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ここがおかしい!皇室と小室氏の問題の報道

加熱する結婚問題の報道

 眞子内親王(この記事では、以下では「眞子さん」と呼ぶこととします)と小室圭氏の結婚問題については相変わらず報道が過熱気味ですが、物事の基本に立ち返ってみると非常におかしな発想の主張や論評が見受けられますので、この記事で取り上げてみることにします。

人の結婚に賛成・反対ということ自体の異常性

 まず「小室圭氏は眞子さんの結婚相手としてふさわしくないから、結婚に反対」という声が頻繁にメディアなどに出ていますが、これはどうでしょうか。世間の論調に慣れてしまうと別に何とも思わないのですが、そもそも他人同士の結婚に対して「賛成・反対」という発想が成り立つこと自体がきわめて異常なことのように思われます。

 結婚とは、当人同士が判断し合意して成り立つものであって、それ以上でもそれ以下でもなく、当人以外の者が賛成とか反対とかいうのは本来おかしなことです。

 もっとも、結婚する人の親族や友人であれば、当人の性格や事情を良く知ったうえで、うまくいかない可能性を心配するという意味での「反対」(=正確には「不安に感じるので、結婚しないほうが良いと思う」という意見表明)というのであればありうるでしょうが、親族でも友人でもなく、眞子さんや小室圭さんの人柄や諸事情を直接的・具体的に知るわけでもない単なる一般人やメディアが「反対」というのはおかしな話ではないでしょうか。

借金かどうかもわからない「借金」問題

 さて、宮内庁長官をはじめとして様々な方面から、小室氏に対して「説明責任を果たせ」「借金問題を解決せよ」という声が沢山あがってますが、ここでいう「借金問題」について小室氏はどう対応すべきなのでしょうか。 

 報道されている限りの情報でいうと、「借金問題」について一応確からしいといえるのは

1.小室圭氏の母親である佳代氏は、かつてある男性(A氏)と交際しており、婚約していた
2.佳代氏は生活上の必要などでA氏からたびたび金銭を受け取っており、報道によれば総額が400万円にのぼるとされている
3.A氏から佳代氏に対して(佳代氏からA氏に対して、ではなく)婚約を解消した
4.上記2の金銭については、A氏は貸し付けた金だと主張して返還を請求し、佳代氏(と小室圭氏)は贈与(=もらったお金)だと主張していて、見解の対立がある
5.上記2の金銭は、小室氏の学費にも使われたといわれている
6.A氏は「返済は不要」とインタビューで述べている

…というところでしょうか。

 少なくとも報道を見る限り、まず最初に「借金なのか、贈与なのか」という根本の部分で両者に見解の違いがあり、仮に訴訟で決着をつける羽目になったとしても、借用証や金銭消費貸借契約などの書証がないのであれば、他の様々な事実から間接的に推認していくしかないことになります。これは当事者でない第三者にはわかるわけがありません。もっとも、佳代氏が生活費を明確に借りたいと申し入れたというメールのやりとりがあるという報道もあり、そうだとすると少なくとも一部は借金といえるものがあったのかも知れませんが、結局は断片的な情報でしかありません。
 一般論としては、婚約相手の女性に対して男性がお金を贈与することは別におかしいことではなく、反対に借金として貸し付けることもありうることでしょう。さらに言えば、貸すのか贈与するのか、どちらとも曖昧な状態でお金を渡すということも、現実問題としてありえないことではありません。
 どちらの可能性も想定できるとすれば、少なくとも現時点で「400万円の借金が存在する」ということが自明の事実であるかのように決めつけて報道するのはいかがなものかと思います。

時効の主張は何も不当ではない

 また、とある報道では、佳代氏にA氏が最初に金銭を交付したのが2010年11月1日だとのことで、少なくともこの時に渡した(貸した?)金額については10年の消滅時効が成立しているという報道がありました。
 (厳密にいうと、貸した時から10年経過で常に時効が成立するとは限らず、弁済義務がいつ発生するかによって結論が変わってきます。)

 これに関連して「時効を主張して返済を免れるのは不当で、皇族の結婚相手にふさわしくない」という論評までありましたが、これまたおかしな話であり、仮に貸した金であれば、貸した側が時効を中断する手段はあるわけで、それを行使せずに10年経過するままにしておくのなら、むしろ貸した側が権利行使を怠っているということもできます。(なお消費者金融からの借金の消滅時効は5年であり、最後に弁済したときから5年経過すれば時効を主張することによって残債務について弁済を免れることができますが、これを主張することは何ら非難されることではないでしょう。)

母親に借金があったとして、なぜ子が責任を負うのか?

 そもそも論として、400万円の借金が存在していたとしても、その借主は小室圭氏ではなく佳代氏のようですから、そうだとすれば、法的に責任を負うのはあくまで佳代氏であって、小室圭氏ではありません。

 自分が借金の借主ではないのに、母親の借金(かどうか定かでもない)問題について、小室圭氏が「説明責任」を負うというのは、これまたおかしな話でしょう。
 もっとも「家庭にトラブルがあるなら、結婚相手にも生活上の影響を与える恐れがあるのだから、結婚の判断を決める前にちゃんと説明するべき」という程度の意味なら一般常識としてわかりますが、これはまずは直接の結婚相手である眞子さんに対して話すべきことであり、別に政府や国民に対して説明する必要があるわけではありません。

