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トイレのクモ

秋頃、我が家のトイレに住み着いたクモがいました。
足を含めて1cmぐらいの茶色い、よく見るクモです。
トイレの隅っこ、床から20cmくらい上の位置に糸を張り、エサ待ちしていました。

トイレに入るとイヤでも目に入るそのクモ。
糸にかかった虫を捕食するクモ。
エサがかかったことで乱れた糸を補修するクモ。
トイレに入るたびに、そのクモのことを気にかけて見てしまう。
時には何日もエサとなる虫がかからないと心配になり、
どこかで虫を捕まえてきて糸にかけてあげようか?などと思ったりもしました。
そのクモは、捕食した後の虫の亡骸は、糸から切り離し床に落とすので、そのクモがいる巣の下の床には、大中小の虫の死骸が溜まっていきました。
人としてはトイレは清潔に保ちたかったのですが、これから冬になり、このクモが食べ物に困ったときの非常食になるのかも?と思うと片付けることもできず、そのクモの巣の下の床の一角だけ、そのままにしておくことにしました。

そして私はいつしか、そのクモに話しかけるようにまでなりました。
「今日は暖かくなるみたいだよ」
「今日は雨が降って寒かったね」
そんな挨拶程度の会話だったのが次第に、日々の嬉しかったこと、嫌だったこと、職場の愚痴まで、話すようになりました。
せまいトイレの隅っこでそのクモは私の話を黙ってじっと静かに、時に虫を食らいながら聞いてくれました。

冬になりました。
クモは冬の間はどうするのだろう?越冬できるのだろうか?
我が家は寒冷地域になるため、冬場は氷点下は当たり前なので、
トイレに部屋の暖気が入るようトイレの扉を少し開けておくのが常です。
もしかしたらこのクモは寒さが厳しくなったら、トイレから出て少しでも暖かい場所へと移動するかもしれない。
そう思っていました。
エサである虫がトイレに現れなくなった頃、クモの動きが少なくなってきました。
生存確認のために、息をフーーッとかけてみます。
私の息に反応して、「やめてよー」と足をスッっと引っ込める動きを見て安心する私でした。

そうして本格的な冬になりました。
するとクモは少しも動かなくなりました。
生存確認の私の息フーッにも、ピクリとも動かなくなりました。
あぁ、やっぱりこの寒さでは死んでしまったのかも。
と、巣ごと片づけてしまおうかもと思いましたが、
もしかしたら、冬眠しているだけでまだ生きているかもしれない。
そう思うと片づけられず、クモも巣も、床に落ちている虫の死骸も、そのままにしておくことにしました。
そして相変わらず私はその動かないクモに話かけ、愚痴を聞いてもらいました。
「今日は一段と寒いね。」
「明日は雪が降るみたいだよ。いやだよね。雪かき大変だし。」
クモはじっと動かず、巣の糸にもホコリが被っていきました。

やがて長かった極寒の冬が終わりに向かい、我が家の辺りでも氷点下になる日がなくなってきた頃。
そのクモの向きが微かに変わっていたり位置が動いていたり、と、
まだ生きていることに気がつきました。
どうやらこのクモは越冬したようです。
ホコリを被った糸とは別に、新しい糸を張り直している姿を見た時、
私は心の底から「おはよう。」と声をかけました。

本格的に春になると、クモの動きも活発になってきました。
そしてエサとなる虫も新に張った糸にかかり、捕食する姿も見られるようになりました。
良かった。元気そうだ。

やがて、そのトイレのクモのもとに2匹のクモが現れました。
その2匹のクモはトイレのクモよりも一回り小さいのですが、先住のトイレのクモににじり寄っていきます。
しかし襲い掛かるでもなく、出て行くでもなく、
まったく何を考えているのかわりません。
トイレのクモの巣に3匹のクモが対峙している状態。
これはどういう状況なのか?
どうなってしまうのか?
いずれにしても、これも自然の摂理、と言い聞かせ、手出しせずに見守るしかありません。
数日後、一回り小さな2匹のクモはいなくなりました。
いなくなってすぐ、トイレのクモは卵を産みました。
てことは、あの2匹のクモはオスグモだった、ということでしょうか。

