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「ハンナ・アーレントとハンス・ヨナスの思想」戸谷洋志『ハンス・ヨナスを読む』(堀之内出版)、百木漠『アーレントのマルクス』(人文書院)刊行記念対談

2018年3月24日 於:TKPガーデン東梅田 主催:清風堂書店梅田店 共催:堀之内出版、人文書院

研究のきっかけと経緯

百木 このイベントのタイトルは「ハンナ・アーレントとハンス・ヨナスの思想」です。僕がアーレント担当で、戸谷さんがヨナス担当です。アーレントとヨナスというのは生涯を通じて親しい友人でした。思想的にもお互いに影響を受け合っていたし、もともと二人ともハイデガーの弟子だった。どちらもユダヤ人だったので、ナチスが出てきたときにドイツから亡命して、それぞれの道を歩まねばならなくなる。最終的にはともにアメリカに居住してそれぞれの思想を展開することになりますが、アーレントとヨナスの思想的関係はあまり知られていません。アーレントは最近いろいろなところで取り上げられていますが、そもそもヨナスは日本ではまだまだ知られていないのではないでしょうか。

『アーレントのマルクス 労働と全体主義』

戸谷 最近ヨナスを有名にしたものといえば、映画『ハンナ・アーレント』に出てきて、最後にアーレントに罵声を浴びせて終わるというシーンですね(笑)。

あの映画を見て、「ああ、このあとアーレントとヨナスは決裂したのだな」と多くの方が感じると思いますが、実際にはそんなことはありません。史料を見ていくと、ヨナスのほうからアーレントに謝りに行って、アーレントは「うん、なにも気にしてないわよ」という感じで仲直りしたといいます。

『ハンス・ヨナスを読む』

百木 一回決裂はしたけど、すぐに仲直りしたんですよね。その後晩年まで関係性は続いていて、アーレントの葬式ではヨナスが弔辞を読んでいる。ともにドイツ出身のユダヤ人で、運命を共にした同士であったわけですが、アーレントとヨナスは深い関わりがあるにもかかわらず、それがあまり知られていない。本日はそこをお話しできればと思っています。でも私たちの本を読まれていなかったり、アーレントとヨナスをそもそもよく知らなかったりという方もいらっしゃると思うので、まずはゆるいところから入っていきましょう。お互いの自己紹介代わりに、それぞれどういう研究をしていて、どうしてその研究をするに至ったのか、どういう本を書いたのか、を話すところから始めたいと思います。

戸谷 僕は現在、大阪大学で研究員をしています。2018年1月に『ハンス・ヨナスを読む』という本を堀之内出版から上梓しました。もともとヨナスと出会ったのは大学生の時なのですが、きっかけはもうすこし前にありました。高校生のときに『鋼の錬金術師』という漫画を愛読していたんですね。その主人公の錬金術師――現代の世界でいうと科学者です――が各地を旅をして、生命と死の境界や、動物と人間の境界、機械と生命の関係などいろいろなものを目の当たりにして葛藤していくという物語で、高校生のときにそれを読んで感銘を受けました。そこから生命とはなんだろうか、生命と技術はどういう関係にあるのだろうかとか、そういうことにけっこう関心をもったんですね。それがきっかけとなり大学では哲学科に入りました。その翌年の2008年、僕は大学2年生だったのですが、ヨナスの主著である『生命の哲学』(細見和之、吉本陵訳、法政大学出版局)の翻訳が刊行されました。読んでみたところ、自分の関心にかなりフィットしたので、そこからはずっとヨナスを研究しています。
 百木さんから、アーレントとヨナスの思想的な連関が研究されていないという話があったのですが、僕も基本的に同感です。その理由の一つが、アーレントもヨナスも、いわゆる「哲学者」としては長く研究されてこなかったという経緯があるのではないかと思います。現代思想や現代哲学という言葉でみなさんがイメージされるのは、ハイデガーやヴィトゲンシュタイン、戦後では「現代フランス思想」になると思うんですが、アーレントはどちらかというと政治思想の文脈で注目されていて、ヨナスは生命倫理や環境倫理、いわゆる応用倫理という分野のなかで注目されてきました。そのためか、本格的な哲学的バックボーンにまで遡ってそれぞれがなにを言っているのかは検討されてこなかったと思います。
 しかし、2000年代に入ってから状況が変わり、一人の哲学者としてアーレントを読み直すべきなのではないかというムーブメントが起こっています。一方、残念ながらヨナスにはそういうムーブメントが起こっていない。ただ、僕は環境倫理や生命倫理の問題からヨナスを読んでいたわけではなくて、そもそも生命とはなんだろうかという哲学的な問いから出発してヨナスを読んでいたので、彼をただの論客の一人にしてしまうのではなくて、ハイデガーやレヴィナスのような一人の独立した固有の世界観をもった哲学者として読みたいと思いました。そういうことをしている人が日本になかなかいなかったので、自分で書いてみたというのが、この本に至った経緯です。

百木 ヨナスを専門に扱った研究書自体が、日本にはなかった?

戸谷 はい。ヨナスだけを主題にした本は、一般書はいうまでもなく、学術書ですら一冊もありません。僕の本が初めてです。ですので、この本が叩き台となって、日本のヨナス研究が盛り上がったらいいなと思っています。

百木 そもそもヨナスを研究している人が日本にはほとんどいないんですか?

