大日本帝国憲法だったら、コロナ禍にどう立ち向かっていたの?
はじめに
コロナ危機における憲法の役割についての関心が高まっており、このnoteでも関連する記事をいくつか載せています。
世間では「コロナ危機に対処するには、憲法を変えるべきだ」「私権制限をすると違憲の恐れがあるから、憲法の方を変えれば、違憲の問題がなくなる」という主張も結構見受けられます。
そこでこの記事では一つ、思考実験をしてみましょう。実際に「憲法」を今のものとは変えた前提で考えてみるとして、極端な話、仮に今の憲法が戦前からの大日本帝国憲法のままだったら、コロナ禍にはどう対処していたでしょうか。
ここでは細かい議論はできないので、ごく大雑把に検討してみることとします。切り口としては「ロックダウン」と「緊急時の政府の政策の迅速さ」という観点から見てみましょう。
法律でいくらでもロックダウンを決められる
まずロックダウンを考えます。ロックダウンは居住・移転の自由に対する制約です。
この点、帝国憲法では、居住・移転の自由については
第22条 日本臣民は法律の範囲内において居住及び移転の自由を有す
とされていました。
つまり臣民=国民には「法律の範囲」での居住・移転の自由しか認められていなかったのですから、コロナに対応した法律を改正・制定して、その「法律の範囲」を限りなく狭くしていけば、居住・移転の自由をいくらでも制限することができ、ロックダウンも問題なくできるだろうということになります。
元々「法律の範囲の自由」だから憲法違反の悩みも起こらない
もともと帝国憲法では、「法律の範囲」の居住・移転の自由しか認めておらず、その「法律の範囲」をいくらでも狭くできるようになっていたのですから、その法律が憲法違反かどうかという悩みも起こるわけがなかったのです。
結論としては、帝国憲法では憲法違反かどうかの議論を気にすることなく、法律を作ってロックダウンをすることが可能になると考えられます。
日本国憲法の場合は自由に「法律の範囲」という限定がない
では、日本国憲法の場合はどうでしょうか。
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
日本国憲法では、「公共の福祉に反しない限り」居住・移転の自由は保障されることとされています。帝国憲法との違いは、「法律の範囲」の自由という限定がないことです。
もちろん「公共の福祉に反しない限り」という文言があることからわかるように、居住・移転の自由は絶対無制限というわけではなく、法律を作って制限できる場合はあります。
法律でいくらでも制限できるわけではないのが日本国憲法
しかし帝国憲法との決定的な違いは、その法律で自由を無限に制限できるわけではなく、「公共の福祉に反しない限り」自由は保障されているということです。つまり、本来は制限されないのが原則ということになり、法律による制限は、あくまでやむを得ない場合の例外ということです。
やむを得ない場合の例外といっても、これをなし崩しに拡大したら、自由を保障する意味がなくなってしまうので、その例外は厳格かつ慎重に解釈しなければなりません。
つまり、規制をするとしても、生命・安全・健康など重要な権利・利益・価値を守るために合理的で必要な範囲の規制にとどめるべきであり、過剰な規制は避けねばならないということです。
従って、このような例外扱いの規制が行き過ぎると、憲法違反ではないかという議論が出てきます。
・帝国憲法…自由は元々「法律の範囲」でしか存在せず、法律の決め方次第で、範囲をいくらでも狭くできる
・日本国憲法…自由が「原則」であり、法律によって制限するとしてもそれは重要な権利・利益・価値を保護するためのやむを得ない「例外」扱い
ロックダウンのしやすさだけなら帝国憲法だが…
このように考えれば、単にロックダウンをしやすいという点だけでいうなら、帝国憲法の方が遥かに簡単であることがわかるでしょう。
帝国憲法のもとでは、ロックダウンに限らず、様々な形での居住・移転の制限、身体拘束が法律によって幅広く可能になると考えられます。
しかしそういうのが望ましいかどうかは別問題です。帝国憲法の場合、生命・健康などの保護のために必要があろうとなかろうと、「法律の範囲」を狭くしていくことに何の歯止めもないのです。
帝国憲法では自由の制限に歯止めがない
これが何を意味するかというと、コロナとか感染症や健康安全対策などに限らず、それ以外の理由でも、それこそ政権の都合次第で、いくらでも法律の範囲を狭くして、居住移転の自由を制限することができるということになります。
「それがまずいのなら、やむを得ない例外的な場合だけ規制できるようにすれば良いのではないか」と思われるかも知れませんが、それがまさに日本国憲法の方の発想です。
この点、勘違いをする人がいるのですが、「日本国憲法では自由や権利を制限できないから、例外的に制限するには改憲するしかない」というのは正しくはありません。「日本国憲法では、例外的にのみ自由や権利を法律によって制限できる」というのが正しいのです。
そのうえで、その例外的な制限がいきすぎれば憲法違反となるのです。
日本国憲法では自由を制限しすぎると違憲の疑いが生じる
日本国憲法が帝国憲法と決定的に違うのは
「この法律では、自由・権利に対する規制が強すぎではないか」
「目的達成のため必要な範囲を超えた過剰な制限で、違憲の恐れがないか」
「規制の目的自体が実は不当ではないのか」
という疑問・議論が常に発生する可能性があるということです。
これは果たして日本国憲法の短所なのでしょうか。そうではありません。 憲法は、政府の政策や法律による不当な規制によって国民の自由・権利が脅かされるのを防ぐという重要な役割があるのですから、自由・権利を制限する場合、常に「違憲かどうか」を気にしなければならないのは当たり前であり、むしろ健全な状態なのです。
ここから考えると「〇〇の政策で自由や権利を制限する必要があるが、いきすぎると違憲の疑いが出る恐れがある。そこで、日本国憲法を改正して、自由や権利の制限を行っても違憲論が起こらないようにしてしまおう」という発想が、いかに本末転倒で馬鹿げたものであるかがわかると思います。
政府が緊急で政策を行うときは?
