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ソール・スタインバーグのドローイングに垣間見る人間観

ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されていた企画展「ソール・スタインバーグ〜シニカルな現実世界の変換の試み〜」を観てきた。

ソール・スタインバーグのことを全く知らず、行く前にウェブサイトの説明をみてもピンと来なかったのが正直なところ。

アメリカでもっとも愛された芸術家の一人、ソール・スタインバーグ(1914—1999)の逝去から22年。スタインバーグの名前は日本でもおなじみですが、今もっとも再発見、再評価を必要としている芸術家です。
スタインバーグは、ドローイングを「紙上で推論する方法」と捉え、神話化されたアメリカの理想像と現実とのギャップや、不気味で滑稽な不条理、たとえば、古いものと新しいもの、優雅と狂暴といったものの混在とその見えない裂け目(クレバス)を、ユーモアと風刺を備えた、軽妙でしかも鋭利な線(line)で描きました。彼は、「見えない線」、「見えないもの」、「見えない言葉」、「見えない構造」を視覚化し、意味の変換、概念の変換に生涯挑戦し続けました。

(ギンザ・グラフィック・ギャラリー「展覧会情報 ソール・スタインバーグ シニカルな現実世界の変換の試み」より引用、太字は私)

概念は難しいままだが、圧倒的な画力は説得力があった。

スタインバーグの作品は、パッと見ると「へたうま」という印象に留まるだろう。

だが『The New Yorker』誌に提供された作品などを実際に見ると、計算され尽くされた緻密な構図に驚かされる。ものすごく書き込まれており、それぞれのモチーフの意味を追いかけるのも大変だ。

そこに、当時にどんな風刺を込めたのか正確なところは分からない。

だが彼のメッセージは、その時代だけを切り取ったのでなく、普遍をまとったものだと感じられた。権力は強さを堅持したままである一方、市井の人たちは弱い立場のままだ。

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個人的に、スタインバーグの在り方で勇気づけられたのは以下の言葉だ。

スタインバーグは、しばしば周囲にカートゥーンニスト[cartoonist]、あるいはイラストレーターとして認知されていましたが、そのような範疇に収めてしまうことのできない作家でした。スタインバーグは、アートの世界の中での自分に位置付けについて、「私は、アート、漫画、雑誌のいずれの世界にも属しているとは言いかねる。だから、アートの世界も、私をどう位置付けたらいいか判断しかねている」と語り、彼は人生の終わりまで、自分の位置付けについての質問から、健康的な距離を維持しました。少なくともスタインバーグは、自分のキャリアが隅から隅まで他と違っていることを誰よりも自覚していたようです。

(企画展の掲示より、太字は私)

特定の専門分野が、数年経つとすぐに陳腐化してしまう時代。複数の専門性を越境しながらスキルや経験を身につけ、変化に適合していかなければならない。その中で「自らの肩書きはなんだろうか?」と悩む人もいると聞く。

だが、そういった世間からのポジショニングというものから距離を置いたのが、ソール・スタインバーグというアーティストに他ならない。「どう捉えられても良い。自分は作品が全てなんだ」と言わんばかりの圧倒的なアウトプットに、心を奪われない人はいないだろう。

彼の足元にも及ばないが、世間との差分にクヨクヨ悩むばかりでなく、僕自身もどんどんアウトプットしていきたい。

自分の名刺は、自分で作るもの。小さくても良いから実績をつくり、「おお!」という驚きを広げていきたい。

年度末にソール・スタインバーグの世界に浸れて良かった。

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会期は3/12(土)まで。料金無料で見られるので、新橋〜銀座〜有楽町など立ち寄った方はぜひ行ってみてください。

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