戸谷 いないことはないんです。ただ、日本でヨナスを研究している人の多くは、生命倫理や環境倫理が専門で、その問題を考える一助としてヨナスを読んでいる方が多い。僕のようにヨナスを専門的に研究している人は、極めて稀だと思います。

百木 僕もヨナスの名前はずっと知っていたのですが、ヨナスがどういう人で、どういう哲学を展開したかは、戸谷さんに会うまでほとんど知りませんでした。アーレントと切り口や向かう方向は違うのだけれど、かなり近い問題関心を持っているのだなということが分かってきました。それで、この二人を比較して議論してみると面白そうだなと思ったのですが、世界的に見ても、この二人を比較した研究はあまりないですよね。

戸谷 ほとんどないですね。世界的にも日本と同じように生命倫理・環境倫理の哲学者として読まれていて、ヨナス自体の思想研究はそれほどの蓄積があるわけではありません。
ともあれ、僕の話はこれくらいにして、次は百木さんの自己紹介をお願いします。

百木 僕は大学卒業後に一度、一般企業に就職しているんです。そこで三年間くらい経理の仕事をしていました。会社で働いたこと自体は良い経験になったのですが、働くなかで日本人の働き方や労働観について疑問に感じるところが出てきました。なぜこんな残業ばかりの働き方をしているのかと。あと僕が入社したのが2005年だったのですが、ちょうどそのころから非正規雇用やブラック企業や就職活動など、労働に関する社会問題がバーッと出てきました。そういう労働に関する問題について自分なりにいろいろもやもやと考えていたのですが、大学院でちゃんと勉強して、そのもやもやを言語化してみたいと思うようになりました。それで会社を辞めて研究の道に進むことにしたのです。
 もともと思想史が好きだったので、労働に関する思想史の研究をしようと考えていました。最初はマルクスを研究しようかと思っていたのですが、たまたま大学院に入る直前にアーレントの『人間の条件』を読んで、「労働」の章がそのときの自分の問題関心にフィットしたのです。そこではアーレントがマルクスを批判しながら独自の労働論を展開しているのですが、これがかなり奇妙な批判なのです。研究者からはアーレントはマルクスを誤読していると散々批判を受けているのですが、単なる誤読以上のことがあるのではないか、と感じました。もともとマルクスにも関心がありましたし、これは現代の労働問題にも関連してくるはずだと考えて、アーレントやマルクスの労働思想を研究するようになったという経緯です。

戸谷 本を読ませていただいて、すごく面白かった。アーレントがいかに誤読していたのかという点が主題ですが、アーレントの批判によって歪な形になってしまったマルクスのほうも救おうとしているようで、マルクス入門としてもよいのかなと思いました。

百木 これからアーレントとマルクスのそれぞれの専門家の批判を受けることになると思うので、それがちょっと怖いところではあります(笑)アーレントとマルクスは思想史のなかでも二大巨頭という感じがありますから。

アーレントとヨナスの出会い

百木 ではいよいよアーレントとヨナスの話に入っていきましょう。彼らが出会ったのは大学時代ですよね。ヨナスのほうが三つ年上です。ヨナスが1903年生まれで、アーレントが1906年生まれ。アーレントは1975年に亡くなりましたが、ヨナスは長生きでしたよね。

戸谷 ヨナスは1993年、90歳まで生きています。僕が生まれたときはまだ生きていたんですよね。

百木 ヨナスのほうが年上ですが、20年ちかく長く生きた。

戸谷 二人は1924年にマールブルク大学で出会います。当時、そこにはルドルフ=カール・ブルトマンという神学者や、マルティン・ハイデガーが在籍していました。ヨナスはこの二人のゼミに出席していました。ヨナスは80代になってから伝記を書いているのですが、それに拠ると、ブルトマンのゼミに一人明らかに異彩を放つ少女がいたと綴っています。その少女こそアーレントでした。当時ヨナスは21歳で、アーレントは18歳。そのゼミのなかで二人だけがユダヤ人だったんです。あとでヨナスが聞いた話だと、アーレントはゼミに入る前にブルトマンの教授室に行って、「一つ言っておかなくてはならないことがあります。わたしは反ユダヤ的言動はゆるしません!」ということを言っていたらしい。

百木 新入生の立場で(笑)。

戸谷 そう、学部1年生で。そういうエキセントリックな女の子としてヨナスはアーレントを認知していて、ヨナス自身も攻撃的というか好戦的な性格だったので、意気投合して仲良くなっていったんですよね。

百木 アーレントは若いころ美人だったので、モテ伝説がいろいろあって、名だたる思想家や哲学者をふったという逸話が残っています。ハイデガーと愛人関係にあったのは有名ですよね。他にも若きレオ・シュトラウスをふったとか、ブリュッヒャーが亡くなってからハンス・モーゲンソーに求婚されたとか(笑)

戸谷 まじですか。

百木 シュトラウスとはそれからすごく仲が悪くなって、のちにシカゴ大学で一緒になったときでも、廊下ですれ違ってもあいさつをしなかったんだとか。どこまで本当なのか分かりませんが。

