1月1日に走った。
目標を立て、成果に向けて実行あるのみ。
言葉にするとシンプルなのだけど、なかなか実行に至らないのが人間だ。特に個人目標に関する実行(の継続)は難しい。
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なぜだろうか。
投資家・藤野英人さんのFacebook投稿が答えだ。一部引用する。
目標を立てるだけではダメ。
その解像度が低いままだと役にも立たない。さらに目標とは、具体的な行動目標になり、月次、週次、日次にブレイクダウンされるべきものだという。
なかなか厳しい言葉に、新年の微睡みから一気に目が醒めてしまった。
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目標設定には、以下の頭文字をとった「SMART」という便利な枠組みも参考になる。
Specific(具体的な)
Measurable(測定可能な)
Achievable(達成可能な)
Related(関連製がある)
Time-bound(時間制約がある)
ただ頭では理解していても、しっかりとした目標設定をすることは難しい。前職で評価面談を務めた際に、ほとんどのメンバーが上記いずれか(もしくは全て)が欠けたまま仕事に臨んでいた。
都度指摘をしても、腑に落ちるというか、日々目標と実践を厳しく行き来するようなスタンスでないと正しくSMARTは運用されない。
かくいう僕も、常に心に留められてきたわけではない。
「こんな1年にしたい!」という抱負を掲げつつ、SMARTな行動目標に落とし込み、有意義な1年を過ごせたらと思っている。
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話は変わるが、2022年1月1日23時42分。
僕はマラソンシューズを履き、寒空の下を走り始めた。あまりに寒く、汗ひとつかかないような夜だった。
2022年、僕は「走る」ことに関して、スタンスを取りかねていた。
昨年夏から走る習慣が途絶えていたことは気になっていたものの、日々の忙しさもあり、毎日走ると負担が増えることは分かりきっていた。
だが、知り合いのFacebook投稿を読み、心を新たにすることを決めた。彼は何年間もずっと走り続けているらしい。事業では厳しいことが続くけれど、走ることが「支え」になっているというのだ。
その日は、近所を3kmほど走った。1月2日も同様に3kmほど。
やっぱり走ると、身体が良い感じにシャキッとする。
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1月1日に走っていなかったら、おそらく1月2日に走ることもなかっただろう。当然のことながら1月3日も走ってはいまい。
「ときどき走る」よりも「毎日走る」方が簡単だ。ある程度の義務感のもとで、半ば自動運転のように走り出すことができるからだ。(noteも同じで、毎日書くと決めているからこそキーボードを叩こうと思える)
藤野さんが書いているように、何かを達成するには、日々地道なことを積み上げていくしかない。その努力の集合が成果に直結したり、しなかったりするのだ。
明日から仕事が始まるが、いきなり派手な仕事に出会えるわけではない。
生みの苦しみに悶えながら、何とか足掻いて、泳がねばならない。
もちろん、泳ぐだけでは不十分だ。
「何のために」がない仕事は、仕事でなく、ただの作業に過ぎない。
1月1日走れて良かった。日々走ることが、ただの作業にならないよう、もう少しだけ時間をかけて2022年の目標を考えたいと思っている。
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