憲法は、民主主義「を」守るだけでなく、民主主義「から」個人を守るものでもある件
議会制民主主義という基本
主権者である国民が、自由・平等な選挙で議員を選び、その議員が議論をして法律や予算を成立させたり、内閣総理大臣を選出する。
これはいうまでもなく、民主主義(議会制民主主義)の基本です。
憲法は、民主主義「を」守る
「憲法は、国の民主主義の基本を定めるものだ」とか「憲法は民主主義を権力の暴走から守る」などという言い方は、割りとおなじみだと思います。さらに「憲政」という言葉を「議会制民主主義による政治」という意味で用いる例もあります。
確かに、国の最高法規である憲法は、国会を、国の最高機関で、なおかつ唯一の立法機関として定めています(41条)。
つまり国民から選ばれた議員からなる国会だけが立法権を持つわけで、当たり前の話ではありますが、内閣総理大臣が勝手に法律を作ることはできません。
さらに憲法は議院内閣制を規定し(67条)、また選挙の基本原則についても定めています(15条など)。
関連する条文は他にもありますが、ともあれ、このように憲法は、議会制民主主義の基本をしっかり定めているということができるでしょう。
憲法は、民主主義「から」守る - 何を?
それでは、憲法が民主主義を守ってくれればそれで良いのかというと、それだけの問題ではありません。 憲法には、民主主義「を」守るだけでなく、民主主義「から」守る働きもあるのです。
憲法は、"何を"民主主義「から」守っているのでしょうか。それは「個人」とか「個人の尊厳」とか「個人の自由」などということができるでしょう。
架空の事例で思考実験をしてみると・・・
具体的にどういうことか、架空の事例を想定して思考実験を行って検討してみましょう。以下で想定するのは、民主主義が守られているのにもかかわらず、たまたま不当な結果になってしまった…という(やや極端な)事例です。
===(以下、架空事例のお話)===
近年の悲惨な交通事故について、さらなる規制強化や厳罰化を求める世論が高まり、選挙でもその必要性を訴える候補が与野党問わず多数当選して、国会で関連法規を改正する法案が審議されることになりました。
一連の議論の中で、ブレーキとアクセルの踏み間違えによる事故が多発していることが特に重視されました。
そして新たな法案の中に、ブレーキとアクセルを踏み間違えて人身事故の危険を発生させた場合は、実際には(結果として、幸いに)人身事故に至らなくても、「過失危険運転罪」(仮称)という新たな犯罪の類型によって処罰するという項目が盛り込まれました。
そしてこの法案が可決されて成立し、2019年10月1日に公布・施行されました。
なお、「危険な運転ミスをしてきた者は、徹底して厳しく取り締まるべきだ」という世論に押されて、その法案の中に、「2019年4月1日にさかのぼって適用する」という文言が設けられたのでした。
===(以上、架空事例終わり)===
事後法による遡及処罰
難しい理屈は抜きにして、これは明らかにおかしいということが直観的にわかるでしょう。
もともとは、2019年9月30日までは、ブレーキとアクセルを踏み間違えて危険を発生させても、結果として人を死傷させないで済んだ限りでは犯罪にはならなかったのですが、2019年10月1日に成立したこの新たな法律により、法改正前の2019年4月1日~9月30日の間にブレーキとアクセルを踏み間違えただけの者も、さかのぼって、犯罪を犯したものとして処罰されることになったわけです。
これはいわゆる「事後法による処罰」とか「遡及処罰」などと呼ばれる事態ということになります。
常識レベルの話ではありますが、事後法で遡及処罰を行うことができるようになってしまうと、たとえ法律に反しない範囲で生活していても、後になって「実は過去の○月○日のお前の行為は、さかのぼって犯罪ということになったので、お前を処罰する」ということになりかねません。
こんなことが通用するようでは、到底個々人の自由を守ることができないどころか、安心して日常生活を送ることもできないでしょう。
民主主義には何ら反していないが…
但しこの「事後法による処罰」を認める法律の制定の手続は、完全に「民主主義」の原理にのっとっています。
民意を反映した選挙で選ばれた議員が、国会で審議して成立させた法律であって、別に政権が勝手に決めたわけではありません。
ですから「こんな法律は民主主義に反する」という批判は成り立ちません。
むしろ「民意を反映して、完全に民主主義の手続を正当にふんだうえで決めたのだから、何が悪い」と思う人さえいるかも知れません。
憲法39条が遡及処罰を禁止している!
ここで憲法が登場します。この問題に関係する条文を見てみましょう。それは第39条です。
憲法第39条 何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。
この条文により、「実行の時に適法であった=犯罪ではなかった行為」については、刑事責任を追求することはできないわけです。つまり「事後法による遡及処罰」は、憲法39条が禁止しているということになります。
今回の架空の例でいえば、2019年4月1日時点で犯罪でなかった行為(人身事故に至らずに済んだ、ブレーキとアクセルの踏み間違え)は、それより後の、2019年10月1日時点で施行された法律によっては、犯罪として扱うことができないことになります。
そして、完全に民主主義的な手続によって成立した法律であっても、憲法に反する場合は効力を生じません。これは憲法98条に明記されています。
憲法第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
憲法は、民主主義からも個人を守る!
つまり憲法は、民主主義「を」守るだけでなく、民主主義「から」個人を守る働きさえも持っているというわけなのです。
民意が暴走して、民主主義的な手続としては問題がないのにもかかわらず、立法や行政によって個人の尊厳や自由などが侵害されようとするとき、これを防ぐのが憲法の重要な働きということになるのです。
憲法改正と「民主主義」
憲法改正の議論の中で「民主主義の原則からいえば、主権者である国民に、さっさと国民投票の機会を与えるべきだ。だから早く改正案を審議しよう」という意見もあります。
一理あることは否定できませんが、さきほどの例で見たように、憲法そのものが「主権者である国民による民主主義」の暴走をせき止める役割も果たしているということを忘れてはなりません。
そう考えると、憲法改正を検討するとしても、民主主義の暴走を防ぐという観点から、相当慎重にしなければならないという(ある意味「保守主義」的な)発想が出てこざるを得ないのです。
よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。