戸谷 当時ヨナスとアーレントは学生のなかの読書会サークルをつくっていて、そのなかにハンス・ゲオルグ・ガダマーやギュンター・アンダースなどがいました。

百木 アンダースはアーレントの一人目の結婚相手ですね。

戸谷 有名なのはその二人ですが、そのほかにも気鋭の若手研究者や院生・学生がたくさんいて、そのなかに1年生のアーレントと3年生のヨナスがいたわけです。みんなで古典哲学を読みあう会をしていて、特にアーレントはそのサークルのなかでも異彩を放っていた。

百木 当時はちょうどハイデガーが『存在と時間』を準備していた頃ですよね。もう仕上げんとするころで、ハイデガーのカリスマ的人気が学生のあいだで広がり始めていて、野心ある若者たちが彼の周りに集まってきて、夜な夜な議論したり読書会をしたりをしていた。そのなかでもアーレントは女性で、しかもびしびし鋭い発言をする人目を引く美人だったので、注目されていたそうです。よく緑の服を着ていたので、「グリューネ」と呼ばれていたんだとか。

戸谷 「おい、緑」みたいな(笑)

百木 聖書を講読するブルトマンのゼミに出るようになって、ヨナスと出会い、同時に二人ともハイデガーのゼミにも出ていて、アーレントとヨナスがすごく親しくなるんですよね。

戸谷 サークルのなかでも特にその二人の仲が良くて、毎日昼食を食べているんです。アーレントが男子学生にナンパされそうになるとヨナスが追い払うということがあって、当時の彼女は攻撃的なのだけど、繊細な一面も持っていて、そこにある種の危うさがあった、とヨナスが言うんですね。「危うい、しかし特別な彼女の内に秘めたるなにかを僕は守らなければならなかった」みたいな。要はそういう感じで、先輩面していたんだと思うんです。

百木 大学生にありがちな(笑)。

戸谷 ただ一方で、そのサークルのなかでは現実の政治的な問題にはみんな関心がなくて、古典哲学を読んでいました。そのなかでヨナスだけはシオニズムに燃えていて、政治的関心をもっていたんですね。そのことをアーレントはなじっていて、「男の子に欲しいものを与える、それがあなたの場合はシオニズムなのね」とヨナスに言ったそうです。そんなエピソードを彼は嬉しそうに書いています(笑)。

百木 アーレントも最初はそれほど政治に興味がないんですよね。ヨナスは学生時代からシオニズムにコミットしていて、政治に関心を持っていた。

戸谷 ヨナスは度々アーレントの家に行ってごはんを食べたりしていたのですが、ある冬の日にアーレントが風邪を引くんです。アーレントのためにヨナスはレジュメを届けに行く。当時アーレントは古い小屋に住んでいて、「ハンナ、来たよ」と部屋に入って、ベッドに座る。アーレントはそのときパジャマを着ていました。二人でベッドに腰かけて話してゆくうちに、「男と女の間では不可避なことが起こった」。そういう意味深な一文がヨナスの回想録で挿入されています。「しかし私は彼女を守らなければならなかったので、すぐに振り返って立ち去ろうとした」、「ごめん、ハンナ、もう帰るよ」と言って帰ろうとすると、「待って、ハンス」とアーレントが呼びかける。「ハンス、だめなの、聞いてほしいことがあるの」。あ、これは僕の創作ではなくて、そのまま伝記に書いてあるんですよ(笑)。ヨナスはかたわらの椅子に座る。「ハンス、あなたに言わなければいけないことがあるの」と、自分がハイデガーと不倫していることを告白するんです。ヨナス、ガーン(笑)。それがきっかけなのかは分からないけれども、そのあとヨナスはハイデガーを激しく批判していきます(笑)。

百木 僕はこのエピソードが大好きなんですけど、ヨナスに同情してしかたがない(笑)。ヨナスはやはりアーレントに恋心を抱いていたんですかね。

戸谷 21歳ですからね。

百木 ヨナスもそれなりにモテていたんだとか?

戸谷 ヨナス自身は「おれはモテ男だ」と言っていますが、彼の言うことを客観的にみると、要はナンパする男だったのです。かなり声をかける。実るかどうかは別にして、声をかけることが得意だったんだと思います。だからアーレントからそういうふうに告げられたあとも、ふられたとは本人は認識していなくて、「その話を聞いた僕は彼女を守るために友人であることに徹さざるをえなくなったのだ」と言っています。「哲学科男子にあるある!」みたいな。

百木 つらい(笑)。毎日一緒にごはんを食べていて、友達以上のいい感じになっていて、ある日風邪を引いたのでレジュメを持って行ったら、さらにいい雰囲気になった。でもヨナスは、いやだめだ、病身のアーレントをここで押し倒すわけにはいかない!となんとか思いとどめて、また今後愛を育んでいこうと決心して立ち去ろうとしたら、「待って、ハンス……実は私、ハイデガー先生と不倫しているの」と(笑)。ガーン。

