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「PCの故障」という災難から生まれた幸福の体験談


インターネットから追い出される

「個人的なお知らせ」

ついにPCが故障してしまったため、しばらくの間、あらゆる発信や返信に遅れが生じます。本体(人間の方)は生きているためご心配なく。

ちょっと前のぬか喜びからこの事態なので笑い話です(笑)

それでも「ピンチこそチャンス」ということで、何とか対処してみます。

ホロの心象(Xアカウント)より

このような事情からインターネットに来られなくなっていたホロ9ですが、先日、無事に復帰することが叶いました。

一時は「いよいよネットでさえ人様と関われない人生の幕開けなのでは……」と戦々恐々しておりましたが、本当に幸運でした。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉もあるように、エネルギーとは見えないところで巡り巡るものですから、私の稚拙なnote記事を読んでくださり、間接的に存在を肯定してくださる読者の方のお陰もあると思っております。改めてお礼申し上げます。

ちなみに少し前、私がnoteとは別で運営している「はてなブログ」の方ではこんな投稿をしていました。

「ここ最近、あまりにもPCの動きが悪いので最終手段の初期化を試してみた」

「それでも改善しなかった」

「しかし、その先で色々な気づきがあった」

という風に、日常の取り留めもない出来事を綴ったものです。ここではPCの動作が改善し、一時は舞い上がっていたのですが……。

翌日には元々よりも動きが悪くなり、たった一文字をキーボードでタイピングすることさえ厳しい有様に。そこで私は7年も酷使してきた愛機がいよいよ寿命を迎えたことを覚りました。

「インターネット利用」といえばスマホが主流の現代ですが、日常的にスマホを使っていなかったことが災いしてか、PCよりもよほど早い段階でスマホの方が壊れておりました。

つまり、PCが使えなくなったことにより「ネットを利用できる端末が無い」という状況に陥ってしまったのです。

これが発端となり、私はちょっぴり不思議な体験と、それから思わぬ幸運に巡り合うことになりました。今回の記事はそんなお話です。

※いつものような自己啓発に特化した文章は最後の項「不幸と幸福の姉妹」に収録されておりますので、お忙しい方はそこまで読み飛ばしていただいても構いません。

付喪神(つくもがみ)

クリックや文字入力など、何か動作をする度にPCには20秒以上ものフリーズ(画面が固まること)が挟まるようになっていました。どころか、何も操作をせずとも自然にフリーズしてしまう程です。内部のパーツが余程古くなっているのでしょう。そのうえでブラウザを開いてネットの閲覧でもしようとすば、もはや至難の業です。

それでもPCが壊れてしまった以上、どうしても代替品を買わねばなりません。私は福祉の支援を受けているわけではない、純粋な「ひきこもり」であるという事情もあり、資金力は皆無ではありますが、非常にお恥ずかしながら親に頭を下げて幾らか手伝ってもらうことに加え、後は何か自分の持ち物を売り払うことで数万程度であれば捻出できる見込みでした。そういうわけで私は、藁にも縋る想いでネット閲覧を開始します。一挙一動が固まりつつ……(笑)

たった一つのページを閲覧するにも10分以上掛かる状態でした。あまりにも動きが鈍いPCの挙動によって、こちらの肉体まで調子が悪くなってくるような不快感に耐えつつネットを見回っていたのですが、マトモな性能であればどのPCでも安くて10万円はします。

低性能のノートPCくらいであれば7万弱で売られているものもありましたが、PCを酷使する都合上、買ったところですぐダメにしてしまうことは目に見えていました。標準的なデスクトップ以上の性能のものを買わなければ、根本的な解決にはならないことがわかっていたのです。

ネットを閲覧することさえ難しい状況の中、「この先も使い続けられそうなデスクトップPC」という条件に絞って、何時間も掛けてあちらこちらのPCの販売情報を見て回りました。

そしてある時、目に留まったのが「各種5台限り、PCが半額!」という魅惑的な文言でした。

それは某有名メーカーが夏のボーナス時期に合わせて行っていたキャンペーンであり、用意されていたラインナップの中には10万円台のデスクトップPCが半額の5万円で買えるものがありました。

「これだ!」とすぐに目星を付けましたが「先着5名限り」という平常時でも厳しい条件は、常時フリーズし続けているような私のPCで挑むにはあまりにも無謀に思えました。

しかし他に打つ手もありません。10万円にも満たない資金で満足に使い続けられるPCを手に入れる術を知らないからです。「ダメだったらそれまでだ」と私は腹を括り、ちょうどそれを知った翌日に開催されるらしい、キャンペーン開始の時刻を待つことにしました。

「先着5名の商品を取り合う」という、自分の日常には無い種類の緊張感が肌を走って、ピリピリしました。開始時刻が近づくに連れて、心臓の鼓動も次第に早まります。

「こういう感覚はもう何十年も味わっていなかったので、結果がどうなるにしても良いリハビリだ」と喜ぶ気持ちも頭の片隅にありました。

キャンペーン開始の5分前。専用ページを予め開いておいて、開始と同時に「更新」を行って駆け込むという算段です。私はPC画面の右下に映される時刻が、開始時刻の12:00に切り替わる瞬間に神経を尖らせていました。そして、遂に戦いの火蓋が切られます。

