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実は「2000年前からの不変の伝統」は、いつでも新たに作れてしまう件

「不変の伝統」って何ですか?

 「○○は日本の2000年の古い伝統だ」などという話題はよく見かけるものです。こういう言い方は、皇室に関する議論で特におなじみになっていますが、この皇室や天皇の話は、伝統に関する人間の思考パターンを検証するのにぴったりの興味深い材料を提供してくれるので、今回はこの点について考えてみます。

 「時代が変わっても不変の伝統がある」などと言いますが、皇室や天皇の場合、「不変の伝統」とは何でしょうか?

 まず一例として、天皇と政治の関わりがどのように位置づけられてきたか簡単に見て見ましょう。

天皇は自ら政治を行うのが伝統?

 1937年(昭和12年)文部省の作った『国体の本義』という書籍によれば、「天皇は統治権の主体であらせられる」「現御神(あきつみかみ)として肇国(=建国)以来の大義に随って、この国をしろしめし給う」としたうえで、日本の政体の法は「英国流の『君臨すれども統治せず』ではなく、又は君民共治でもなく、三権分立主義でも法治主義でもなくして、一つに天皇の御親政である」とされています。
  つまりこの時点では、国の公式見解としては、建国以来日本を統治し、自ら政治を行う(親政)存在であることが、昔からの天皇の伝統とされていたわけです。

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天皇は自ら政治を行わないのが伝統?

 一方、大戦後の日本国憲法では、天皇は政治に関与せず象徴になったことは周知のとおりです。
 そうなると先ほど紹介したのとは180度違うわけですから、「建国」(?)以来の天皇の伝統が断ち切られて変わったことになるはずですが、そうではなく、逆に「天皇は自ら政治を行わない(不親政)ことこそが、昔からの伝統だったのだ。大戦前が一時的に異常な例外だったのだ」という考え方が盛んに唱えられるようになりました。

(参考)

どちらが正しい伝統なのかという議論は無意味

 さて、一体どちらが正しいのでしょう。天皇が政治を行うのが日本の伝統なのでしょうか。それとも、天皇が政治を行わないのが日本の伝統なのでしょうか。

 これは、どちらが正しい伝統なのかという議論そのものが無意味だと考えられます。長い日本の歴史の中では、天皇が政治を行った時期もあれば、政治にかかわらなかった時期もあり、程度や状況はそれこそ限りなく多様だったはずです。そうなると、何が「正しい」伝統なのかなど判断のしようがありません。

長い伝統も「今」の解釈で作り出せる

 何が「正しい」伝統なのか客観的に判断することはできませんが、「正しい」伝統についての主張を自分なりに組み立てることは可能であることに注意しましょう。
 長い歴史の中に存在する無数の事実の中から、今の時点で、自分の主張にとって都合の良い要素を切り取って拾い上げてつなげて解釈して「●●こそが伝統だ」と言えば、どのようにでも言えてしまうのです。

 今の時点から過去をふりかえって、日本の長い歴史の中から「A」という立場にとって都合のよい要素だけピックアップすれば、「Aこそが2000年の伝統だ」と言うことができます。 
  逆に、長い歴史の中から「B」という立場にとって都合のよい要素を拾い上げて議論を組み立てれば、「Bこそが2000年の伝統だ」と言えるはずです。
  さらにいうと、「A」「B」両方にかかわる要素を拾い上げるなら「AとB両方があるのが2000年の伝統だ」と言うこともできるでしょう。

女系天皇も「伝統」の一部だったことにできてしまう

 これは現在の皇位継承の問題の議論にも応用できます。

 「これまで日本には男系の天皇しかいなかった。これまで天皇は男系で継承してきた。男系天皇こそが日本の伝統だ。女系天皇が生まれたら、伝統が終わってしまう」という議論がよくありますが、実際はそうはならないでしょう。

 なぜかというと、仮に女系天皇が生まれた場合、「天皇は男系で継承してきたのが伝統だ」という言説に代わって、「天皇は(男系女系両方を含む)血統により継承してきたのが伝統だ」という言説がたちまち主流になることが予想できるからです。

どんな「天皇」でも常に伝統に合っている

 「伝統に反する天皇」というのは、ある意味語義矛盾です。天皇とされる人が存在する限り、それは伝統の一部になっていなければなりません。
 変な言い方になりますが、どんなに従来と違った属性の天皇があらわれても、それは常に「伝統」の一部として解釈するしかないのです。
 (逆に、仮にそのようには絶対に解釈できないような属性の人があらわれたら、その人はそもそも天皇になれないはずです。)

 仮に女系天皇が生まれたら、それは「伝統に反する天皇」ではなく、「女系も一部である伝統の天皇」ということになるはずです。

 つまり、「伝統」の解釈が変わるのです。
「何が伝統であるか」は、現在の解釈によって変わってきます。そうなると、現在の解釈が「血統により継承してきたのが天皇の伝統だ」ということになれば、男系天皇も女系天皇もこれにすっぽり含まれますから、女系天皇は立派な伝統の一部であり、何も問題ないことになります。

 なお「血統で継承してきたのが天皇の伝統だ」という言い方は、今でも別に間違いではないことに注意して下さい。

2000年の伝統も「今」上書きされる

 ここで注意してほしいのは、途中で「伝統」が変わって新しいものが始まるのではなく、最初から「伝統」がすべて新しい解釈で上書きされるという点です。

 2000年の伝統に加えて途中から新しい伝統が付け足されるのではありません。2000年の伝統全体が、最初から新しい解釈によって認識される、つまり「上書き」されるのです。

 最初の例でいえば、「天皇が政治をするのが伝統だったが、途中から政治をしないのが伝統になった」というのではなく、「もともと天皇は政治をしないのが伝統だった」という言説になりました。

 これと同様に、皇位継承についても、「2000年、(男女両系の)血統でつないできたのが天皇の伝統。だから女系も元々天皇の一部」ということになるわけです。

 ちなみに「世界一長く古い民主主義が日本の伝統だ」と主張する書籍もあるようです。ここでも、現在の解釈によって、「古くからの民主主義の伝統」がもともと日本にあったことになっています。


 (本記事の冒頭のイラストは、例によって私の下記の自著からとったものです(自作))


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