戸谷 おれの指導教員とですか、と(笑)。

百木 相手がハイデガーですからね、かなうわけない。

戸谷 絶望ですよね。

ハイデガー

百木 もう少し真面目に言うと、やはりハイデガーは二人にとって思想的にとても大きな存在だった。ハイデガーとどう対決するかというのは、ヨナスにとってもアーレントにとっても生涯で一番大きなテーマだったはずです。ハイデガーは『存在と時間』という哲学史に残る名著を出して一躍有名になるのですが、のちにナチスが出てきたときにそれに非常に共鳴してしまう。はっきりとナチス支持を表明してしまったのです。それはアーレントとヨナスにとってはすごくショックだったでしょうね。教え子に手を出していたのはともかくとして、二人ともハイデガーは哲学者としてすごい人だと間違いなく認めていたはずです。その先生が、彼らにとって最大の敵であったナチスに共鳴してしまう。
 この事実とどう向き合うかということを、二人ともそれぞれの思想・哲学のなかで考え続けたと言っていいと思うんです。ハイデガーはなぜナチスを支持してしまったのか。それとは違う哲学や思想を生み出していかなくてはならない、というのが二人の根幹に流れている問題意識だったのではないか。すくなくともアーレントはそうです。アーレントは一方ではハイデガーをすごく認めているし、ハイデガーの用語や概念から影響を受けた思想を展開しています。「現れ」や「出生」、「公共性」、「世界」などをハイデガーの用語を使いながらも、しかし他方でそれらの概念をハイデガーとは違うやり方で発展させていく。

戸谷 ヨナスの場合もそうです。ヨナスがハイデガーを哲学者として批判するときには、彼の哲学に倫理が欠落しているということ、つまり没倫理的な、ニヒリズム的な世界観が繰り広げられていることを批判します。それに対してヨナスは生命こそがある種の道徳の根拠であると考えます。生命の傷つきやすさを目の当たりにしたら、我々はそれを助けなくてはならない。ヨナスはそこにすべての倫理の基礎を見て取ろうとするのです。しかし生命とはなにかというと、それは実存であるという言い方をする。つまり、死の可能性に曝されながら自己を主張して生きている実存的な存在であるという言い方をしていて、ここには明らかにハイデガーの影響が示されているし、というよりも読み方によっては、ハイデガーを補完しようとしたという意図すら垣間見えます。
 ところで、ヨナスとアーレントが出会ったのが1924年ですが、その翌年にアーレントはカール・ヤスパース先生のほうに行ってしまいます。そして1933年にナチスが政権をとってから、二人の運命はまた離れていくんですよね。それ以前からドイツには右翼的な空気が漂っていて、反ユダヤ的な言説が流布していた。ヨナスはシオニズムに傾倒していたこともあり、パレスチナに入植し、地下組織に入って手榴弾と拳銃で武装して、現地のパレスチナ人と闘っていました。そこからヨナスは15年くらいにわたって、哲学活動ができなくなってしまう。

百木 ヨナスは戦争で前線に立って戦っているんですよね。それは哲学者のなかでも珍しいタイプではないかと思います。従軍経験がある哲学者は何人かいるでしょうが、みずから信念をもって積極的に戦地に赴くというのは珍しい。

戸谷 第二次世界大戦がはじまるとヨナスはイギリス陸軍に入隊しました。そこで砲兵隊に編成されてギリシャに配置され、爆撃機を迎撃する高射砲の部隊に従軍していました。しかし、そこは暇だったため、現地の農家に遊びに行ってホメロスを暗唱して拍手喝采を受けるなどしていたらしいです。しかし、あまりに暇すぎる、おれは戦いたいのだと不満を募らせていました。そんな中、1944年にイギリスで新たにユダヤ旅団グループが創設され、ヨナスもそこに参加し、イタリアへの突撃作戦に加わることを決意します。

百木 そんな人がのちに生命の哲学や未来への責任論を展開することになるというのが面白いですよね。

戸谷 ヨナスはそこでたくさん死体や重傷者を見て、四肢の損壊がいかに恐ろしいことかを目の当たりにしたらしいんです。一方で、彼がそれまで学んできたハイデガーの哲学には身体の問題があまり出てきません。しかしヨナスは、人間の実存にとって、肉体としてこの世界に生きているというのが大きな意味を持っているのではないか、と思い始めます。あるいは、身体の傷つきやすさは人間にとってもっと重要なものなのではないか、と考え始めます。ここから後の倫理思想が育まれているんです。だから、もしも戦争に行っていなかったら、いま僕たちが知っているようなヨナスにはならなかったと思います。

百木 アーレントもヨナスも、もともと有望な若手研究者で、博士論文を書き上げてまさにこれからだというときにナチスが1933年に政権をとり、ユダヤ人の迫害が始まる。二人ともそれをいちはやく察知して亡命するのですが、そこからの人生は道筋が分かれていく。のちにアメリカで合流することになるんですが、アーレントは戦争には直接かかわらず、パリとニューヨークで亡命生活を長く送ることになる。一方、ヨナスは自らシオニズムに身を投じて、戦争に向かっていく。戦争中のこの経験の違いが、同じ悲劇から出発し、かなり近い問題関心を有しながらも、二人が対照的な、それぞれにユニークな哲学・思想を生み出すに至った原因のひとつではないか、と考えています。

