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「建国記念の日」をいつにするかは、我々の態度や国家観の問題である件

法律では2月11日とは決まってない「建国記念の日」

 2月11日は建国記念の日ですが、その法的根拠となる「国民の祝日に関する法律」の第2条では、趣旨について「建国をしのび、国を愛する心を養う。」とする一方、具体的な日付をいつにするかは「政令で定める日」としか記載していません。
 (ちなみに、このように法律の条文だけでは日付がまったく具体的に決まらない休日は、建国記念の日だけです。他の休日は、「みどりの日 五月四日」のように具体的な日付を特定していたり、「成人の日 一月の第二月曜日」のように基準を明確にしています。)

閣議決定だけで2月11日から変えることもできる?

 そこで政令はどうなっているのかというと、「建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)」によって、「国民の祝日に関する法律第2条に規定する建国記念の日は、2月11日とする。」と定めているので、ここでようやく2月11日に決まるわけです。

 国会で可決されて成立する法律と違って、政令は閣議決定だけで決まりますから、その気になれば、特に法改正をすることもなく、建国記念の日を閣議決定だけで2月11日から別な日に変更することも可能なわけです。

 いずれにしても現時点において建国記念の日は、神話上の神武天皇が即位したとされている2月11日とされています。

「日本国の建国」の意味って、何?

 そもそも日本国が建国された日とは、いつなのでしょうか。この問いに対する答えを用意するためには、まず「日本国が建国された」という言葉自体の定義を決めなければなりません。

 日本列島に住民が居住して社会組織が形成されたという程度の意味であれば、縄文時代なら約16,000年前に始まったとも言われており、約2680年前とされる神武天皇の神話どころの古さではありません。

 一方、日本列島に近代的な国民国家が成立したという意味でいえば、明治時代ということになりますし、現代の憲法に基づく国家は第二次世界大戦後ということになるでしょう。

 また最初の天皇が即位した時と考えるなら、歴史的に特定するのは無理ですが、史実ではなく神話として割り切るなら、現行のように神武天皇即位の時ということになります。

 こういうふうに並べていくとキリがないようですが、一体どう考えて決めれば良いのでしょうか。

「日本国の建国」とは、我々の態度の問題

 この問いに答えるには、発想を転換させる必要があります。「日本国の建国」の時点とは、客観的に決まるわけではなく、逆に私たちが「日本国」をどのように定義するか、という態度や決断の問題であり、誤解を避けるためにいえば、ある意味、きわめて主観的な問題なのです。

 まず、天皇という存在が昔から続いているという点に着目して、天皇を中心に日本の歴史を考えて、たとえ神話であっても最初の天皇として伝承される人物=神武天皇が即位して支配を開始したとされる時期が「日本国の建国」だというなら、現在のように2月11日ということで良いことになるでしょう。

 これに対して、「日本国」を「日本国憲法」というときの「日本国」と同じに考えて、国民が主権者として、国政の権威が私たち国民から由来する国家と考えるなら、「日本国の建国」とは、日本国憲法が制定または公布された時か、または少しさかのぼって、その前提として大日本帝国が第二次世界大戦で降伏した1945年8月以降の時期ということになるでしょう。
 (それ以前は日本は存在しなかったのかといえば、もちろんそういう意味ではなく、それ以前は「日本国」ならぬ「大日本帝国」だった、と説明すれば足りることになります。
 ある時点が建国の時点だということは、必ずしも、その建国前に人間や社会や国家が何もなかったということを意味するわけではありません。また、国家が入れ替わったからといって、当然に社会や住民の連続性が失われて変わるということでもありません。)

神武天皇即位か、第二次世界大戦後か

 古代の2月11日を「日本の建国」と考えるということは、「日本」を「天皇」中心に考えるということになり、天皇の支配が始まったことが「日本」の開始の根拠となって、さらに天皇が続いている限り日本国は同一のものとして存在しているという観点に立つことを意味します。しかしこれは同時に、神道という特定宗教の神話上のエピソードの中に「日本」の(フィクションであっても)建国を求めるということでもあります。