きたる12時00秒。キャンペーン開始の時刻です。すぐさまは私は画面の「更新」を実行しました。しかし、これまでの傾向から考えてページの更新には少なくとも20秒以上は掛かる計算でした。明らかに不利な戦いです。ところが実際のPCの挙動は、僅か1秒程度で更新を完了させました。動作を取る毎にフリーズしていた日頃の挙動からはにわかに信じ難いスピードです。ただ、こういうキャンペーンの類は必ず時刻通りに始まるとも限らないようで、更新された画面には商品が未だ1つも並んでいませんでした。かといってのんびりしていると先着5名の狭い船に乗り遅れてしまうので、商品が並ぶまでの間はとにかく「更新」を実行し続けました。奇妙なことに、日頃は20秒以上は待たないと行けなかったPCでも、その時だけは全ての更新が1秒程度で済んでいたのです。

実際にキャンペーンが開始したのは、予告されていた12:00よりも7分後のことでした。商品が並んだのを確認した後、急いで「カートに入れる」ボタンを押し、その後の購入手続きまで一気に進めてゆきます。本当に奇妙なことに、あれだけ1動作ごとに画面が固まっていたPCが、その時だけはかつて新品で購入し、快適さに驚いていたあの頃のように、あらゆる動作がキビキビ反応してくれるのです。お陰で少しのフリーズも起こすことなく、無事にお目当てのキャンペーン品を購入することが叶いました。

「まさか自分が間に合うなんて……」と呆気に取られながら「購入手続き完了」の画面を私はしばらく眺めておりました。その後ページを戻って再びキャンペーンの棚を確認してみたところ、やはり先着5名とはかなりの競争率だったようで、私が買った商品は12:10の段階で全て「売り切れ」と表示されていました。

そして、再びPCの挙動に変化が訪れます。一時は何かの拍子ですっかり挙動が改善したと思われていた長年の愛機でしたが、キャンペーン品を購入し終わった後はまるで気力が萎んだように、元のフリーズが連続する状態に戻ってしまったのです。画面上の何かをクリックすると20秒以上待たされるのは当たり前だった、元の状態に。

しかし、これではまるでPCが、一縷の望みでキャンペーンに縋りついた私の心を理解して、最後の力を振り絞ってくれたように見えます。

日本には古くから、長い間大切に扱った道具には精霊が宿って付喪神になるという謂れがありますが、そんな謂れを想起させられた一件でもありました。

故障によって開かれた体験

辛くも故障によってPCの新調を余儀なくされましたが、そうするにあたってPCを構成する各パーツの仕組みや種類といった、これまでの人生で私が全く意識して来なかった分野の知識が必然的に流れ込んで参りました。

いくつもの商品を見比べる内に、PC毎の性能の違いや特徴を示す搭載パーツの小難しいカタカナや英数字の意味がわかってきたのです。

これまではほとんど無意識で使っていた「よくわからない箱」だったものが、我々の人体と同様に、様々な働きよって成り立つ小さな集合体として認識できるようになったのです。

各部位を分けて考えられるようになるのが「分かる」という言葉本来の語義だと言いますが、今回はそれを肌身で味わえた体験でもあります。

それから、幸いにも替えの新品を注文できはしたものの、PCの故障によって約10日間はネットが使えない状態に陥りました。

つい、いつもの癖で机に向き合って、さてネットサーフィンでもやろうかという姿勢を取ってしまいますが、実際そこにあるのはフリーズしてまともに動かなくなったPCだけです。

初めの3日くらいは「どうしてもネットが見たい」という欲求に駆られてソワソワしていましたが、4日目に入ってからはやけに落ち着き払って、部屋の掃除や読書、あとはちょっとした買い物に出掛けたりを楽しんでおりました。

「ネットを見なければ世界に置いて行かれる」
私は純粋にネットを有意義に感じて使っていただけでなく、妙な焦燥感に突き動かされている部分も少なからずあったのだなと自覚させられました。

意図せぬ「ネット断ち」の中で、「生きている」という感覚の基準が日夜睨みつけていたデジタルの中ではなく、此処リアルに久しく帰ってくる感覚が起きたのです。

手に触れるものの感触や重み、風の音、空気の匂いといったものがやけに生々しく感じられます。あの頭の中に一気に流れ込んでくるような喜怒哀楽の濁流はなく、物語を持たない眼前の光景が、ただ実在の重みを誇りながら、淡々と在り続けるのです。

実は人間の人生には「物語」という体験はほとんど無いのではないか。「物語」の不在によって、心に波風が立たなくなるのではないか。情報で溢れかえった現代では、「物語」の過剰摂取によって心が不安定になり易いのではないか。「物語」を有さないただ一途に巧みな情景描写の連続こそ、高潔な宇宙の美学の象徴なのではないか。思えば自然界の景色も、ほとんどそうだ。不意にそんな発想も頭に浮かんで参りました。

「三歩歩けば忘れる」という言い回しがあるように、前後の文脈を顧みない態度は愚かさの象徴ではありますが、一方で「現在」という時間軸に集中する当たっては必要な純粋さでもあるのかも知れません。人間以外の生物が自殺をしないのは、彼らの認知上に一切の物語を有さないから……とも言えるのではないでしょうか?