シオニズム

百木 アーレントはまずドイツからパリに亡命して、そこでいろいろな知識人と付き合っています。ベンヤミンやレイモン・アロンと出会ったり、コジェーヴの講義に出たり。そういう人たちと出会って交流を深めながら、アーレントも勉強だけをしていたわけではなくて、シオニズム系の組織で働いてもいるんですよね。フランスにいるユダヤ人の青年たちに教育と職業訓練を与えてイスラエルに送りこむ準備をするという、シオニズムを間接的に支援する運動に関わっていました。学生時代は距離を置いていたけど、この時期には彼女も政治的に目覚めて、シオニズムの活動にコミットするようになる。彼女は小さい頃からユダヤ人として特別にアイデンティファイしているわけではなかったんですが、これだけユダヤ人が迫害されて、多くの犠牲者が出ているなかで、さすがにユダヤ人として何かせざるを得ないという感じはあったと思うんです。だから間接的にそういう活動を手伝ってはいた。
 だけどシオニズムに対する一定の懐疑はずっと残っていて、とくに戦後、イスラエルが建国されてからは、これは結局ナショナリズムとなにも変わらないではないか、と言っています。さらに言えば、シオニズムも一種の全体主義に近づきかねない。シオニズム系の人たちと付き合いながらも、アーレントはやはりそこに完全にはコミットできなかった。シオニズムあるいはユダヤ的なものに対してどういう距離をとるかというのも、ヨナスとアーレントの思想の分かれ目の一つです。ヨナスは自分がユダヤ人であるということに、若い頃から強烈にアイデンティティを持っていましたよね。

戸谷 そうですね、伝記を読んでいてもシオニズムに携わっているときのヨナスの行動はナショナリストにしか思えない。現在から眺め返すと、かなり極端な活動家という印象があります。ただ、第二次世界大戦が終結した1946年ごろ、そのとき彼はまだイスラエルにいたんですが、妻との間に子どもが生まれるんです。子どもが生まれてから、彼の行動が一気に変わる。あれほど熱心に掲げていたシオニズムを完全に放棄して、急遽カナダに移住する。それは自分の子どもに対して安全な環境を用意する必要があって、たまたまアカデミックなポストを得られたのがカナダだったという話なんですが、それからアメリカに移住して、そこでアーレントと同僚になるんです。
 この変化は、ヨナスの哲学を考える上で面白いなと思っています。ヨナスにとって、あらゆる倫理の根拠が傷つきやすさに求められていて、そのもっとも原型的な例が子どもへの責任なのです。幼い子どもが目の前にいたら、我々は手を差し伸べざるを得ない。そこから人類全体の果たすべき責任を基礎づけようとするんですね。つまり、子どもへの責任が政治に先行しているんです。ヨナスにとってシオニズムはある種の政治的な思想ですが、その政治的な思想よりも、目の前に子どもがいるという現実のほうが大きな意味を持っていた。それがアーレントと鋭く対立するところなのかなと思っています。

百木 わざわざイスラエルの大学のポストを蹴っていますよね。

戸谷 ゲルショム・ショーレムというユダヤ神秘主義の哲学者がヨナスの先輩にいて、彼はヨナスがパレスチナに入植してからずっと世話をしてくれていたんです。20年以上関係が続いていました。ヨナスがカナダに行ったあと、ようやくヘブライ大学で教授のポストが見つかったので、彼はヨナスを推薦しようとした。しかしヨナスはそれを断ってしまいます。それにショーレムは激怒しました。そう思うと、子どもにとってどうかということが戦後のヨナスの行動を決定しているようにも見えます。

百木 ヘブライ大学の道をわざわざ蹴ってまで北米に行った。アーレントの場合は、しばらくパリで亡命生活を送っていて、1941年にようやくスペインからアメリカに亡命する。アメリカに亡命してからも10年間は市民権を得られず、ユダヤ系の団体を手伝ったりいろいろな雑誌に批評を書いたりして生計を立てて、1951年にようやくアメリカの市民権を得る。それ以降は基本的にヨーロッパには戻らずに、ずっとアメリカで暮らして、そこで思索を展開しています。市民権がとれたのと同じ1951年に『全体主義の起原』を発表して、これで一躍有名になる。その7年後、1958年に『人間の条件』を出して、これもまた大きな評判になる。とくに政治哲学・政治思想の分野で非常に有名になりました。アーレントのほうが有名になったのは早いですよね。その5年後、1963年に『革命について』を出して、『イエルサレムのアイヒマン』が出て……と、いろいろと論争を巻き起こしながらも、国際的に有名になっていきます。

イエルサレムのアイヒマン

戸谷 映画『ハンナ・アーレント』はまさに『イエルサレムのアイヒマン』が出される前の時期を描いていますね。

百木 実際にアイヒマン裁判をイエルサレムまで見に行って、『ニューヨーカー』にレポートを掲載するあたりの話ですね。

戸谷 アーレントがシオニズムを批判的に見ていて、それを読んだヨナスが激怒する。ヨナスがすごく長い手紙をアーレントに送っていて、「君がこんなに堕落してしまうのを僕はこれ以上見続けてゆくことができない。」というようなことが書かれています、ヨナスとアーレントが全面的に対立するのはたぶんそのときだけだと思います。

