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「コミュニティって、なんだっけ?」を自分なりに整理した記録。

先日noteで投稿した「EDITORS REPUBLIC」という試みについて。

ぜひ、「Vol.3」のSubstackも読んでいただきたい。

このnoteでは、僕が「コミュニティに関する映画って何だろう?」「そもそもコミュニティとは?」について思考を巡らせたメモを残す。特に有益な「答え」は提示していないけれど、編集後記のようなものとして。


コミュニティとは何か?

すべての悩みは対人関係の悩みである

少し前にブームになった、アドラー心理学の基本的な考え方だ。

対人関係とはすなわち、人間がふたり以上集まったときの関係性のことだ。「ふたり以上の関係性=コミュニティ」とするならば、すなわち「すべての悩みはコミュニティの悩みである」と言い換えても良いだろう。

「EDITORS REPUBLIC」という組織は"republic"という名前が冠されている。共通点は、菅付雅信の編集スパルタ塾の卒業生ということ。出版社の編集者やデザイナー、広告業界で働く者、起業家、学生など、様々な職能や才能を持った人間が集まってる。「共和制」という形をとっている通り、メンバーに上下関係はない。ゆるい役割はあるし、リーダー的に振る舞ってくれている方もいるけれど、基本的にはみんなが好きなときに集い、語り合うことで成立している。(ちなみにこのSubstackも無報酬だ。ボランタリーな意思のもと成り立っている)

かっちりした編集者は存在しない。だからこそ、プロセスを経る中で衝突することもなくはない。ボランタリーな組織だからといって、コミュニティの悩みがないわけではないのだ。

言い換えれば、コミュニティとは、それなりの悩みが生じる組織体といえるだろう。

コミュニティと信頼

ジョン・フィールドが著した『社会関係資本 現代社会の人脈・信頼・コミュニティ』には、社会的ネットワークこそが価値ある資産という考え方が紹介されている。物的、金銭的といった経済的な観点で語られがちだった「資本」という言葉の定義を拡張し、計測も比較もできない“厄介な”ものとして発展させようと、多くの社会学者が試みてきた。

そういう意味でいうと、「EDITORS REPUBLIC」もまさに社会的ネットワークのひとつだ。知り合ったことで仕事につながらなくても、双方の知的好奇心を刺激したり、躓いたときに相談に乗ってくれたり、彼らと同じ共同体に所属することで、数多くのメリットを感じてきた。

社会的ネットワークにおいて重要なキーワードが「信頼」だ。

信頼が社会的ネットワークの構成要素なのか副産物なのか、細かな部分で見解は分かれているが、“信頼って大事だよね”という点では一致している。本書では、初めての相手とのデート、リファラル採用、クレジットカード、社会の治安などにおいて「信頼」がベースとなって制度なり仕組みなりが成り立っていると言及されている。

周囲を信頼しているから、銃を携帯しない

日本に住んでいる多くの人は、歩行中に護身用のナイフや拳銃を持参していない。人々が交差する横断歩道で「攻撃されることはないだろう」と他者に対して信頼しているからだ。

そういった状態を「信頼社会」と呼ぶとして、先日批判が多数寄せられた埼玉県の虐待禁止条例案は、真逆の発想によって生まれたものだろう。

制度の致命的な欠陥があるのは言うまでもない。しかし根本的な部分で、政治家が「信頼でなく罰則でルールをつくろう」と考えていることがよく分かった。

そんな発想を「罰則社会」と仮に呼ぶ。「罰則」ほど厳しくないにせよ、テレワーク下で、経営者やマネジャーによる従業員監視ツールなるものはそれなりのニーズがあるようだ。「マネジメント支援」という言葉になっているが、PCに搭載されているカメラを常時起動させ、数分ごとに撮影。「何も指示を与えなければ従業員はサボるもの」と経営者が考えている証だろう。

社会的ネットワークに頼る社会において、人を「コントロール」することはできない

社会的ネットワークは、経済学者や経営者にとって“厄介な”側面がある。

経営の肝は、業務プロセスの仕組み化だ。属人的な要素を極力排し、どんなリスクも均しながら利益をあげなければならない。「インセンティブ給与によって業績があがった」と証明されれば、それをもとに人事制度を構築できれば再現性が高い仕組みになる。

そのような結果、ビジネスパーソンの分業が進み「個人では何もできなくなってしまった」と警鐘を鳴らすのは、経済思想家の斎藤幸平だ。

幸せとか、楽しいとか、情緒的な感情を人間は持ち合わせている。情緒に合わせて日々の業務を組み立てていたら、当然ながら「仕組み」は機能しない。

しかしそれでも、パタゴニア創業者であるイヴォン シュイナードのように、従業員に自由と裁量を与えている経営者もいる。企業をコミュニティのひとつと見做したとき、限定的なケースでありながらも正解 / 不正解が分からないのは非常に興味深いことだと僕は思う。

実際のところ、信頼やコミュニティのあり方は、社会に対して大きな影響を与えている。その与え方によって、僕たちの生活や社会の形を決めている側面も間違いなくあるだろう。

ロシアという「国コミュニティ」が、ウクライナという「国コミュニティ」を攻撃したり、旧・統一教会という「宗教法人コミュニティ」が政治に影響を与えたり。ひと昔前は“会社こそ人生だ”といわんばかりに「家族コミュニティ」を蔑ろにして仕事に精を出す生き方がスタンダードだったりもしていた。

だから映画を観よう、というススメ

そんな雑感のもと、僕たちはSubstackで6つの映画を紹介することにした。

コミュニティの定義は人それぞれだ。そんな分かりきったところに戻ってもあまり言えることはない。(意味がないとは言わないが)

ひとつでも多くの「実」を得たいなら、「映画を観てはどうか?」と提案したい気持ちが今は大きくなっている。そもそもアカデミック領域にいない人たちにとって、コミュニティのことを正確に言語化する必要はない。

こんなコミュニティもあるよね」「こんな人間関係もあり得るのか」なんて考えながら、ちょっとずつ知識を身につけていったら良いのではないだろうか。

僕はこれからも映画を鑑賞し続ける。

時には自分で深く思考しながら、時にはみんなと語らいながら。自分が関わるコミュニティが、少しでも良いものになることを祈りながら。

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