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「日本は解雇規制が厳しい」というのはウソだった件

日本の解雇規制は国際的に見て厳しいの?

 日本の解雇規制は厳しすぎるとか、解雇規制を緩和して雇用を流動化させなければならないなどという言説はすっかりおなじみになっています。(もちろん恣意的に何でも解雇できるわけがなく、労働契約法16条により、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない解雇は無効とされています。)

 ただ全般的にいって、日本は本当に「解雇規制」が厳しいのでしょうか?

 まず以下のリンク先が作成してみた2019年のデータによれば、OECDの基準で見ると、日本は総合的にみて主要48ヶ国のうち解雇しにくい順番に並べると28位であり、真ん中よりはむしろ解雇しやすい方に寄っています。

 日本より解雇しにくい国としては、オランダ、ベルギー、イタリア、フランス、スウェーデン、ノルウェー、ドイツなどがあり、日本より解雇しやすい国としては、イギリス、カナダ、オーストラリア、(予想どおりの?)アメリカなどが挙げられています。

 この統計の基準の妥当性や特質などについてここで検討する余裕はありませんが、日本はいわゆる先進国の中で特に解雇しにくい国だと当然に言えるわけではなさそうです。

解雇も中途採用も頻繁に行われる中小企業

 統計は別にしても、「日本は終身雇用の国だから正社員が解雇しにくい」とか「解雇がしにくいから中途採用もほとんどない」という類の言説も、実際は大企業の正社員という非常に狭い範囲の人々の間でしか妥当しないことは、考えてみればすぐわかるでしょう。 

 ほとんどの中小・零細企業では終身雇用などなく、解雇も頻繁に行われています。逆に中途採用も日常茶飯事であることは、ハローワークに行ってみれば一目瞭然です。

大企業がめったに解雇をしないのは事実

 結論としていうと、「日本は解雇規制されているから解雇しにくい」というのは実情に合っていない粗雑でいい加減な印象論であり、おそらく実際のところは、「日本の大企業はめったに解雇しない」というのが妥当なところだと思われます。

 大企業がなぜめったに解雇しないのかといえば、これは様々な分析が可能だと思いますが、自分としては

 A.新卒一括採用を大量に行っていること
 B.様々な制度が長期勤続(終身雇用)を前提にしていること
 C.職務や勤務地を限定しないで採用する正社員(特に事務系)が多数いること

 …等が関係しているのではないかと考えています。

新卒一括採用は「簡単には解雇しない」方針が前提

 Aの新卒一括採用については、大企業は大学などを卒業した新人を毎年大勢採用して、手間をかけて社内研修やOJTで教育し、次第にスキルや知識を向上させて働かせていきます。
 当たり前の話ではありますが、それなりに長い目で見て働かせていくことが想定されているのですから、これ自体に「従業員を簡単には解雇するものではなく、長い目で見て働かせる」という方針が既に織り込まれています。

 これらは解雇規制の問題ではなく、企業が自らそういう方針にしているということです。

 さらにいうと、新卒を大量に一括採用するのは、高齢の従業員が定年で毎年大量に退職することと裏腹の関係にあるとも言えます。定年退職する従業員が大量に毎年出るということそれ自体が、いわゆる終身雇用のあらわれです。

長く勤めることが前提の各種制度

 Bは、例えば賃金制度、さらに退職金や企業年金などは、長期勤続するほど有利になっていく体系を採用する例が多いことが挙げられるでしょう。

 このような体系を採用しているということ自体が、従業員が基本的に長期勤続することを前提にしている(=つまり滅多に解雇しない)ことを示すわけです。
 さらにこのような制度があると、いざ解雇された場合の従業員の不利益が非常に大きなものになりますから、仮に解雇が紛争化して訴訟になった場合、従業員側にとって有利な判断材料になるでしょう(解雇の不利益が大きいということは、そのような大きな不利益を与えてもやむを得ないほどの事情がなければ解雇するべきではない、という判断につながるから)。

職務や勤務地が特定されていないことの影響

 一方Cは、次のようなメカニズムで解雇の少なさに結びつくと思われます。まず、職務や勤務地を限定されていない正社員が多ければ、会社の人員の増減の調整が必要になった場合でも、中途採用や解雇ではなく、社内での異動(担当部署の変更や転勤)で調整することが通例になるでしょう。

 さらに能力や業績が思わしくない従業員がいても、解雇することなく社内での異動で違う部署や職務を担当させて様子を見たり教育し直せば良いという発想につながります。

 また、従業員の能力や業績に問題があっても、担当職務がはっきりしないと、業績の定量的な評価自体がかなり困難になり、無能であることを立証しにくくなることもあり、このことは、能力や業績がないことを理由にした解雇を困難にさせます。(これは職能が曖昧で位置付けがはっきりしない部署や役職に回された従業員に起こりがちなことです。)

 このように様々な要因が積み重なって、日本の大企業は解雇を基本的に避ける傾向が強くなってきたのではないでしょうか。

服務規律違反の解雇なら別に避けているわけではない

 なお解雇といってもその理由にはいろいろなものがあり、大企業はそれらのすべてをひとしく避けているというわけではありません。
 大きく分けてみると、①整理解雇(会社の業績を理由とする人員削減)、②能力や成果の不良を理由とする解雇、③服務規律違反を理由とする解雇、などに分類できます。