百木 アドルフ・アイヒマンは元ナチスの高官で、ユダヤ人を絶滅収容所に移送する責任者であった人です。そのアイヒマンが戦後に捕まって、イエルサレムで裁判にかけられることになる。その裁判をめぐってアーレントが『ニューヨーカー』という雑誌に記事を書くんですが、それが反響を呼んで、国際的な論争を引き起こしました。当時ほとんどの人々がアイヒマンは血も涙もない極悪人だと捉えていたわけですが、アーレントはそうではないと言った。むしろアイヒマンは平凡な小役人的人物で、大した悪意も持っていなかったのだと。特別にユダヤ人を憎んでいたわけでもなく、ヒトラーに心酔していたわけでもない。ただ、組織内での昇進にしか関心を持たない凡庸な人間だったのだと。これを彼女は「悪の凡庸さ」と呼んで有名になりました。しかし、そんな風にアイヒマンを捉えていいのかという反論があちこちから出てきた。
 かつアーレントがよせばいいのに、当時のユダヤ人評議会を内部批判的なかたちで批判するのです。当時のヨーロッパのユダヤ人評議会も、ナチスに間接的に協力するようなことをしていたんだと。それをめぐって当時のユダヤ人知識人から非難を浴びることになります。なぜわざわざそういうことを書くのか。アイヒマンが極悪人で、ユダヤ人は迫害されてホロコーストにあった被害者という図式をだれもが期待していたところに、感情を逆なでするようなかたちで、アイヒマンはただの凡庸な小役人だ、ユダヤ人にも非があったのだと言ってしまう。それが当時の人びとの逆鱗に触れた。ヨナスもシオニズムをいったん捨てたとはいえ、アーレントの発言は許せないという感じだったのでしょうね。

戸谷 戦時中に二人が置かれていた立場はいろいろな意味で対照的で、アーレントがいわゆる地下生活をしている一方で、ヨナスが戦場に立っているのもそうなんですが、もう一つ大きいのは、アーレントが市民権のない状態で約20年間を過ごしていたのに対して、ヨナスはやっぱりナショナリストなんですよね。自分の国をつくるんだと命を燃やしていたので、そこにははっきりとした対立がある。イエルサレムのアイヒマン論争では地金が出てくる感じでその対立が煽られた気がしますね。

百木 とくに有名なのはアーレントとショーレムの往復書簡ですよね。ショーレムが「あなたにはユダヤ人に対する愛はないのか」と問い詰めると、アーレントが真っ向から「私はユダヤ人というものに対して愛を感じたことはありません」と突き返す。論争が長く続いて最後は決裂に終わりました。ヨナスはそれを許せなかったと聞きましたが。

戸谷 ヨナスは、ニューヨーカーの記事ではなく、アーレントとショーレムの公開書簡を読んでキレたんですよ。それを読んでもう我慢できないとなった。

百木 もともと大学で一緒に勉強した仲で、一時は友人以上恋人未満みたいな関係にあり、ナチスの迫害ではそれぞれに苦労した道を通ってアメリカに亡命して、ある種運命を共有しているという意識はあったと思うんです。しかしそれでも許せないくらいにアイヒマン問題は大きかった。そこがちょうど映画で描かれていますよね。

出生という概念

戸谷 一方で、二人がただ対立しているだけではなくて、ヨナスがアーレントから継承している概念もあって、それがまさに『人間の条件』のなかで出てきた「出生」という概念です。

百木 出生とは、文字通り「生まれ出る」「この世界に誕生する」という意味ですが、アーレントはそれに独自の解釈を加えて、『人間の条件』のなかで展開しています。彼女の「活動」論とも密接に関連している。「活動」とは他者と話し合ったり議論したりする営みを指しますが、複数的な他者と対話するなかで、予測不可能な新しい出来事がこの世界に生まれてくる。それを「出生」になぞらえて論じています。この世界に新しい命が生まれてくるかのように、「活動」のなかでまったく予期していなかったことが起こってくる、それこそがこの世界での「始まり」、あるいは「自由」を意味しているのだと。ヨナスもこの「出生」論には大きな影響を受けていて、ただそれをまた違うかたちで発展させているんですよね?

戸谷 ヨナスとアーレントではそもそも考えている問題関心がちがっていて、アーレントは政治思想を考えているけど、ヨナスは環境倫理、生命倫理を考えていたわけですよね。具体的には人類がいま科学技術文明(原発や原爆、あるいはヒトゲノムなど)に脅かされていて、人類の存続が危ぶまれる状況が起こるかもしれない。それに対して、我々は遠い未来の人類が脅かされることがないように、未来の人類に対して責任を負わなければならない。それがヨナスの哲学の基本的な問題なんですね。
 この哲学にアーレントの出生概念は大きな影響を与えています。ヨナスは、人類は未来においても存続しなくてはいけないけれど、コントロールされて画一化された人類がコンピューターで制御されて生まれてきても仕方がない、と考えます。あるいは特定の人間だけが延命あるいは不老不死になって、新しい子どもが生まれてこないという状態で人類が存続してもダメなんだという。そうではなくて、どんどん新しい世代が生まれてきて、この世界が次々に生まれ変わるということが続かなければならない。それはアーレントが言っている「出生」をこの世界に存続させることなのだとヨナスは言っています。いわばアーレントの出生概念を生命倫理・環境倫理の分野に移植してくる。そこがアーレントとヨナスの思想史的連関のなかで一番大きいポイントだと思っています。それぞれ対照的な哲学を展開していたのに、「出生」つまりこの世界に新しい人間が生まれてくることに対しては考えが一致していた。一致していただけではなくて、ヨナスは自分の哲学に取り込むくらいに強い魅力を感じていたわけですよね。そこが面白いなと思います。

