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男女平等の国である「日本国」の象徴がどうして男性限定なの?

日本は男女平等の国

 いうまでもなく日本は「男女平等」の原則を持つ国です。社会の様々な局面での実態や世間の意識が現実にどこまで男女平等になっているかどうかは別として、男女平等の原則が定められていること自体については異論の出ようがありません。
 憲法14条も次のとおり定め、性別による差別を禁じています。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

男系男子だけに限られる天皇

 一方、天皇は、皇室典範により「皇統に属する男系男子」だけが位に就くことができることとされています。

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

 これ自体がまさしく「性別」による差別として憲法14条違反になるのかというと、そうは考えられていません。というのは、天皇・皇族はもともと憲法14条の「法の下に平等な国民」とは別枠(別身分)の存在と考えられているので、14条の適用対象外として扱われているからです。 

 そもそも男女の差別をいう以前に、天皇・皇族の存在自体が「社会的身分又は門地」による別扱いなのですが、憲法1条から8条までが天皇・皇族の存在を認めています。

天皇・皇族は国民とは別枠

 憲法それ自体が認めている以上、天皇・皇族は「平等な国民」とは憲法の中の別枠だと考えて、いわば「平等な国民」と「天皇・皇族」という二つの異なった世界が憲法の中に、木に竹を接いだように併存していると考えるしかないわけです。

(この議論については過去の記事をご参照ください)

 あまり良い言い方ではありませんが、「平等な国民」の世界の中では憲法違反として許されない男女差別扱いも、「天皇・皇族」の世界では許容されるということになります。

 なお、仮に日本が共和制で天皇の代わりに象徴大統領を創設した場合、法律で「象徴大統領は男子に限る」と定めたら、ストレートに憲法違反となることはいうまでもありません。国民の中から大統領は選ばれるわけですが、その国民は法の下に平等でなければならないからです。

男女平等の国の象徴がなぜ男性だけ?

 さて、天皇を男性(男系男子)に限っている現在の皇室典範それ自体が憲法違反というわけではないことは以上からわかりましたが、「憲法違反ではない」ということと「望ましいかどうか」はまた別問題です。

 天皇は「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」とされています。日本国は男女平等の国家であり、日本国民は男女問わず平等です。その象徴が男女不平等という現状は、(憲法には違反しないとしても)果たして望ましいことなのでしょうか。
 日本国は男女平等の国なのに、その日本国の象徴が男性限定というのは、果たして納得性や整合性があるのでしょうか。

過去には女帝がいた

 これに対して「天皇家には伝統があるから男女平等にする必要はない」という意見もありますが、過去に8名の女性天皇が現実に存在しました。

 この点、「過去の女帝は変則的なものであり、伝統の本来の姿とは言えない」「例外だから先例にはならない」という主張をする人もいますが、何が変則で何が本来の伝統なのかは、結局は現在の人間の解釈次第であり、現在の人間が伝統の中に組み込めばそのまま伝統の中に入っていくものなのです。
 (例えば天皇の母は、歴史上、ほとんどが貴族か皇族であるのが長い間の「伝統」であり、そうでなかった天皇は例外中の例外でしかありませんが、今では誰もそれを問題にする者はいません。現天皇自身がそうなのですから。
 今日、「今上天皇のお母上である上皇后陛下は一般人出身だから、伝統に反する。問題だ」などと考えている人が果たしてどの程度存在するでしょうか。)

ローマ教皇を例に出すのは筋違い

 また、よく出てくる議論として「ローマ教皇は男性限定だが、別に文句は出ないではないか。同じように天皇も男性限定で何がいけない」という声もあります。

 しかしローマ教皇を天皇の類似例として持ち出すのは非常におかしな議論です。ローマ教皇はカトリックという宗教のトップであり、ローマ教皇が男性限定だとすれば、それはカトリックの教義や運用ルールでそのようになっているというというだけのことです。(バチカン市国という国家のトップでもありますが、バチカン市国そのものがカトリック聖職者の組織でしかありません。)

 バチカン市国はカトリックだけで成り立つ国ですから、カトリックとしての何らかの教義や掟の結果として、そのトップの教皇に就任できるのが男性だけだとしても、別におかしな点はありません。カトリック自身がそう定めているのですから。(なお念のためいうと、本当に女性の教皇がいないことについて異論が出ていないのかどうか、筆者は専門的なことはわかりません。)

日本とバチカンの根本的な違い

 ところが日本国はバチカン市国とは違い、政教分離かつ男女平等の国家なのですから、その象徴が男性だけで良いのか、という問題が出てくるのです。

 たまに「天皇は神道の長なのだから男性だけだ」という意見もみかけるのですが、これはよくわからない見解です。現に神道で女性宮司は現実に存在していますし、神社本庁総裁や伊勢神宮祭主を元皇族の女性が務めたりすることからしても、「神道」を理由に天皇を男性限定にするのは無理と思われます。

 そもそも現代日本は先ほど述べたように政教分離の国家であって神道国家ではなく、国民の中には神道を信じる者だけでなく仏教徒もキリスト教徒も無神論者も存在しているのですから、バチカン市国とは前提がまったく違っています。神道うんぬんは天皇および皇室の私的な信仰レベルの問題でしかなく、国家が関知することでもありません。

結論 - 二つの選択肢

 このように考えると、男女平等である国家の象徴を男性限定にしていること自体がまったく説明不能であり、解決策としては次の二つしかないと思われます。

 1 天皇を男女平等にする
    2 天皇は男性限定で良いが、男女平等である日本国の「象徴」という役割には合わないものと割り切って、天皇の立ち位置を変更する(例えば宗教法人や財団法人の長として、文化的活動のみを行う)

 1は、男女平等の国家にふさわしい「象徴」にするという当然の対応策です。

 これに対して2は、天皇が「伝統」「神道」など何らかの文化的な理由で男性限定でなければならないということを認める考えです。
 しかしそうだとすれば、そもそも男女平等の日本国の象徴という地位にふさわしくないのだから、女人禁制のある種の神社・寺院や日本相撲協会などと同様に、国家の機関からは離れて、皇室は宗教法人や公益財団法人として「文化」の世界に専念する方が良いという結論にもなりうるわけです。

女系天皇

 なお女性天皇が一般の男性と結婚して、その子が皇位を継ぐという「女系天皇」(正確には「非男系天皇」というべきだと思いますが)については、女性天皇を認めるなら、女性天皇の子が皇位についていけないというロジックを立てるのは無理であって、当然、許容するべきことになると考えます。男性天皇と一般女性との子が皇位を継ぐなら、女性天皇と一般男性の子が皇位を継いでいけないという説明は無理でしょう。

 詳しくは以前の記事をご覧ください。


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