 このうち①整理解雇は個々の従業員の責任によらない理由によるものであり、労働組合との関係もあることから、日本の大企業は非常に慎重です。
 また②の能力・成果の不良を理由とする解雇は、先ほど述べたように、担当職務や勤務地が限定されていないほど行われにくいと思われます。
  これに対して③は、理由が明確であり、割と従業員の解雇による不利益を正当化するような大義名分を作りやすく、それなりに行われているものと思われます。一番わかりやすいのは不正を行った場合の懲戒解雇ですが、それ以外でも、残業や転勤などの命令に違反したことによる懲戒解雇もしばしば行われます。
 (従業員が転勤命令に従うことが、①②の解雇を逆に行いにくくしているという関係に注意してください。誰も転勤命令に従わないのであれば、転勤による人員調整は不可能になり、①②の解雇を逆に企業は積極的に行うようになるしかないと思われます。)

大企業を解雇されたら訴訟で争うメリットがある

 さらに大企業が解雇を避ける別な要因としては、以上の通り解雇の不利益が非常に大きいため、解雇された従業員には徹底的に訴訟で争うインセンティブがあるということもあるでしょう。
 訴訟で勝てば、解雇を無効にして復職するか、そうでなくても大企業の賃金などの制度を基準にした多額の解決金が期待できるのですから、訴訟で争う動機は大いにあります。(逆に中小企業の場合、解雇されてもそれほど訴訟で争うメリットを見いださない従業員も多いでしょう。しかも中小企業は中途採用を頻繁に行っているのです。)

 最初に触れたように、労働契約法16条で、解雇は「合理的理由があること」「社会通念上相当であること」が必要とされていますが、解雇された場合の従業員の不利益が大きく、また解雇自体の理由をうまく説明できないとか、解雇しなくても会社の目的が達成できるなどの事情があれば、「合理的理由」や「社会通念上の相当性」が当然認められにくくなり、無効と判断されやすくなることは、常識的に考えてもわかるでしょう。

 大企業の側としても、このようなリスクを判断に織り込むなら、できるだけ解雇しないで物事を進めようという経営判断にもつながります。

単に大企業がめったに解雇しないだけで、規制の問題ではない

 このように考えてみると、日本で解雇の規制が厳しいとか労働市場が流動的でないとか言われていますが、実態としては、様々な要因の積み重ねによって、大企業があまり解雇をやらないというだけのことであって、公の規制によって解雇が禁じられているとか取り締まられているとかいう問題ではないということがわかります。「定年まで雇用を継続しなければならない」などという法律があるわけでもありません。

 規制によって解雇ができなくなっているというわけでもないので、存在しない「厳しすぎる規制」を緩和しようもないのです。(念のため繰り返しますが、現状、恣意的にどんな理由でも解雇できるというわけではありません。)

大企業が行動パターンを変えれば…

 日本の労働市場を本当に「流動化」したいのであれば、ありもしない規制の緩和を求めるのではなく、大企業がこれまで述べてきたような要因を自ら捨てていき、積極的に解雇するようにするしかないでしょう。すなわち先ほどの要因に即していえば、大企業が

A.新卒一括採用をやめて、頻繁に中途採用を行うこと
B.退職金や賃金体系などを、長期勤続を前提にしないフラットな形に変更すること
C.担当職務や勤務地を限定した採用を増やすこと

・・・などの変革を行うことです。それによって望ましい社会になるかどうかは別として、これらの変革が行われれば、大企業は解雇も頻繁に行うようになると考えられます。

 但しこれは一つの企業がやるだけではなく、社会全体で多くの企業が一斉に行わないとなかなか難しいでしょう。

解雇が頻繁に行われるようになったらどうなる?

 仮にこのような変革が行われて大企業が解雇を頻繁に行うようになると、それに伴って大企業は中途採用も頻繁に行うようになるでしょう。現在の中小企業で見られるのと同じような傾向になるだけです。
 そうなった場合、どういう状況が訪れるでしょうか。

 「中高年が減って若者の就職率が上がる」などという言い方をして煽る論者もいるようですが、実際はそんなわけがなく、真っ先に考えられる影響としては、若い層(新卒層)の失業率が一気に跳ね上がることが予想できます。

 大企業が新卒一括採用を行わず、解雇と中途採用が頻繁に行われるようになるのですから、経験者の欠員補充採用のようなものが中心になり、何の経験もスキルもない新卒層は、かなり例外的にしか採用されなくなるでしょう。社会全体で見れば、毎年すべて就職氷河期のような状態になり、それに加えて中高年のうち役に立たないと判断された人も当然、切り捨てられると思われます。

 (しかも新卒一括採用は、終身雇用を前提にした定年者の大量退職と裏腹の関係にあることを思いだしてください。終身雇用がなくなり、定年者が毎年大量に出ることもなくなったら、大企業が大量の新卒一括採用をやる意味はあるでしょうか。)

 役に立たない人間を簡単に解雇する世の中というのは、役に立つ人間だけを採用する世の中を意味します。何も仕事を覚えていない新卒は「役に立たない」側なのです。
 これに対して「新卒は長い時間をかけていろいろ経験させて育てていくべきだ」というのであれば、それは現在と同じで、「めったに解雇しない長期勤続」が前提の企業社会ということです。

 こういう事態と引き替えにしてまで「雇用の流動化」を実現する意味があるかどうか、それはまた別な話ということになります。 

「1人あたり労働生産性」は…上がるけど

  ちなみにこうなると、統計上の「一人あたり労働生産性」は間違いなく「上がる」でしょう。「一人あたり労働生産性=GDP÷就労者数」として定義されているので、就労者数が減れば、当然、機械的に「一人あたり労働生産性」は「上がる」ことになります。

 これは世の中が良くなるという意味ではなく、単なる計算上の結果の話でしかありませんが。

よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。