「PCが故障する」という嫌な体験によって、今後も役立ちそうなPCに関する知識が増えましたし、予期せぬネット断ちの中でも色々な価値ある体感を得ることが叶いました。また、その後手にした新品のPCが「文字を打ってもフリーズしない」「クリックしてもフリーズしない」ことを心から楽しむことが出来たのも、今回のPCの故障体験があってこそです。

不幸と幸福の姉妹

ここnoteでもすでに何度か同じ話をしていそうですが、私が好きな逸話に「吉祥天と黒暗天」の話があります。

これは、幸福の女神である吉祥天と貧乏神である黒暗天が実は双子の神様であり、二人は常に行動を共にしているというものです。

つまり、片方を追い出すと両方とも出て行ってしまいますし、幸福(吉祥天)が家に入ってきた後には、必ず不幸(黒暗天)も一緒に上がり込んでくることを表しています。

裏を返せば「人生に不幸が訪れた時、幸福の予兆でもある」ということになります。二人は必ず行動を共にしている、一心同体の姉妹とのことですから……。

今回の私の件も、ひきこもりにとっては辛うじて社会との繋がりであったPCの故障という「不幸」をきっかけに、色々な気づきや収穫、そして結果的に以前よりも良いPC環境を得られる「幸福」へと繋がりました。

しかし当然「ピンチこそチャンス」「チャンスこそピンチ」という言葉があるように、人生に於いて禍福とは絶え間なく転じ続けるものでしょう。私も調子に乗っていればすぐにまた痛い目を見る羽目になるでしょう。

幸不幸とは奇妙なもので、将来振り返ってみれば「自分はあの頃不幸だったことで、むしろ命を救われていた」「あの頃幸福だったことで、大切なものを失ってしまった」というようなことだってあります。不運が続いて出勤のバスに乗り遅れた人が、翌日のニュースでそのバスが事故を起こして死者を出していたことを知り、大変驚いたという体験談を聞いたこともあります。果たして本当に不運だったのかどうかの答え合わせは、時間が経ってみないとわからないものです。

究極を言えば、幸不幸という二元は「自己」という本質をこの世に降ろすための道具に過ぎないのだと私は予想しています。写真撮影に於ける光と影の分量のように、どちらか一方に目的があるのではなくて、それらの中央に浮かび上がる「被写体の姿」こそが本来の目的だということです。人間の両目も、両目の働きによって狭間に「立体」が浮かび上がるように作られておりまして、「右目がすべて」だとも「左目がすべて」だとも言えません。

従いまして、幸福、不幸といった両極の感を深く味わい尽くすことによって、ここにもまた陰影に浮かぶ被写体の如く、或いは両目で結ぶ立体像の如く、深淵なる人生の意味というものが判明してくるものなのではないでしょうか。

何であれ、幸福の後に不幸が現れることと同様に、不幸の後には必ず幸福が現れることはこの先も心に留めておきたいです。彼女らは一心同体の姉妹であり、適切にもてなせば共々にお喜びになられるのではないでしょうか。

邪神、怨霊を祀ることでむしろ守護神へと昇華させる態度は此処日本に古くから見られるものでありますが、こうした所謂「転禍為福(てんかいふく)」の姿勢は、データ管理はさておき精神世界の管理が極端に下手になってしまったデジタルの時代でこそ、多分に活きてくる予感がしております。

現代式の唯物的な生き方が各方面で行き詰った先で、物質重視から精神重視へと丸ごとの大逆転が起き、そこでは多くの人々が心の業を用いて幸福と災禍を乗りこなし、降りかかる不幸を続々と幸福へと転じ、末永く寿の吹きすさぶ人間界が現れてくれますように。

結び

純粋な不幸だとばかり思っていたものが、結果的に色々な吉事を齎してくれたという体験談の記事でした。やはり物を大事にするのは良いことのようですし、不幸が思いがけず幸福へと転じることもあるようです。今回も拙文にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます。

もしもこれらの文章を目にされた方が今現在、何らかの不幸に悩まされているとすれば……。後々に「あれにはちゃんと意味があった」と納得出来るくらい、それが大きな幸福へと転じますように、祈りを込めておきます。

人生の全てが有意義でありますように。







このサポートという機能を使い、所謂"投げ銭"が行えるようです。「あり得ないお金の使い方をしてみたい!」という物好きな方にオススメです(笑)