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誰が東京五輪の中止を決められるのか。

あまり読まれなかったけれど、今年2月、こんなnoteを書きました。

タイトルのようなことを言及・発信するだけで、「ああ、あいつは東京五輪開催に反対派なんだな」と見做されてしまいます。

ですが賛成・反対を手放しで表明できる人はマイノリティです。

熟慮した末に「条件付きで賛成」「条件付きで反対」「どちかと言えば賛成」「どちらかと言えば反対」という人が大半ではないでしょうか。

メディアやSNSなどで頻繁に見掛けるようになったアンケートは、世論の一部だけを切り取っています。個々が熟慮したプロセスは、結果には反映されません。

(それを無視して、権力者や影響力を持つ人たちが、都合良く「エビデンス」として利活用しています。そういった姿勢を、僕は断固として批判します。)

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僕は2008年、北京五輪を現地観戦しました。

そのときの熱狂は凄まじかった。スポーツがもたらす力の大きさに驚き、東京五輪にも期待に胸を膨らませていました。

また、五輪組織委員会で働く友人もいます。彼が組織委員会で働くことになった経緯も聞いていました。ある意味、僕の夢を彼に託していました。

今も、彼をはじめ、感染リスクを背負いながら開催に向けて準備を進めている方がいます。そんなスタッフの皆さんの頑張りを、一律否定することは僕にはできません。

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ですがワクチン供給を巡り、国によって、多くの人たちの生命の危機が脅かされているのが現状です。経済活動を再開しているところもあれば、国の存続に精一杯のところもあります。

五大陸のアスリートが一堂に会し、フェアに競える状況ではありません。

利害関係で「実利」を得る立場でない限り、2021年の(無観客であれ)東京五輪開催は妥当ではないでしょう。

何よりオリンピック・パラリンピックは単なるスポーツイベントではなく、世界中の人たちの平和を訴求するものです。日本語訳されたオリンピック憲章を読めば、その精神にそぐわないのが分かります。

オリンピズムの根本原則
1.オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする
2.オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
3.オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは最高機関のIOCである。活動は5大陸にまたがり、偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは5つの結び合う輪である。
4.スポーツをすることは人権の1つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる
(オリンピック憲章「オリンピズムの根本原則」1〜4より引用、太字は私)

確かに世界の事情を鑑みず、一部のアスリートが集まった上で無観客開催することは可能です。

だけど、それは「なんのため」のオリンピック・パラリンピックなのでしょうか。

後世「なぜ2021年に東京五輪を開催したの?」と問われたら、僕は、何も答えることができない。ひとりの世界市民、日本国民、東京都民として、これ以上の汚名を着させられるわけにはいかない。そういった熟慮を重ね、僕は東京五輪開催に反対します

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東京五輪開催を巡り、水泳選手の池江璃花子さんが以下のようなツイートを発信していた。(長いのですがスレッドも含め貼っておきます)

まずは、どんなことであれ、ご自身の葛藤を言葉にした池江璃花子さんの勇気に心から敬意を表します。

世間から要請があったとは言え、どんな言葉も、立場が違えば否定される世の中です。個人の「ブランディング」を考えれば意見など発信せず静観を決め込むに越したことはありません。

その中で僕が思うのは、当事者であるアスリートは、もっと賛成や反対の声をあげるべきだということです。厳しい言い方になりますが「何も変えることができない」という池江さんの言葉は間違っています。池江さんは「何かを変える」力を持っています。

それで世間との軋轢が生まれたとしても、僕は池江さんを支持します。

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彼女のようなアスリートに、五輪開催の意見を求めるのは「かわいそうだ」という意見がありました。もちろん酷であることは間違いありません。

ですが、「かわいそうだ」と同情する態度は、アスリートを「アスリートとはかくありべし」という固定観念に帰結し得るものです。

強制的に意見表明を求めるのは暴力的ですが、「かわいそうだ」というアスリート想いの言説は、アスリートを過度に甘やかすものです。(年齢的にまだ子どもであるならまだしも、成人したアスリートは大人としての振る舞いが期待されるべきです。池江さんが振る舞っていないというわけではなく)

芸能人は政治を語るな
アスリートは競技のことだけ考えれば良い
従業員が経営のことに口出すな

こういったことを直接的に言う人はいないですが、もしこれらが「あなたの」本音だとしたら、では、世の中は誰が変えるのでしょうか?

僕は、僕らが世の中を良い報告に変えていくことができると思っています。

現に、SNSで多くの人たちが声をあげたことにより政治が動きました。昨年は検察庁法改正案の成立が見送られ、今年は入管法改正案の強行採決が止められました。

僕も東京五輪は観たかった。楽しみだった。たくさん五輪関連で税金を支払った。準備したことが水の泡になるのはもったいない。

だけど、全てが水の泡になることはありません。僕らが声をあげて東京五輪が中止になれば、そのプロセスは市民にとって意義のある成果になるでしょう。

今、本当の意味で、オールジャパンの真価が問われています。

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。