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眞子さんの結婚騒動について、日本社会の異常性を斬る!

はじめに

 このnoteでもおなじみのテーマになった眞子内親王(眞子さん)の結婚問題でメディアの報道や世論の反応は日に日に盛り上がっていくばかりですが、これは日本社会の異常さを示すものに他なりません。

 今回は改めて、眞子さんの件についての世間やメディアの態度がいかに異常で非常識なのか説明することにします。

 眞子さんと小室氏が非常識かどうかはわかりませんが、少なくともメディアや世間の態度が非常識であることは疑いありません。

他人の結婚問題に口をはさむことがおかしい

 まずそもそも論として、眞子さんと小室氏の結婚はこの2人の問題であり、関係ない世間の人間が賛成だの反対だのと声を上げること自体が異常であるということに気づいていない人が多すぎると言えるでしょう。

 賛成が多ければ結婚するとか反対が多ければしないとかいうものではなく、結婚を決めるのは当事者2人であって、世論ではないのですから、賛成とか反対とかをいうこと自体がおかしいのです。

皇族の結婚は「公務」ではなく「私事」にすぎない

 これに対して、皇族の結婚は公のことだから国民が関心を持ったり賛否を考えるのは当然だ、という意見があるかも知れませんが、少なくとも皇族の結婚は、いわゆる「公務」(公的行為)ではありません。 

 天皇や皇族が音楽会に行って鑑賞したり、伊勢神宮に参拝したり、テニスをやったりするのは国事行為でも公的行為でもなく私的行為であり、結婚もこれと同じです。

  (余談になりますが、皇室が神道祭祀を行っていることから、皇族が神社参拝や皇霊祭などの祭祀を行うことも「公務」であるかのように勘違いしている人もいますが、日本は政教分離を憲法で定めているので、神道という特定の一宗教に関する行為を「公務」として位置付けることはできません。)

 もっとも男性皇族の結婚の場合は、子どもが生まれれば将来の皇位継承にかかわる可能性があるので、皇室会議の議が必要とされていますが、女性皇族は、結婚によって皇族の身分から離れてしまうので、皇室会議の議も必要なく、基本的に自由に結婚することができます。

 このように結婚は、自由に行われる私的行為であって公的性格はないのですから、公のこととして国民が関心を持つという発想はありえません。

 おそらく、皇族が生まれてから葬儀に至るまでの日々行う動作は、食事も散歩も買い物も含めてすべて「公務」であるかのような誤解をしている人が多いのではないかと思います。

「国民主権」「税金」は口出しの根拠にはならない

 一方、「国民主権なのだから国民は皇族の結婚に口出しする権利がある」とか「税金を使っているのだから国民が賛否をいうのは当然」という意見もありますが、これはどうでしょうか。

 国民主権というのは、国の政治の正統性が究極的には国民によって与えられ、また国民の意思が反映されるべきであるということを意味します。

 例えば天皇による法律の公布や外国訪問、皇族による各種式典の出席など、国事行為や公的行為は、内閣が国会に対して責任を負い、内閣の助言と承認に基づいて行われるので、その意味で間接的には国民主権に基づいているということができます。

 しかし皇族の結婚は、先ほど述べたように私的行為でしかないのですから、国民主権とは何の関係もありません

 また「税金を使っているのだから口出しさせろ」というのもおかしな話で、例えば大臣から警察官に至るまでの公務員が結婚する場合も、収入源としては税金なので、間接的には(公的財政支出ではなく、公務員自身の給与を通じて)多かれ少なかれ税金が入っているわけですが、だからといって大臣や警察官の結婚相手に納税者たる国民が口出しをさせろというなら、いささか異常な主張といえるでしょう。
 政治家や警察官の結婚には口を出さないのに、皇族の結婚には口を出したくなる理由の一つとしては、皇族は結婚自体も仕事の一種のように思ってしまう人がいるからでしょうが、いくら皇族でも結婚が公務でないことは先ほど説明したとおりです。

 さらにいうならば、たとえば生活保護受給者は政治家以上に全面的に税金に頼って生活していますが、市役所から生活保護を受給している人は、その市の住民が喜ばない相手とは結婚してはいけないのでしょうか。住民は、「俺たちの税金で生活しているから」という理由で、生活保護受給者の結婚に口出しする権利があるのでしょうか。

 なお念のためいうと「税金を使っているのだから結婚式費用はあまり高くないようにするべき」というならまだわかります。
 しかしながら「税金を使っているのだから大衆の好まない相手とは結婚するな」というのでは、理屈として訳がわかりません

眞子さんは国民の友人でも家族でもない

 また「自分の家族や友人の結婚だったら、相手がどんな人物か気になるし、結婚してうまくいかなさそうだったら心配するのが普通だろう」という人もいますが、眞子さんは(というか皇族は)別に国民の友人でも家族でもありません

 内閣総理大臣や衆議院議長や国会議員や最高裁長官が国民の友人や家族ではないのと同じように、眞子さんや皇族も、国民の友人や家族ではないのです。宮内庁や政府関係者、大学時代の友人などを除き、我々のほとんどは眞子さんのことは知りません。

 「眞子さんは家族でも友人でもない」というのは当たり前のことなのですが、それを断言してしまうとどこか違和感を感じるとすれば、それは眞子さんが幼いころからテレビや新聞雑誌などで報道されている存在で、知らず知らずのうちに世間にとっておなじみになったからで、メディアによる印象作りの結果に過ぎません。

眞子さんはトゥルーマン・ショーか?