 但しここで注意しなければならないのは、天皇は、大日本帝国時代は当然日本の統治者とされていましたが、江戸時代以前も、程度の差はあれ、時に名目的に、また時には実質的に、日本の大半について支配をしたり支配の権威の源となったりしていたということです。

 一方、第二次世界大戦後の日本国憲法の制定・公布またはその直前の時期を「日本国の建国」と考えるということは、国民主権の始まりをもって「日本国」の開始を位置づけるということです。国家があくまでも国民の集合体であり、主権者である国民が結成するものだと考えるなら、主権が天皇から国民に移った第二次世界大戦後こそが「建国」と呼ぶにふさわしい時期だということになるはずです。
 こちらの発想でいえば、もちろん特定の宗教の神話のエピソードを持ち込む余地はありません。むしろ、日本国憲法に従って、すべての国民に信教の自由が保障され、政教分離が定められて、どのような宗教の信者も無神論者も平等に扱われねばならないのですから、2月11日を建国記念日とするなど論外だということになるはずです。

国政に正統性を与える権威が変わった

 そしてここでも注意しなければならないのは、第二次世界大戦後は、もはや名目上すらも天皇は日本の支配者ではなく、また日本の支配に権威を付与する存在でもなくなったということです。このことは、日本国憲法の前文の次の箇所を読んでみるとわかると思います。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 ここからわかるのは、国政の権威は天皇ではなく国民に由来すること、さらに人類普遍の原理に基づく憲法が制定されており、この原理に反するなら、たとえ「詔勅」(=天皇の命令)であっても排除されるということです。

 このように考えると、やはり第二次世界大戦後に、この同じ日本列島で、人間や社会などの連続性はもちろん保ちながらも、新たに従来の原理とは違う「日本国」が「建国」されたと考える方が自然ではないでしょうか。

 1945年の敗戦の前後の時期のいずれも、天皇は同じ昭和天皇が変わらず在位していたわけですが、これは「天皇が同じだったのだから、国家は変わらない」と考えるよりも、むしろ「国家が変わったにもかかわらず、天皇は同じ人が在位した」と考える方が適切だと思われます。

 「天皇が同じだったのだから、国家は変わっていない」というのは、天皇がすべての中心であるかのように考える思想にとらわれているだけで、本末転倒ではないでしょうか。

日本国憲法は日本神話の子孫ではなくアメリカ独立宣言の親戚

 最後に、日本国憲法の13条を見て見ましょう。これは憲法の人権規定の基礎とも考えられる条文の一つですが:

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 このうち「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」という概念は、実はアメリカ独立宣言で使われている次の表現に由来するのです。

すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている

 好むと好まざるとにかかわらず、今の日本国のよって立つ憲法である日本国憲法は、神武天皇の神話に基づいているわけではないどころか、アメリカ独立宣言の人権思想を受け継いでいるわけです。
  このような憲法に基づいて構成された国家である現在の日本国において、特定宗教の神話上の存在である神武天皇(古代の一定の勢力や地域の指導者)が民衆に対する支配者の地位についたとされる「2月11日」を「建国記念の日」とする意義は、果たしてあるのでしょうか。

「建国神話」という意味

 なおこれに対して「神武天皇の神話も、アメリカの独立宣言の理念も、どっちも建国神話のようなものだ。神話ならどっちもどっちではないか」みたいに考える意見もあるかも知れません。

 しかしながら、アメリカ独立宣言の「生命、自由および幸福追求の権利」は、まさに立憲主義をとる現代の諸国家に共通する憲法の基本原理となっているのに対して、神武天皇の神話にはそのような意義はなく、ただ単に古代においてある人物が支配者になった、という以上の意味はないと言う点で、決定的な違いがあるのです。

 (何度かご紹介しましたが、以下の私の著書の根底にはこのような問題意識があります。)


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