以上で、コロナ危機におけるロックダウンを通じて、国民の権利・自由に関する問題を考えてみましたが、もう一つ、緊急時の政府の政策の実行の速度を速めることに関する問題も考えてみましょう。
帝国憲法でも、国民の権利や義務に影響するような政策を行うには、原則として法律を定めなければならない点は変わりありません(先ほどの「法律の範囲で制限できる」というのも、まずは法律を定めなければならないことが前提です。)
しかし帝国憲法の場合、緊急の事態に備えて、次のような条文がありました。
第8条 天皇は公共の安全を保持し又はその災厄を避くるため、緊急の必要により帝国議会閉会の場合に於て法律に代るべき勅令を発す
この勅令は次の会期において帝国議会に提出すべし もし議会において承諾せざるときは政府は将来に向てその効力を失ふことを公布すべし
緊急勅令という裏技
これが何を意味するかというと、緊急の必要があるときに、帝国議会が閉会している場合は、天皇が命令=「緊急勅令」を発し、それを法律の代わりにするということです。
先ほどの「法律の範囲内の自由」との関係でいえば、勅令が法律の代用になりますから、「天皇の命令の範囲内の自由」ということになります。
もちろん実際には天皇が自分で緊急勅令を考案して書いて出すわけではなく、内閣が案を作成して、枢密院という機関で検討してもらって、天皇が裁可し、正式に世に出ることになります。
つまり実質的に内容を決めるのは内閣ということであり、行政権をつかさどる内閣が、一時的に立法権も手に入れて法律(と同じもの)を作るようなものでしょう。そして「法律の範囲の自由」の代わりに「勅令の範囲の自由」ということになり、結局は実質上「内閣が決めた範囲の自由」になるわけです。
権力濫用の危険性:死刑も議会抜きで導入
コロナ危機のような場合、確かにこのような制度があると、いちいち議会の審議を通さなくて良いのですから、政策実施の効率が良くなるようにも思えるかも知れません。しかし内閣に、議会抜きの独断で国民の自由や権利を制限できてしまう大きな権限を与えることになり、悪用の危険性も高まります。
特に、本来は議会が作る法律で決めるべき刑罰の規定までも、内閣が決めることまで可能になってしまうのです。
有名な例として、1928年、田中義一内閣は、反政府運動などを取り締まる法律の治安維持法に、死刑を導入し処罰範囲も拡大することを考えたのですが、当初は帝国議会で反対されて法改正案が通りませんでした。そこで田中内閣はこの緊急勅令の制度を利用して、議会を通さずに死刑を導入させ、治安維持法を改悪したのです。このような治安維持法が多くの言論や文化の弾圧に悪用されたことは広く知られています。
(なお先ほどの帝国憲法8条にあるように、緊急勅令で決めればそこで終わりではなく、次の帝国議会で事後の承諾を得る必要はありました。治安維持法への死刑導入も、結局は帝国議会が事後承諾して、正式に法律として改正されています。)
歴史の教訓と日本国憲法
日本国憲法はこのような権力濫用や不当な権利侵害の苦い経験を踏まえて、基本的人権に強い保障を与えたのでした。
現在、コロナ危機での権利・自由の制限や政府の政策の迅速さなどが議論になっていますが、憲法を考えるにあたっては、このような歴史的教訓も思い起こすべきでしょう。
なお以下の私の著書でも、実は天皇制・皇室制度だけでなく、憲法について詳しく考察しています。この記事との関係でいえば、第3章と第5章を是非ご覧ください。