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多数決なら何でも「正当」なの?

なぜ多数決を用いるのか?

 何かが決まったときに「多数決の手続で決めたことだから、正当だ」という言い方を、どこでもよく聞くことがあります。
 いきなり極めて素朴な疑問の話になりますが、そもそも意思決定で多数決の手続を用いるのはなぜなのでしょうか?その根拠をちょっと考えてみましょう。

多数が賛同する意見なら、間違いにくい?

 まず①「多数の賛同する意見の方が比較的間違いにくい」という考え方があるでしょう。三人寄れば文殊の知恵といいますが、確かに世の中一般にそういう傾向があるとは一応言えそうです。

 しかしいうまでもなく現実には、多数決の手続で物事を決めたからといって、その結果が「妥当」「望ましい」ものになる保証はありません。
 ある問題について専門的知識のない人間が多数派だった場合など、多数決で逆におかしな結論になることも考えられます。例えば建物工事の方法について、建築の専門家10人と素人90人が一つの集団になって、単純に多数決で決めた場合、とんでもない結論になる可能性があります。

多数決なら失敗した場合でも、納得しやすい?

 このように、現実には多数決による決定の結果として、逆に望ましくない状況になることもあるとすれば、それでも一般的には多数決を使う根拠は、何でしょうか。
 もう一つ、「失敗した場合の納得性」という観点もあると考えられます。
 つまり「多数の人間が賛成した案を採用するのだから、失敗して不利益な結果になった場合に、やむを得ないものとして納得できる(=あきらめがつく)人間が多い方が良い」という考え方です。
 「自分は賛成したのだから、その結果が望ましくなくても仕方ない」と言える人間を1人でも多くするには、多数決がふさわしいことになります。
 この考え方は非常に後ろ向きな観点ではありますが、一応の説得力はあるように思われます。

多数決なら人を差別しても「良い」のか?

 それでは、多数決の結果なら、どんなことでも決めてしまって「良い」と言えるでしょうか。例えばわかりやすい極端な例として、町議会で、特定の住民(例えば女性とか、特定の家柄の人とか)だけ差別して不利益を与えるような政策を多数決で決めるとすれば、そこに「正当性」はあるのでしょうか。

 この問題を考えるには、そもそもなぜ多数決の原理を採用するのか、その根拠にもう一度立ち返る必要があります。
 さきほど、①多数の意見の方が間違いにくい②結果が失敗でも、納得できる者が多い方が良い、という2つの考え方を挙げましたが、もう一つ、③すべての人間が等しく尊重されるべきだ、という点も極めて重要な多数決の根拠です。

 100人の集団で意思を決める場合、一部の人間について特権的な扱いをして良いのなら、その一部の人間に決めて貰えば良いだけです。そうではなく100人とも等しく尊重される(=平等)なら、1人1人差をつけようがないので、最終的には単純に「数の多さ」で決めるしかなく、そこで多数決が導かれるのです。

多数決と「個人尊重」「平等」の原理

 つまりすべての人間が等しく尊重されるからこそ、多数決を用いるのです。だからこそ、多数決で集団の中の一部の人間を不平等・差別的に扱う決定をするならば、それは多数決自体の根拠と矛盾していることになるわけです。


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