しょうもないけなし合いをしている同期(A4回生)の中に「人生おもんな」って思ってる奴おらんやろうなとふと思いました。

なんで「人生おもんな」って思ってる奴おらんのかなと考えた時、
全員他責思考やからちゃうかな?
と思いました。(間違ってたらごめんなさい)

よく世間一般で言われる「自分でコントロールできる部分」と「自分でコントロールできない部分」の話があると思います。
その自分でコントロールできる部分のコントロールがめちゃくちゃうまいのが、僕たち4回生なのかなと思います。
僕はそこのコントロールが上手い人が他責思考、コントロールが下手な人は自責思考の持ち主だと考えています。

ここで、人生を超絶楽しんでいる同期の中でも最も楽しんでいるであろう、他責思考代表格である僕の考え方を紹介しようと思います。
例えば試合でメンバーから外れた時だと、普通なら悔しいという気持ちが大きいのが一般的だと思います。ただ僕の場合、悔しい気持ちはもちろんありますが、それよりも「思い通りにいかない人生おもろすぎやろ」「俺が監督ならメンバー入れるけどな…ま、これがダイバーシティインクルージョンか」と考えると思います。
他にも、気になってる女の子とのご飯中に元カノと遭遇してしまった時、普通なら気まずく、「無視しようかな」「すぐお店でようかな」と考えると思います。ただ僕の場合だと、「うっわ、この気まずいシチュエーションに出会えるって人生おもろ」とか「これ付き合えなかったら(元カノ)のせいやな」「でもこのシチュエーションでもやっていける俺強すぎ」と全然違った考え方をすると思います。

本当に、「難(なん)が「無い」人生よりも「難(なん)」が「有る」人生の方が間違いなく「有難い」です
(ゴルゴ松本さんの真似です。)

何が言いたいかというと…
人生を面白いと思えるかどうかは「捉え方・考え方次第」ということです。

就活に失敗しても「神様は俺に試練を与えてきたか…有難しシェイシェイ」と思えば人生は面白いだろうし、試合に出れなくても「いや~思い描いてたのと違うな~、これが人生という名の壮大なゲームか」と思えば、試合に出れないことくらいちっぽけなことだと思えるだろうし…

捉え方・考え方で人生の面白さは変わる。

辛くなったら他責思考おすすめします。人生おもろくなりますよ。(笑)

ただ謙虚さは忘れずに。

※大げさに書いたけど、勿論自責思考も謙虚さも持ち合わせています。
この文を書いた後だと説得力が無さすぎるので、誰か僕の自責思考さと謙虚さを説明してください(泣)

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