百木 「出生」という、この世界に新しい命が生まれてくることを二人とも重視していて、そこにある種の希望を見出していたのだと思います。もともと二人とも全体主義の悲劇、ナチスの台頭とユダヤ人の迫害を経験したところから出発している。野蛮なものが現代文明のなかから出てきてしまった、さらにハイデガー先生もそれを支持してしまった、その危機は再び繰り返されるかもしれない。アーレントとヨナスはともに、この全体主義という巨悪に対してどう対峙すべきなのか、それに対峙する哲学や思想をどうやって生み出したらいいのかという問題を考えていたはずです。
 それに対する一つの答えが「出生」だった。アーレントの場合は活動や公共性など、政治的な意味合いと結びつけながら「出生」について論じているのですが、大きく見れば、ヨナスも似たような思考を共有していたんじゃないでしょうか。ただ、生命に対する捉え方というか価値の置き方が似ているようで違う。ヨナスは生命の傷つきやすさにすごく敏感で、それはもともと戦争経験からきているということでしたね。生命の傷つきやすさが彼の倫理の根幹にある。あるいは、傷ついている者・弱きものに対して責任を負わなければならない、「乳飲み子に対する大人の責任」といった言い方で、生命それ自体の保護を重視している。ヨナスは生命それ自体が善きことなのであって、生命それ自体に価値があるんだという考え方ですよね。そこにはユダヤ教の影響も多分にあるのだろうと想像するのですが、アーレントの場合は違います。
 アーレントは生命それ自体に対してはあまり高い評価を与えていません。アーレントによれば、生命それ自体は労働と結びついていて、動物的なカテゴリーに分類され、相対的に低い評価が与えられている。ただ生きているだけではだめで、より善い生き方をすることが大事だという、アリストテレス的な考え方が背景にあります。僕の本の副題は「労働と全体主義」ですが、雑な言い方をすると、生命それ自体を重視するような考え方や、それと結びついた労働ばかりを重視すると、全体主義に近づいてしまうと彼女は考えていた。生きることそれ自体ではなくて、活動のなかで他者との対話のなかで生まれてくる新しい出来事、それに価値があるんだという意味で「出生」を使っているので、ヨナスとは価値の置き所が違います。
 それは亡命して長く「根無し草」状態であったアーレントと、戦場でたくさんの死体を見たヨナスの経験の違いに由来しているのではないかと、戸谷さんと話をしているところです。あるいは、ユダヤ教にどれだけ影響を受けているかにも関係しているのかもしれません。そのあたりは深く掘っていくと面白いのではないかと考えています。
戸谷さんの本の最後の章にもヨナスとアーレントの比較が少しだけ出てきますが、そのあたりもう少し詳しく読んでみたかったですね。

戸谷 アーレントの『人間の条件』のなかでは、公的領域と私的領域がはっきりと分けられていますよね。「出生」は「活動」と連関していて、「活動」は公的領域にかかわり、「活動」のなかで現れてくるものは言論などが挙げられている。いわゆる大人が広場に集まってスピーチしあうようなことを公共性として考えていると思います。それが「出生」とかかわっている。一方でヨナスの場合は、出生概念から引き出してくるのは子どもに対する親の責任です。子どもに対する親の責任は、アーレントの図式でいうと私的領域に属するはずですが、この責任から、人類の存続への責任という政治的な問題を引き出してくる。実際に、アーレントはその点を批判しています。
 ただ、アーレントの公共性のモデル万能かというと、それだけでは解けない問題もあると思います。例えば未来世代に対する責任です。未来世代はまだ存在しないですよね。存在しない者と討議することはできないので、公共性の場に引きずり出すことはできない。そうだとすると、公共性の場に現れてこない者に対してどう関係するのかという問題が、アーレントの活動概念だけではうまく説明できないのではないかと思います。一方で、ヨナスがいう子どもに対する親の責任において、子どもは親に対して必ずしも「お腹が空いた」と言わないかもしれないし、そもそも言葉を習得していないかもしれない。そうであるにもかかわらず、我々は責任をとってしまう。つまり子どもと親は非相互的な関係に置かれているわけです。そうした非相互性に基づく責任が、アーレントの議論を補完してくれるかもしれません。

テクノロジーと存在の善性

百木 戸谷さんの本を読んで、ヨナスが現代的だなと思うのは、テクノロジーの問題です。例えば原発を存続すべきなのか、即刻廃止すべきなのかという議論や、地球温暖化の問題で二酸化炭素の排出規制をどれだけ厳格にするべきなのか、遺伝子操作をどれくらい研究領域として認めるべきかという議論に対して、それは我々の世代だけではなくて、未来世代にかかわる問題なのだとヨナスは強調しますよね。まだこの世界に存在していない子ども、あるいはすでに存在していてこれから大人になっていく子ども、その世代に対して責任がある。さらには人間の子どもだけではなくて、地球上全体の生命存在に対する責任を人間は負っているのだというのが、ヨナスが展開したことですよね。実際に応用倫理などでヨナスの思想は活用されているということですが、そういう問題はアーレントは直接的には論じていない。将来世代、まだ生まれていないものに対するものも含めた公共性や責任をどう考えるかというときに、ヨナスの考え方が活きてくるというのは同感です。
 ただ、ヨナスの責任論でこれは論点になるだろうと感じているのは、生命が存在することそれ自体が無前提に善であって、将来世代の生命を絶やしてしまうことが一番いけないのだという主張です。将来世代の存在の可能性を絶やさないということが最優先になる。そのための責任をとることができるのは、地球上で人間だけなので、人間の存在が一番重要であるという論法ですよね。しかし、これは非常に人間中心主義的な考え方ではないか。また、どのような生命も存在することそれ自体が善であるとまで言い切っていいのかな、と思ってしまうところがあります。