 全般的に「小室圭氏は結婚相手としてふさわしくない」という意見は、小室氏の性格とか人柄とか価値観のレベルの問題ではなく(これらについては本人に直接接しない限りわかりようがありません。過去の言動についても報道が出てきているようですが、ここでは触れません)、この「借金問題」を根拠にしているわけですが、繰り返し説明したように、そもそも「借金」であるかどうか自体について争いがあり、また仮に借金だとしても弁済義務を負っているのは小室圭氏ではなく佳代氏でしかないようであり、さらに時効の問題もかかわってきます。
 仮に「借金」であるとしても、佳代氏が400万円かそれ以下の弁済義務をA氏に対して負っているというだけであって、小室圭氏自身が眞子さんの結婚相手として適格かどうかの判断とはただちに結びつくものではないといえるでしょう。

 なお、借金の弁済を行うかどうかは別にして、皇族が皇室から離れるときに支給される一時金額と結びつけて、いろいろと憶測する意見もありますが、結婚で相手の資力を気にすることは普通にあることであり、愛情と経済面の両方を考えること自体はそれほどおかしなことではないでしょう。もちろん愛情があるかどうかは本人同士にしかわからないことです。

「皇室の危機」の本当の意味とは?

 さて、「この結婚話は皇室の危機だ」などという論者もいます。何がどう危機なのかといえば、ふさわしくない相手が女性皇族と結婚して、皇室と縁のある立場になるのが皇室の危機である・・というような発想のようです。

 私もこの件は皇室の危機だと思いますが、それはまったく違う意味です。

皇族の人権

 具体的にいうと、まず、天皇制または皇室制度というものが持つ「皇族の人権」「天皇制と差別意識」という問題を改めて可視化してしまったということが挙げられるでしょう。日本国憲法の24条を見てみましょう。

 第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 ② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 ここで定められているのは、それぞれの合意だけによって結婚が成立すること、配偶者の選択などについて、個人の尊厳と両性の平等に基づいて法律で決めなければならないことです。結婚に関する自由は、国民の基本的人権の一つということになります。

 皇族にこの憲法24条が適用されるかどうかは若干議論が必要になりますが、現在の皇室典範の制度によれば、少なくとも女性皇族の結婚について制約は特にありません。(男性皇族の場合は、皇室会議の議決が必要です。)

女性皇族の結婚は法的には自由

 このように眞子さんが小室圭氏と結婚しようとしまいと、本来は自由のはずであり、何ら第三者に文句を言われる筋合いはないはずです。これについて「皇族の結婚なのだから相手が誰でも自由というわけにはいかない」とか、挙げ句の果てには「主権者である国民を無視して結婚していいのか」とか「国民の税金で生活しているのだから勝手にすべきではない」などという声すら聞かれますが、誠におかしな話といえるでしょう。国民は主権者ですが、主権者というのは皇族の結婚について決定する権限を持つ者という意味ではありません。

社会に差別意識をもたらすのでは?

 さらに一歩進んで考えると「○○は皇室の親戚になるのにはふさわしくない」という発想自体が、ある種の差別意識に基づいたことだともいうことができるでしょう。「○○の言動がよろしくないから結婚したくない」ならわかりますが、「○○は皇室の親戚にふさわしくない」というのはどういうことでしょうか。天皇制のあり方自体が、ある種の血族社会の差別意識のような発想を社会に残すことにつながっていないでしょうか。

結婚で騒ぎになること自体が皇室の結婚問題を深刻化させる

 次に、このように結婚自体で大騒ぎになるような状況自体が、皇室の将来の存続に暗い影を落とすものと思われます。男性皇族(実質1名)の結婚相手として、誰か一般人の女性が来てくれなければ皇室は存続できませんが、このような世界に結婚して入りたがる女性は、今回の騒動で減りこそすれ、増えることはないでしょう。

一般人女性が男性皇族と結婚してくれなければ皇室は詰む

 これは私が何度も強調していることですが、現代の日本には、皇室の周りに華族や貴族のような階級が取り巻いているわけではなく、皇室の世界を一歩出れば、そこには一般国民しか存在しないわけです。皇族も学校に行けば一般人と接してその影響を受けますし、結婚も一般人を相手にするしかない。皇族と結婚する公家も武家も華族も、もうどこにもいないのです。その一般人の世界の女性に、どうやって皇族の妻になってくれるよう説得していけば良いのでしょうか。一般人の世界では、日に日に女性差別や女性の不自由等に対する批判意識が強まる一方なのですが。

天皇制を「支持」するという国民の本音は?

 最後に、今回の騒動で、国民の中の皇室についての意識の本音のようなものがかなり露骨に可視化されてしまったということも触れておく必要があります。

生身の人間を特殊身分に封じ込めねば成り立たないシステム

 世論調査にあらわれる象徴天皇制についての支持率は非常に高いのですが、象徴天皇制はまさに生身の天皇・皇族の人々を、一般国民から隔離した特殊な身分として封じ込め、一般人の持つ自由や権利を与えないことによって成り立つシステムです。
 この制度を「支持」するということは、現実の皇族の人々を生身の人間として扱うことと果たして両立するのでしょうか。既に「勝手なことをするなら皇室はいらない」とか「どうしても勝手に結婚したいなら、まず皇族の身分を離れて、一時金も辞退してからにすべきだ」という意見すら頻繁に見られるようになりました。皇族の人々が自分たちの理想のイメージにあわせて動く人形のように思っているのでしょうか。「天皇制は強い支持を受けている」というときの「支持」の中身は、一体どういうものなのでしょうか。

 このように、眞子さんと小室圭氏の結婚問題は、皇室の本当の危機をあらわにしてしまったものと言えるでしょう。

 象徴天皇制と、皇族の自由・人権の問題、さらに一般女性が結婚してくれなければ存続できないという皇室の難しい状況については、私の著書『13歳からの天皇制』を是非お読みください。



 

 


 

 

 


 

 


 


 



よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。