リターンとリスクだけで、割り切れるのか。
「100万円を預けると、半分の確率で20万増え、半分の確率で10万円減る。そういう状況になったとき、あなたは100万円を預けますか?」
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前提条件が少なく分かりづらいが、ほぼ日の記事によると「日本人の8割は「投資しない」と答えた」そうだ。1年前にこの記事を読んだときは、不合理な日本人の判断に笑ってしまったが、いまでは少し違う実感を持っている。
これは、たまたま「お金」の話だが、別の判断基準にも応用できるような気がする。話を単純化し過ぎるきらいがあるが、例えば戦争について。
「戦争を始めると、半分の確率で100兆円増え、半分の確率で10兆円減る。そういう状況になったとき、あなたは戦争を始めますか?」
みたいな話だったらどうだろう。あるいは、
「戦争を始めると、80%の確率で誰も死なずに済んで勝利するけれど、20%の確率で1千万人が死んで敗北する。そういう状況になったとき、あなたは戦争を始めますか?」
という問いだったとしたら。
リターンとリスクという足し算、引き算だけでは割り切れない倫理的な要因を考慮にいれるとき、たとえ確率論で「得する」パーセンテージが高くとも、その選択肢に従うことはできない気もしている。
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昨今話題になっている、自民党と旧統一教会の繋がりの件も、同じような構造で見ることができるかもしれない。
彼らに選挙協力を仰げば、参院選勝利というリターンを得られる。もしかしたら国民から非難されるリスクがあろうとも、リターンを得る旨味の方が大きい。たとえ反社会的勢力に近い存在であったとしても、「知らなかった」「スタッフの勧めで行動した」といった言い訳を駆使すれば逃げ切れるはずだ。
それって、国民が舐められているということでもある。
まあ、それは別にして国の中枢を担う人たちが、知性も良識もなく、ただただリターンとリスクの足し引きだけを気にしている。それだけの判断基準だけど、自らの言説を決定しているのではないか。
そんな疑いが、僕の中で、日に日に高まっている。
儲かるか、儲からないか。それだけじゃない。「甘い!」と言われそうだけど、「それだけじゃない」と言い続けられるように、知性と良識を常に磨き、携えていたいと思うのだ。
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