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「空気」と日本人の感性

「お前、空気読めよ~」

そんな言葉をかけられたことがある人は多いのではないでしょうか。
「空気を読むのって大切だけどなんかしんどい…」「空気を読むのも生きていく上で重要じゃない?」と様々な意見があると思います。

そんなしばしば取り沙汰されることの多い「空気」は日本人ならではの独特な文化でもあります。
「自分の国には『空気』に該当する言葉はない」という外国人も珍しくありません。
今回の記事では「空気」と日本人の感性について取り上げたいと思います。

参考文献ですが、「国家の品格」(著・藤原正彦)という本を参考にさせて頂き、記事の中で引用した部分にはページ数を明記しました。
この本は日本人や国家に関する考察がとても鋭い本で、文章自体大変面白いので気になった方は是非読んでみてください。

「空気」について

先日、哲学カフェで「空気」について話し合いました。参加者の方々からは「意見が違うと否定されるかも」「空気を読みすぎると対話が無くなる」「会話の流れを遮ってしまわないようにしている」など「空気」に関する様々な意見が出ました。
僕自身、個性を出しにくいような雰囲気を感じたり、相手の様子を窺ったりと「空気」を意識してしまうことがしばしばあります。
やはり日本人の間では「空気」の存在は浸透し、日常のレベルで意識されてのだと改めて感じました。

さらに最近、「忖度」「〇〇ハラ」などの問題が多く取り上げられています。
「そういう空気があったので…」「何か言える空気ではなかった」などと後々言われるように「空気」の存在が大きく関係していると考えられます。

そして「空気」について色々思考を重ねる内に、「空気」は日本人独特の感受性が内在した、他国にはない特異な文化に大きく関係している、と僕は考えました。
その次の節でもう少し掘り下げて考察していきたいと思います。

虫の鳴き声は「ノイズ」?

秋になり、外を歩いていると鈴虫やコオロギ、ウマオイなどといった虫の鳴き声が聴こえてきます。
虫の鳴き声を聴くだけで「ああ、もう秋だなぁ」と寂寥感に駆られたり、情緒を感じたりする方も多いと思います。
和歌や俳句の中でも秋の虫を取り上げたものが多く、昔から日本人にとって身近なものだったと想像できます。

また、鳴き声も多種多様で、それぞれの名前と音色を紹介する
むしのこえ」という童謡にもなっています。
子どもの頃に歌った経験がある人もいるのではないでしょうか?
歌詞を読むだけでも、子どもの頃に虫の鳴き声を追って草むらや藪の中に分け入ったことを思い出し懐かしい気分になります。
(子どもの頃は僕もよく捕まえに行きましたが、特にウマオイを見つけるのに苦労しました。)

このように情趣を感じたり、童謡になっていたりすることから、日本人にとって虫の鳴き声は特別な存在であることが分かると思います。

しかし、「国家の品格」の中で藤原さんのある体験談が紹介されていてその内容が実に興味深いのです。
藤原さんは普段大学の教授(出版当時)をされていますが、以下はその時の話だそうです。

「十年ほど前に、スタンフォード大学の教授が私の家に遊びに来ました。秋だったのですが、夕方ご飯を食べていると、網戸の向こうから虫の音が聞こえてきました。その時この教授は『あのノイズは何だ』と言いました。スタンフォードの教授にとっては虫の音はノイズ、つまり雑音であったのです。」(p101 「もののあはれ」)

教授の方は虫の鳴き声を聴いて、寂寥感を駆られることや情緒を感じたりしなかったのです。
日本人にとっては当たり前にも思える感性であっても、外国人にはあまり馴染みがないものなのです。

他にも、「花見」「俳句」などは日本独特の文化です。
外国にも似たような風習はあるかもしれませんが、日本人程鋭い感性で、桜が散っていく光景に儚さを感じたり、俳句を読んで深く感銘を受けることはないでしょう。
そういった自然に対する感受性や美を感じる感性が日本人の感性の根底に流れているのです。(虫の鳴き声は「ノイズ」?:p95~115を参考)

「空気」と日本人の感性

先程の節で日本人の感性が外国人に比べ大変鋭く、特異なものなのだと感じていただけたかと思います。

日本人の感性というのはとても敏感に物事を捉えます。
虫の鳴き声といった些細なものに季節の移り変わりを感じたり、ようやく咲いたのに数日で散っていく桜に儚さを感じたり、と大変繊細です。
他国が真似しようと思っても中々会得できるものではありませんので、僕自身、こんな素晴らしい感性を持つ日本人に生まれたことは大変誇りに思います。

しかし、一方でその日本人の感性のネガティブな側面が「空気」というものに出ているのだと、僕は考えています。
雰囲気や目に見えない情緒を敏感に感じ取りすぎるが故に「空気」というものを作り出してしまったのではないでしょうか。

「忖度」や「〇〇ハラ」などのニュースで「責任の所在はどこにあるのか?」という言葉をよく耳にします。
突き詰めて言うならば、「日本人の感性にあります」と言えるのかもしれません。
しかし、日本人の感性というのは良い面もたくさんありますしこれからも受け継がれていくべきものです。
それに感性というのは変えようとして変わるものでもないと思います。
日本で育った者として、その感性と上手く付き合っていかないといけないでしょう。

「ではどうすればネガティブな側面がなるべく問題にならないようにできるか…」
その問いに僕なりの答えを出すとしたら

日本人が日本人の事をよく知っておく

ということだと僕は思います。

自分達のことをよく知っておけば、「日本人ってこういう態度取りがちだよね」「この場面は気を付けないとね」などと思い遣ることができます。
そういう情報を予め頭に入れておくだけで、日本人がどう行動しがちなのかと予測が立ち、状況も少しずつ変わってくると考えています。
認めるべきものは認め、どうしようもないこともあるのだという「積極的な諦め」を持つことが「空気」の問題に限らず、様々な場面で大切なのではないでしょうか。





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