 これに対しては「眞子さまは皇室に生まれ多くの国民に見守られてきた」「眞子さまの立ち振る舞いには国民の視線が注がれている」などといって、国民から異論が出ないような振る舞いをするように要求する見解があります。

「皇室に生まれ多くの国民に見守られてきた」というと美しい言い回しですが、要するに、この世に生まれてからメディアにさらされて国民の目によって監視されているということであり、プライバシーも何もないことになります。

 たとえて言えば、往年のジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』のように、この世に生を受けてから24時間監視されて大衆のさらしものになっているおぞましい状態だということであり、むしろ異常な状態だと思わなければなりません。

 というより、皇室の話題になるとみんな感覚がマヒして、これが人間の生活としては本来きわめて異常な状態であるということがわからなくなってしまっているというべきでしょう。 

小室氏は単なる私人でしかない

 一方、相手の小室氏について「国民に対する説明責任を果たすべきだ」という声も強く、それに応じて - うまくいったのかどうかわかりませんが - 先日、小室氏は説明の趣旨の長い文書を公表しました。 

 しかし「国民に対する説明責任」というのもおかしな話で、小室氏は一人の私人でしかなく、また眞子さんと結婚することで皇族になるわけでもないので、結婚したとしても私人のままであり、単なる私人が国民に対して何の説明責任も負っているわけがありません

 それにもかかわらず、小室氏に対して「金銭問題の経緯について説明しろ」と迫り、それに応じていざ説明の文書が実際に出てくると「文書が長すぎて読むのに時間がかかる」などと文句をいうメディアは、一体何様なのでしょうか。

 なお小室氏と、小室氏の母親の元婚約者との金銭問題は、当事者同士にしかわからないことであり、また解決も当事者同士でやるしかないことなので、世間の人間が何か判断したりできる筋合いではありません。
 (借金か贈与かも問題ですが、さらに受け取った相手が小室氏なのか母親なのかも明瞭ではありません。法律関係としては、元婚約者と小室氏との問題なのでしょうか。それとも、小室氏の母親との問題なのでしょうか。それを考えるのは世間の人間の仕事ではありませんし、世間の人間が知る必要もありません。)

国民を喜ばせるために結婚するわけではない

 また「国民に祝福してもらえるような形でなければ結婚すべきでない」という意見もありますが、これも一種の勘違いがあります。

 皇族は、国民に祝福されたり国民を喜ばせるために結婚するわけではないでしょう。また、国民の側も、相手が誰だろうと、皇族の結婚を祝福しなければならないわけではありません

 「皇族は国民から祝福される相手と結婚しなければならない」とか「特に問題がない限り、国民は皇族の結婚を祝福するのが当たり前」などという主張は、単に皇族が国民の家族か友人であるような錯覚を前提にしているに過ぎません。

「皇室から国民の心が離れること」を国民が心配するのはおかしい

 なお、「国民の意向に反する結婚をすると、皇室から国民の心が離れてしまう」とかいって心配する人もいますが、これも変な話です。「皇室から国民の心が離れること」を、どうしてその「国民」が心配する必要があるのでしょうか。それを心配するのは、皇室の仕事です。

 というより、皇室から国民の心が離れたとして(つまり皇室とか天皇制の支持率が低下したとして)、何か困ることがあるのでしょうか。困るとすれば、それは誰でしょうか。少なくとも世間の一般人やメディアの人間が困るわけではなく、心配する筋合いもないと思うのですが。

幸せになれるかどうか?

 「そうはいっても、実際問題として、この結婚で眞子さんが幸せになれるかどうかわからない」という類いの意見について一言いうとすれば、それは「幸せになれるかどうかは、当事者しかわからない」というだけでしょう。

 これは当事者自身にしかわからず、当事者にしか判断することはできません。

 なお女性皇族が名門の御曹司みたいな人と結婚すれば幸せになれるかというと、必ずしもそういうものでもないことは、歴史が証明しています。
  例えば昭和天皇の三女の和子氏は、藤原摂関家の子孫・鷹司平通氏と1950年に結婚していますが、平通氏は1966年に銀座のバーの女性と心中して亡くなっています。(下記記事参照)

最後に - もっと他に心配すべきことがあるのでは

 最後に言いたいことをまとめるならば「こんな話題で不毛な騒ぎをするのはやめよう」ということです。

 社会には他にいくらでも心配するべきことや国民の利害にかかわることがあるわけで、皇族の話題がそれらの問題よりも時間をかけて議論するに値すると考えるのは、いささか常軌を逸していると言えるでしょう。

 というより、身も蓋もないことをいうと、「皇室の話題は他より重要で、国民が真剣に考えて議論し説明を求めねばならない」と考えることが既におかしいわけです。

 いろいろなメディアがやたらとアンケート調査をして「あなたは眞子さまと小室さんの結婚についてどう思いますか」「賛成ですか、反対ですか」「説明に納得できますか」などと質問していますが、これに対する一番的確な回答は「私たちには関係ない。」という答えだと思います。

★余談になりますが、これまで何度か紹介してきたように、私の著作『13歳からの天皇制』(かもがわ出版)をお読みいただければ、今の眞子さん・小室氏に関する騒動がいかに馬鹿げて無意味なものか、たちどころに理解することができます。特にメディア関係の方は、是非お読みください!



よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。