戸谷 むずかしい問いですね。存在することが絶対に善であるというのは、これだけ聞くと「えっ」と思うわけですよね。それはなぜかというと、近代哲学以降、存在と価値が分離されてきたからです。古い例でいうとヒュームがあげられますし、20世紀では自然主義的誤謬を唱えたムーアが言ったりするわけですけれど、「なにかがある」ということと「それがあるべきだ」ということは論理的に違うということですね。
 しかしヨナスは、善と存在を区別する考え方自体が近代以降につくられてきた科学的な自然観である、と主張します。つまり科学的に眺められたものは、善いものでも悪いものでもない、それは没価値的であるということです。没価値的である以上、それをどういうふうに操作したとしても誰からも咎められない。倫理的に無謬であることになります。分かりやすい例で言うと、その実例は動物実験ですね。そういえば、僕の友達に生物学の研究者がいて、ネズミに癌を植え付けて何日で死ぬかの実験をしているんですよ。心が痛まないのか聞いてみたら、「そういう実験をしているときはマウスを生き物だと思わないようにしている」と。これはすごく示唆的だと思います。
ヨナスは存在と善が区別された科学的な自然観を「死の存在論」と呼びます。そこでは生命と非生命の区別がまったくなくて、すべてが無機物のように捉えられています。しかしそれでは不十分だとヨナスは考えます。何故なら、我々は傷つきやすいものを目の前にしたら、「なにかをしなくてはならない」という責任を感じるはずだからです。そうである以上、存在と善がいつでも区別されるのではなくて、存在のなかに善が宿っているのだと考えられてもいいはずだと。
 ヨナスに拠れば、科学的な自然観自体が一つの形而上学的な前提になります。しかし、この世界にはいろいろな自然観があるわけです。そのなかで科学的自然観こそが正しいのだということは、科学的自然観それ自体からは導き出されないわけですよね。科学的自然観と並びたつ別の自然観として、存在と善が結びつく自然観がありえるのだとヨナスは言っていて、どちらを選ぶのかは選択の問題だというんです。ただ、存在と善が結びつく自然観のほうが、生命に対する我々の考え方をよりよく説明できるのではないか、とヨナスは主張します。逆にいうと、科学的自然観を徹底するのであれば、「傷ついた者を目の前にしてもなにも感じないでいられるんですか?」という疑問をヨナスは投げかけてくるのだと思います。

百木 傷ついている者や弱き者への責任を感じることは当然あると思いますし、それはアーレントの弱いところだと思うんですよね。散々アーレントが批判されているのは、生命それ自体や私的領域、身体性をアーレントはあまりにも軽視しすぎているのではないかということです。そういうものから切り離された公共性や活動ばかりを称賛するのはどうなのかという批判がよくあります。その批判は半分当たっているけど、もう半分はアーレントも違うことを言ってるよという気持ちもあるのですが、それはともかく、アーレントに欠けているところをヨナスは議論しようとしていたということは分かります。
 ただ、素朴に聞いてみたかったのですが、生命が善きもので、地球上に存続する生物全体の生命の価値を重視するなら、むしろ人間が滅んだほうが、地球や人間以外の生態系にとっては良い、ということになりませんか?

戸谷 先行研究ではそういう反論をしている人も実際にいます。それに対して、ヨナスは次のような反論を企てています。まず、ヨナスは概念として「責任の対象」と「責任の主体」を区別します。「責任の対象」はすべての生命ですが、「責任の主体」になれるのは人間だけです。その理由は人間だけが自分の私的な利害を超えられるからです。たとえ自分のデメリットになることでも、責任だからという理由で引き受けることができるのは、人間だけである、ということです。この「責任の主体」である人間が存在しなくなればいいということは、責任そのものが存在しなくなればいいということですよね。
 しかしそうだとすると、「責任の主体」が存在しなくなるべきだ、という際の責任自体が成り立たなくなる。したがってこの主張は不可避に自己矛盾に陥ります。ただ、この論証を支えているのは人間だけが「責任の主体」であるということです。逆にいうと、遠い宇宙のどこかに人間以外の宇宙人が「わたしも責任能力を持っています」と現れるなら、人類にはさしあたり滅んで頂いて、宇宙人に責任の主体になって頂きましょうか、ということも可能になってきます。もちろんヨナスはそういうことまでは考えていませんが、そう批判される余地はありますね。

百木 まだまだ議論はできそうですが、時間がきてしまいましたね。

戸谷 今日はみなさん、ありがとうございました。

とや・ひろし/1988年、東京都世田谷区生まれ。専門は哲学、倫理学。大阪大学大学院博士課程満期取得退学。現在、大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学教室 特任研究員。第31回暁烏敏賞受賞。著書に『Jポップで考える哲学』(講談社文庫、2016年)など。

ももき・ばく/1982年、奈良県生まれ。専門は社会思想史。京都大学人間・環境学研究科博士課程修了。現在、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。共著に『現代社会理論の変貌 せめぎあう公共圏』(日暮雅夫・尾場瀬一郎・市井吉興編著、ミネルヴァ書房、2016年)など。


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