しばらくして卵から小さな小さな子グモが出てきました。
子グモと言っても、クモには見えず、小さな点です。
その点がひとつ、ふたつ、みっつ…と増えていき、卵の周りに広がりました。
クモの子を散らす、というのはこういう状況なのでしょう。
小さな点たちは糸を伝って放射状に広がっていき、
数日経った頃には、一粒残らず消えてなくなっていました。
子グモ達は、巣立っていったようです。
あんなたくさんの子グモたちが、それぞれ自分の意志で旅立っていったんだ。どこへ行ったのかな。みんな、どうか無事にどこかで生きて行っておくれ。

子グモたちが賑やかに巣立った後には、(おそらく)空になった卵と、あのトイレのクモだけが残りました。
今までと同じようにまたひとり、トイレのすみっこでエサ待ちをするクモ。
そんなにクモに話しかける私。
いつもの、今までの日常が戻ってきました。

そして、緑も艶やかに潤う梅雨の朝。
トイレに入りいつものすみっこに目をやると、あのクモが定位置にいませんでした。
どこが別の場所で身を潜めているのか?虫がかかって捕食しに行ってるのか?
トイレの床に四つん這いになり、クモ目線で探しましたが見当たりません。
そして目線を床に落として気が付きました。
去年の秋から掃除せずに、溜まったホコリと虫の死骸の中に、クモの死骸がありました。
足をたたんで仰向けになって落ちているそのクモは、大きさ、色、死骸の新しさからして、あのトイレのクモだと分かりました。
自分が捕食した虫の死骸たちに並んで静かに亡くなっているその姿は、
「命をありがとう。私もお役目が終わったのであなた達の元へ行きますよ」
と周りの虫の亡骸たちに言っているようでした。

去年の秋にこのトイレに住み着き、ひたすら虫がかかるのを待ち、極寒の冬を生き延び、オスと出会い卵を産み、子供たちを巣立たせたクモ。
そしてなにより、私の話を嫌な顔をせず、黙って聞いてくれたクモ。
そのクモの亡骸をそっと手のひらに乗せ、つぶさないように、ぎゅっと抱きしめました。
そして雨がしたたる庭に行き、見回す私の目に飛び込んできたのは、鮮やかなオレンジ色に咲くレンゲツツジ。
そのレンゲツツジの根本に、いっそう小さくなってしまったクモを埋めました。
来年このレンゲツツジが咲いたら、このトイレのクモを思い出すだろう、と。

クモがいなくなったトイレ。
去年の秋から掃除せずにいた、その巣の下の床だけがホコリで白くなっています。
住人のいなくなったクモの巣は、何年も放置された空き家のように、寂しく暗く生気のない場所になっていました。
私は雑巾を持ってきて、糸を払い、虫の死骸を掃き、あのクモのために放っておいたその床の一角を、数カ月ぶりに拭きました。
ホコリで白かった床が元のフローリングの茶色になりました。
すっきりくっきり綺麗になったその床とトイレの景色が、
見慣れているようで見慣れないような、
戻ったようで変わってしまったようなそれになりました。

もう私の独り言を聞いてくれるあのクモはいないんだな。
生存確認の息フーッをすると面倒くさそうに身を縮めるあの姿はもう見られないんだな。
そう思うと寂しい気持ちになりました。
あのクモがなんという種類のクモなのか、どんな生態をもつクモなのかは分かりません。調べようとも思いませんでした。
そう、あのクモは、ペットでもないし、飼育していた虫でもない、
特別な距離感の相方だったから。
だから、いなくなって寂しいし悲しい。
けれど、涙は出ない。

我が家のトイレの、あのすみっこには今、
数日前から小さなクモが糸を張っています。どうやら新たなクモが住み着いたようです。
あのクモの子供が帰ってきてくれたのか、
はたまた全く関係ない別のクモなのか。

この新たな住人・小さなクモはこの先、私にどんな姿を見せてくれるのか、
どんな関係を築けるのか、さりげなく様子をみていこうと思います。

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